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いつか、どこかで(3)

 ロックの無礼とも言える眼差しを、少女は黙って微笑み受け止めていた。

 見つめ返してくる灰色の瞳に宿る光は強く、堂々たる風格さえうかがえるようだ。先程名前を尋ねた時とはうってかわったその態度に、ロックはますます戸惑った。

「帝都を離れるって……」

 その理由を、自分は知っているような気がする。

 そう感じながらも、ロックは尋ねずにはいられなかった。

「どうして? どこかに引っ越すの?」

「ええ」

 少女は短く答えただけで、詳しくは語らない。

 ただ名残を惜しむように聞き返してきた。

「お隣、座っても?」

「え? ああ、どうぞ」

 ロックは隣にあった椅子を腰を下ろしたまま、無造作に引いた。

 少女はそのやり方に目を丸くしたものの、何も言わず一礼の後で椅子に座った。

 市警隊の食堂の椅子は固く粗末な木造で、お世辞にも座り心地がいいとは言えない。だが少女は不満も唱えず、改めて灰色の瞳でロックを見つめてきた。

「あなたは不思議な人ね。男だったり女だったり、どんなところにも現れて」

「『どんなところにも』?」

 ロックはその言葉を聞きとがめた。

「僕と、前はどこで会ったの?」

「壁のお外で」

 少女の答えは簡潔だった。

 しかしそう教えられても、ロックの方にはこの奇妙な少女の顔や声に全く記憶がない。どことなく胸が騒ぐのは思い出せない焦りからだろうか。客の顔なら覚えるのは得意のはずなのだが。

「そっか……ごめん、やっぱり思い出せないや」

 ロックが降参のつもりで両手を挙げれば、少女は当然だと言いたげに顎を引く。

「そうでしょうね、些細な出会いでしたもの」

「ふうん……」

「そういえばあなたはここに、人の付き添いだと言っていたけれど」

 少女に水を向けられて、ロックはエベルの戻りが遅いことに気づいた。

 恐らくあの市警隊長に美辞麗句を並べ立てられ、なかなか本題に入らせてもらえていないのかもしれない。一度顔を合わせただけだが、話の短い手合いには見えなかった。もう少し待つことになるかもな、とロックは思う。

 それまで、この奇妙な少女と会話をするのも悪くはないだろう。

「うん、僕はただの付き添い。今、その人が隊長さんと話している間なんだ」

 ロックは素直に答えた。

 すると少女は不思議そうに小首をかしげ、こう言った。

「では、あなたはマティウス伯の付き添いなの?」

「え? エベル――閣下のこと、知ってるの?」

 質問を質問で返す非礼には頓着せず、少女は控えめに微笑む。

「何度か、会ったことが」

 またしても簡潔に、そして濁すように答えた。

 しかし伯爵ともなれば帝都の中ではそれなりに顔も知られていることだろう。ましてエベルは活動的に帝都の内外を歩き回っていることだし――そこまで考えて、ロックはふと思う。


 この少女はエベルに対し、敬語を使っていない。

 普通なら伯爵に対しては『お会いしたことが』と答えるはずだ。本人が同じ建物の中にいるなら尚のことだろう。


 得体のしれない胸騒ぎが強くなる。

 知らず知らず喉を鳴らすロックに対し、少女は真顔で続けた。

「彼は、わたくしとよく似ている」

「……どういう意味?」

「その身に呪いを受けた者同士、という意味よ」

 彼女の言葉にロックは思わず瞬きをやめた。

 人狼の呪いのことを知っているのだろうか。まさか。

 そしてよく似ているということは――ロックは少女の瞳に目を凝らしたが、幸いと言うべきか、その色は変わらず灰色のままだ。人狼たちのように金色ではない。

 では、今の言葉の意味は何なのだろう。

「彼のことをよく知っているのですね」

 少女はロックの内心を見抜いたように言った。

 ロックが口をつぐむと、尚も淡々と言葉を継ぐ。

「呪いのことを祝福と呼ぶ者もいる。それこそが選ばれた者にだけ与えられる才能のひとつなのだと。けれど望まぬうちに与えられた力を祝福と呼んで言祝ぐのは、その枷の重さを知らぬ者だけ」

 そして細く長い息をつきながら、ぽつりとつぶやいた。

「マティウス伯もかわいそうな人。彼も望んで力を得たわけではないのでしょうに」

 その声には憐れみというより、強い共感の念が感じられた。まるで自分自身に言い聞かせているかのようだ。人狼の呪いでないとすれば、いったい彼女は何を背負っているのだろう。

 少しだけためらいつつも、ロックはつい尋ねてしまった。

「君も、何かあるの?」

 少女は視線をそらさない。真っすぐにロックを見つめて、うなづく。

「ええ」

 そして答えはいつも簡潔だ。それ以上は言えない、教えられないという強い拒絶の意思が読み取れた。

 だがそれでも、彼女はロックに打ち明けたかったのかもしれない。どうしてか、どうしても。


 ロックは目の前にいる少女を改めて見つめ返した。

 自分とそう歳も変わらぬ、いたいけな少女だった。まだ大人になりきれてはいないのか、口元に微かなあどけなさが残っている。それでも灰色の瞳に宿るは強く、木苺色の髪は美しい。

 そして、面差しはどこか寂しげだ。

 帝都を去るのだと彼女は言った。それもまた、その身に背負った呪い、あるいは祝福ゆえの宿命なのだろうか。エベルと同じように、彼女は与えられたものを受け取らざるを得ず、恐らくは生涯抱えて生きていくしかないのだろう。

 背負うものなどほとんどないロックにとって、それは途方もなく切ない生き方に思えた。


 だが、エベルはそれでも幸せそうだ。

 初めて会った時の彼のことを思い出す。自分に惚れ込んで口説き続けてくる様子は情熱的でもあり、享楽的でもあり、どこか生き急いでいるようでもあった。今もその情熱は変わるどころか増す一方だが、あの頃ほどの性急さは感じられない。今の幸福に、存分に浸っているように見える。

 その幸福の源たるものが他でもない自分自身であることを、ロックはよく知っていた。

 そしてそれを、やはり幸福に思っていた。


 だから、どうしても黙ってはいられなかった。

「エベルは……閣下は、かわいそうな人じゃないよ」

 声を潜めて、だがきっぱりとロックは告げる。

「確かに不幸な目には遭ったかもしれない、望んでああなったわけじゃないことも知ってる。それでも自分でしっかり立って、絶望に負けたりせず、その人生をどう楽しんで生きようか考えてる人だ。誰かに哀れまれるような生き方はしてない。今は幸せそうにしてるよ」

 そこまで言い切ってから、今更のようにロックは照れた。彼の生きざまを代弁しようとするのはおこがましいことだったかもしれない。でも、事実だと信じている。

 エベルのそんな前向きさと、心の強さに惹かれたのだ。

 はにかむロックをよそに、少女はきれいな眉をひそめた。

「どうしてそんなことが言えるの? あなたが呪いを受けたわけでもないのに」

 不本意そうでも、不思議そうでもある顔をしていた。

 胸中では『ありえない』と思っているのだろうか。当事者ではない人間が彼の生きざまを語ることに違和感、あるいは抵抗すら覚えているのか。

「傍で見てきたから、わかるんだよ」

 ロックは胸を張って答える。

「閣下の背負ってきたものを、少しだけ支えてみたんだ。僕がそうしてもらったように」

 母が幼いロックを慈しみ育ててくれたように、父が帝都に出てきたばかりのロックを陰日向に守ってくれたように。

 ロックはエベルを支えたかったし、できる限りそうしてきたつもりだ。そしてエベルも同じく、ロックが困っている時には惜しみなく手を差し伸べてくれた。だからこそお互いの幸せがわかる。

「そう……」

 少女は小さくつぶやいて、じっとロックを見つめてきた。

 灰色の瞳は霧のように深く静かで、視線を向けられるとロックの背筋も不思議と伸びた。神秘的、という形容がこれほど似合う人物をロックは他に知らない。そういえばつい最近、その言葉を誰かの口から聞いたような覚えがある。

 誰が、誰に対して言ったのか。どうしても思い出せなかった。

「あなたは本当に不思議な人ね」

 やがて、少女は覚悟を決めたかのように目を伏せる。

「愉快……いえ、興味深いと言うのが正しいでしょうね。よい意味でよ」

 褒められたようには聞こえなかったが、ロックは頓着せず言い返した。

「僕からすると君の方が不思議だけどな」

「そうでしょうね」

 少女は否定もせず、機嫌よく微笑んだ。

 思えば彼女の、歳相応の表情を見たのは初めてだ。ロックも初めてこの少女に親しみを覚えた。だがそれを口にするより早く、少女がはっとして立ち上がる。

「そろそろ行かなくては」

「そう? 閣下ももうすぐ戻ってくるのに。挨拶とかしなくていいの?」

「できません。そんなことをしては――」

 少女はかぶりを振ると、慣れない手つきで自ら椅子をテーブルに収めた。

 そしてロックに目をやり、今気づいたというふうに尋ねてくる。

「あなたのお名前を聞いていませんでしたね」

「僕?」

 唐突な問いにロックは少し笑ってしまった。

 だが思えば、まだ一度も名乗っていなかったように思う。

「ロクシー・フロリア。壁の外ではロックと呼ばれることが多いけど」

「どちらで呼べば?」

「会った場所で決めてよ。帝都の中ならどっちでもいいけど、そうじゃないならロックがいい」

「わかりました」

 少女が真面目な顔でうなづく。

 ロックも頷き返した後、逆に尋ねた。

「君は? 名前、教えてくれないの?」

 すると少女は恥ずかしそうに口元をゆるませて、言った。

「次に会う時まで、考えておきます」

「考えるって……」

「では、ロック。またいつか、どこかで」

 少女は優雅にお辞儀をすると、意外と素早い足取りで食堂から出ていく。

 ロックは笑いながらそれを見送った。偽名を『考えておく』なんて、やはり不思議な人物だ。いつかどこかでとは言われたが、彼女にもう一度会うことはあるだろうか。

 初めて会った相手なのに、初めてのような気がしない。

 そして――ひとりきりになってから、ロックはふと奇妙な胸騒ぎを覚えた。近頃よく感じる、何とも表しがたい不安、焦燥だ。自分は何か大切なことを忘れているような気がする、そう思えてならない。

 木苺色の髪。

 灰色の瞳。

 神秘的と形容せざるを得ないあの少女は――。


「……え!?」

 急に、ある仮説がロックの脳裏にひらめいた。

 思いついたというより、ずっと忘れていたことを思い出したような感覚だった。どうして今まで気づけなかったのかわからない。だがあの少女と同じ容貌を持つという存在を、ロックは目下ひとりしか知らない。

 慌てて立ち上がった時、食堂にエベルがやってきた。

「ロクシー、待たせた。予想以上に話が長引いてな」

 エベルは疲れた笑みを浮かべたが、ロックの顔色を見ると目をしばたたかせた。

「何かあったのか?」

「エベル」

 ロックは慎重に、深呼吸を数回繰り返した後で切り出す。

「皇女殿下のお姿を、もう一度教えてもらえませんか?」

 エベルにとってはやぶからぼうの質問のはずで、ますます怪訝そうにされた。だがロックのただならぬ様子に、記憶を手繰り寄せながら答えてくれた。

「確か……髪の色は木苺のようで、瞳は銀色であらせられた。お顔立ちはうまく思い出せないが、ミカエラの言うとおり神秘的なお方だったよ」

「やっぱり!」

 大声を上げたロックは、そのままエベルの手をつかむとぶんぶん振り回す。

「僕、会いました! 皇女殿下に会ったんです!」

「なんだって?」

 当然、エベルは呆気に取られた。

「ロクシー、自分が何を言っているかわかっているのか?」

「もちろんです! しかし今しがた聞いた特徴とも一致しますし、たいへん神秘的なお方だったんです!」

 ロックは先程まで『彼女』が座っていた椅子を指さし、

「ここ! ここにいらっしゃって、お話をしたんですよ。僕と!」

「まさか」

 エベルはその椅子を信じがたい様子で見下ろす。

「あなたの言葉を疑うのは心苦しいが、皇女殿下がこんなところにおいでになるはずがない。あの方は居城から出られることはまずないのだ」

「でも……」

 信じられないという彼の主張はわかる。

 それでも、ロックは確信していた。

「『彼女』はあなたのことを知っていました。あなたが呪いを受けていることを――そして、ご自身も同じだとおっしゃったんです」

 さっと、エベルの顔色が変わる。

 金色の瞳を見開いた彼は、しばらくしてから深々と息をついた。

「ではやはり、殿下には悟られていたのか……」

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