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忘れがたい一夜(4)

 厩に、ほとんどなだれ込むように人々が現れた。

 村長のオルサスを先頭に農夫風の男が大勢で、わずかながら鍛えた風体の女もいた。彼ら全員が手に鍬や鎌などを握っていたが、顔つきの険しさからして畑仕事の帰りというわけではないようだ。ただ、いつでも振るえるように身構えているのはロックにもわかった。

 狭い厩が人で埋まる。入り口は塞がれ、ロックたちの背後には馬車と壁があるばかりだ。


 エベルはイニエルに目配せを送ると、ロックとカートを自らの背中に隠す。イニエルは馬車を守るように傍らに立ち、手綱をそっとつかんでいた。

 かばわれた格好のロックはそれでも目を背ける気になれず、エベルの陰から事の成り行きを見定める。

「何事かな、穏やかではない様子だが」

 先に口火を切ったのはエベルのほうだった。

 警戒心をあらわにした声は尖っていたが、それに怯えたのはカートだけだ。村人たちはまるで動じず、オルサスもまた眉ひとつ動かさない。

「カートからお聞きになったのでしょう、閣下」

 そして、抑揚のない声でそう応じた。

「であれば、おわかりのはず。我々はあなた様のようなかたをお待ちしておりました」

「何のために?」

 即座にエベルが問い返す。

「儀式のため、でございます」

 オルサスは何かを読み上げるように、すらすらと答える。

「あなた様のお力が我々には――いえ、これからの時代には必要なのでございます。ご覧のとおり、ここはたいへん貧しい村でございます。汗水垂らして働いてよい作物を育てても、帝都の商人どもが安く買い叩いていくので儲けは多くはありません」

 たしかにここは、他の農村と同様に豊かではないのだろう。村人たちの服装は質素な麻で仕立ててあったし、靴もまるで原始的なぼろぼろの布製だ。ここに着いたばかりのときは村に立つ家々を見てきたが、まったく裕福そうには見えなかった。

「帝国などと呼ばれていても、帝都の中と外ではまるで違う国のようでございませんか。帝都にはこんなみすぼらしい格好の人間などそうおらんでしょう?」

 オルサスは問いかけたが、ロックはそこで眉をひそめた。

 そんなもの、貧民街にならいくらでもいる。珍しくもない。


 だが、帝都の壁の向こうにはおそらく存在しないのだろう。

 ロックも数えるほどしか尋ねてはいないが、帝都の中には美しい街並みがあり、洗練された人々が暮らしているのを見てきた。豊かさと安全と美に恵まれた、帝国の誇りであるはずの都だった。

 選ばれた者、市民権を持つ者だけが暮らす場所――それが帝都の中だ。


「その問いの答えが、私とどう関係がある?」

 エベルが切り捨てても、オルサスは気にしたふうもなかった。淡々と、感情を見せずに続けた。

「われわれが困窮から抜けだすために、そしてこの時代を変革するために。あなた様のお力をお借りしたいと存じます」

「変革だと?」

「あなた様にはそのお力がおありでしょう、『人狼閣下』」

 オルサスの言葉に、察してはいたはずのロックも息をのむ。

 彼はエベルの顔を、金色に輝く双眸をじっと見据えていた。

 いや、彼だけではない。この場に集う村人すべてがエベルの瞳に強い視線を向けている。それでいて彼らの目の色は、ひとりとして金色ではなかった。

「この力は……そんなものではない」

 ゆっくりと、エベルが息をつく。

 湧き起こる怒りを逃がそうとしたのだろう。だがいくらかは声音にもにじんでいて、カートは不安げにエベルにすがりつく。

 ロックも胸の痛みを覚えた。人狼の呪いに対するエベルの苦悩はロックもよく知っている。その力が今日まで、どれだけの人々を悲しませてきたのかも。

 しかし今もなお人狼の力を欲する者たちがいた。そのことがひどく悲しい。

「あなた様はお気づきでないだけです」

 オルサスは言う。

 彼自身の意思を感じさせない、熱のこもらない声で言う。

「人狼の力は全てを変える力でございます。あなた様がいれば貧しい人々を救うことも、この国に変革の時代をもたらすこともできましょう。そしてもちろん、帝国の圧政を覆すことも――」

「――私が陛下に仇なすと思うか!」

 エベルがついに怒声を放ち、オルサスの言葉を遮った。

 背後にかばわれたロックにはわかる。彼は激しく憤り、肩を震わせていた。

「私を不忠者と疑る、それがいかほどの罪かわからぬわけではあるまい!」

「これは不忠ではございません、革命でございます」

 オルサスの口調は、エベルの激高と対照的だ。

 だが彼の言葉は本心ではないのだろう。誰かが言わせているのだ、カートの時と同じように。

「すべてが終われば歴史は勝者のものとなりましょう。人狼と、人狼を信じた者たちが、次の時代を創るのでございます。古き支配を打ち壊し、希望に満ちた新時代をです」

「そんな気はない。ばかげた話だ」

 エベルが強くかぶりを振ると、オルサスは骨ばった肩を呆れたように上下させた。

「なんともったいない……閣下にはそのお力がおありだというのに、貧しい人々の苦しみに袖手傍観するとおっしゃいますか。あなた様なら新時代の英雄となれましょうに」

「私の力は、大切なものを守るためにのみ振るうと決めている!」

 そう叫んだエベルは、右腕でロックの腰を抱き寄せ、左の腕ではカートの肩をしっかりとかかえた。唐突なことにロックは戸惑ったが、すぐに察した。

 彼はこの場を離れる気だ。

「仕方ない。力ずくでも神の御前、我らが神殿へご一緒いただきましょうか」

 オルサスが嘆息すると、待ち構えていたように獲物を抱えていた人々が距離を詰めてくる。間合いを見計らうようにじりじりと迫る彼らの表情は、死人のように無感情に見えていた。

「イニエル!」

 エベルが御者の名を呼んだ。

 すかさずイニエルは馬車に飛び乗り、からっぽだった御者席に滑り込む。

 それを横目で確かめたのち、エベルは右腕にロックを、左腕にはカートを抱え上げた。かと思うと軽々身をひるがえし、背後にあった壁に渾身の蹴りをぶち込んだ。

「ええっ!?」

 戸惑うロックの悲鳴をよそに、薄い厩の壁は木片と埃と轟音をまき散らしながら破られた。それをいいことにエベルは厩の外へ飛びだし、

「追うのです!」

 オルサスが初めて声を張り上げたのを契機に、村の人々もまたわらわらと厩から出てくる。

 だが人の姿をしていても、人狼の力を得たエベルは強靭で敏捷だった。ロックとカートを両脇に抱えても難なく隣家の屋根に飛び乗り、そこから屋根伝いに厩を離れ、駆けていく。相変わらず風のような速さで、抱えられたロックは目を開けているのが精いっぱいだ。

「どこへ行った?」

「上だ、屋根にいるぞ!」

 村人たちの声がもう遠くに聞こえる。思えば彼らの声も初めて聞いたとロックは思う。

 風圧と揺れる前髪に負けじと目をこじ開ければ、すでに小さくなった厩から見慣れた馬車が駆けだしていくのが見えた。イニエルを追うものは誰もいない。追手はすべてロックたちを――エベルだけを求めているようだった。

 おかげでイニエルは逃げられるだろう。

 ロックが胸をなでおろしかけた時、

「ふたりとも口を閉じろ、舌を噛むぞ!」

 エベルが警告を発したのとほぼ同じくして、彼の両足が民家の屋根を強く蹴った。たちまち彼の身体はロックたちを抱えたままありえないほど跳躍し、臓腑がひっくり返るような浮遊感がロックを襲う。

「うわっ、ふ」

 上げかけた悲鳴をこらえようと、ロックはエベルの胸にぎゅっと顔を押しつけた。

 そのまま三人は村を取り囲む背の高い木々の梢に飛び込む。木は大きくしなりながらも枝葉を広げて三人を受け止め、がさがさと悲鳴じみた音を立てた。

 激しい風の日のように揺れる木の上で、エベルはどうにか姿勢を立て直す。

「もう少し動く、辛抱してくれ」

 そしてまた枝のしなりを使ってまた大きく跳び上がったかと思うと、次の木へ、また次の木へと渡り歩き――ロックはいましばらくの間、彼の胸に顔をうずめていなければいけなかった。


 そうして三人が逃げ込んだのは、木の梢に立つとかろうじて村が見えるほどの山奥だった。

 しっかりとした太い枝にロックとカートをそれぞれ座らせた後、エベルはようやく息をつく。

「ひとまず、逃げては来れたな。イニエルもおそらく大丈夫だろう」

 ほとんど呼吸を乱していない彼の傍らで、ロックもカートも肩で息をしている。ぜいぜいと苦しいのは人狼の脚の速さと跳躍力が人智を超越していたからだ。

「い、いつもながら、素晴らしい逃げ足です……」

 先に落ち着いてきたロックが褒めると、エベルはわずかにだけ口元をゆるめる。

「あなたを危険にさらすわけにはいかないからな。もっとも、すでに危険な目ではあったかもしれないが」

「いえ、守ってくださりありがとうございます」

 村人の目的はあくまでエベルのようだが、まるで操り人形のような彼らが何をしてくるかは想像もつかない。ロックが不要物だと判断されたら山に捨てられるかもしれなかったのだし、逃げて正解だろう。

 それに、今は情報が乏しい。

「カート」

 大きく息を吐きだした後、ロックは枝の上にうずくまるカートに声をかけた。

 カートがおずおずと顔を上げる。その表情はひどく心細げだ。

「村の人たちの目的は何だと思う? 閣下をどうしようとしてるか、わからない?」

「たぶん、儀式だと……」

 先にも聞いた言葉を、カートは弱い声で繰り返す。ロックが顔をしかめたからか、あわてて言い添えた。

「あ、あの、僕にも――いえ、僕らにもわからないんです。ご覧いただいたならわかるでしょう、僕らはずっと、『何か』にささやかれているんです」

「ささやかれてる?」

 カートはこくんとうなづく。

「『人狼を集めよ、儀式を行え、そして祝福を多くのものに与えよ』……そんなふうに」

 そして彼の口からおよそ少年らしくない言葉が口にされると、ロックもエベルもはっとした。

「それは、誰の言葉だ?」

「この村の神だって、僕は教わりました」

 そこまで言うと、カートはどこか釈然としない顔でこめかみを押さえる。

「でも……でも、変なんです。僕らはそのことをずっとわかっているわけじゃなくて、いつもは忘れているんです。そして必要な時だけ、思い出がよみがえるみたいに頭に浮かんでくるんです。すごく大事な、恐ろしいことなのに、ここに帰ってくるまでちっとも思い出せなかったんです……」

 話すごとに彼の声は恐怖に震えていくようだ。やがて涙を溜めた目でふたりを見上げた。

「ごめんなさい閣下、ロックさん。僕はとても危険なところに連れてきてしまいました……」

「君のせいではないよ」

 エベルはさらりとそう答える。

 そしてロックを振り返り、今度はしっかりと微笑んだ。

「危険な目にもあわせはしない。必ず守ってみせよう」


 だがロックはこの時、またしても奇妙な感覚にとらわれていた。

 すごく大事な、なのにちっとも思い出せないこと。

 自分にもそんな記憶があったような気がする。不安にも焦燥にも似た、何とも言えない胸騒ぎをともなう記憶が――。


「ロクシー?」

 エベルに呼びかけられ、ロックははたと我に返る。

「顔色がよくないな、さすがに疲れたか?」

「いえ、大丈夫です。ちょっと……考え事です」

 理由のわからない胸騒ぎを振り払い、答えた。

「それより、もうじき日が暮れますよ。どうします?」

 向こうの山の端にじりじりと太陽が近づきつつあるのが見えた。日の光は熟したように濃さを増し、それに伴い木々の影もまた闇の深さを増していく。

「日が落ちるのを待とう。イニエルと合流したい」

 エベルは言い、それから彼自身も何か思い出したように口元に手を当てた。

「いや、あるいは――村長の言った『神殿』とやらを見ておくべきかもしれない。彼らにささやくものがそこにいるというならな」

 オルサスはたしかにその単語を口にしていた。

 かつてロックがアレクタス夫妻に連れられて行った、あの遺跡のような場所が、この村にもまた存在しているのかもしれない。だとしたら、このまま逃げ帰るだけというわけにもいくまい。

「向かわれるならご案内します」

 真っ先にカートが言った。

 エベルとロックが目を向ければ、少し気まずそうにしてみせたが。

「その……信じていただけないかもしれませんが、僕も村のみんなを助けたいんです。本当です」

「信じているとも、カート」

 即座にエベルはうなづき、とたんにカートが泣きそうな顔をする。

「閣下、ありがとうございます!」

 ロックはエベルが言うほど少年を信じているわけではなかったが――彼自身の意思ではないことも十分わかっている。

 だとすればもう一人くらい、お目付け役が必要なはずだ。

「僕も行きます、エベル」

 ロックの宣言に対し、エベルは一瞬だけ金色の目をみはった。だがすぐにその目を細める。

「私を守ってくれようというんだな、ありがとう」

「もちろんです」

 人狼の呪いに苦しむ彼の、支えになりたい。

 その想いはたしかにロックの胸の内にあり、どんな感情にも決して揺るがなかった。

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