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手で触れてわかること(2)

 考えた挙句、ロックはエベルに救いを求めた。

 言うまでもなく、彼は貴族だ。皇女については一般人よりもはるかによく知っているだろうし、先日の口ぶりでは面識もあったようだった。情報を得るならまず彼に当たるのが適切だろう。

 その他に身分貴い知己といえばリーナス兄妹もいるのだが――交流を得た後でもいきなりミカエラに頼み込むのは不躾に思えたし、グイドは頼みごとをしやすい相手ではない。そもそも帝都内の知り合いが乏しい以上、やはりエベルに頼るしかなさそうだ。

 そういえば、彼はここひと月ほど顔を見せていなかった。皇女の婚礼の件で帝都内は大賑わいだろうし、伯爵閣下にも何かやるべき務めがあるのかもしれない。そんな折の連絡に後ろめたさも覚えつつ、ロックは手紙をしたためた。

 ――皇女殿下について、ご存知のことをできるだけ教えていただきたいのです。


 エベルの反応は早く、手紙を送ったその次の週、ロックはフィービと共にマティウス邸に招かれた。

 しかもさらなる情報源として、グイドとミカエラも呼んでくれるという手の回しようだった。


「閣下はさすが、お優しいなあ」

 迎えの馬車に揺られつつ、ロックは上機嫌でつぶやいた。

 すかさず同乗するフィービがにやにやし始める。

「お優しい? 単に惚れた弱みってやつだろ」

「あのねえ、父さん」

 ロックがにらむと、父はどこか愉快そうに笑い返してきた。

「違うか?」

「知らない!」

 気恥ずかしさと少しの悔しさをかみしめつつ、ロックは車窓に顔を向けた。

 貴族特区の美しさは何度訪れても見慣れない。整然と敷き詰められた石畳、噴水のある広場、街角のあちらこちらを彩る花壇など、貧民街とはまるで別世界だ。街行く人の装いも見るからに格式高く立派で、婦人たちが身に着けたドレスも最新流行の型ばかりだった。興味深いと思う一方で、美しいものだらけの街並みはロックの目にはまだ眩しい。

 道の向こうにマティウス邸の敷地が見えてきた時、内心ほっとしたくらいだった。


 馬車を降りたロックとフィービを、待ち構えていた小さな人影が出迎えた。

「いらっしゃいませ……」

 進み出てきたのはカートだ。

 そばかすの目立つ少年は、折り目正しいお辞儀の後で気まずげな表情を見せた。

「お、お久し振りです。ロック様、それにフィービ様」

「ああ、どうも」

 ロックもなんとなく反応に困る。

 いつもなら客人を迎えるのは執事のルドヴィクスだ。そうでなくとも未だ身元不確かなカートが、こうして表に出る役目を仰せつかっていることに戸惑いがあった。

 しかし二人の前に立つ少年は、白いシャツと天鵞絨のベストを身に着け、じろじろ見られても無駄口をたたいたりはせず、すっかり使用人然としている。

 御者のイニエルが、馬と共に引き上げながら声をかけた。

「カート、お客様をご案内しろ。前みたいに迷子になるんじゃないぞ」

 からかうような陽気な口調に、カートの口元が一瞬ゆがむ。

 もっともすぐに顔を引き締め、小さな使用人はうなづいた。

「ご案内します、どうぞ」

「……へえ」

 彼に続いて屋敷に入った後、フィービが低くうなったのをロックは聞いた。

 感心しているのか、それとも警戒しているのか――父の横顔はどこか複雑そうに見えた。


 過去にそういう出来事があったのかどうかは不明だが、ともかくも今日のカートは迷わずにふたりを応接間まで導いた。

「こちらでしばらくお待ちください」

 そう言い残したカートがそそくさと立ち去った後、入れ違いのような素早さでエベルと、茶器を載せた台車を押すヨハンナが現れた。

「よく来てくれた、二人とも」

 ひと月ぶりの顔合わせだからか、エベルの笑顔は実にうれしそうだ。

 ロックも幸せな気分で応じる。

「こちらこそ、お招きいただきうれしかったです」

「他でもないあなたの頼みだからな」

 エベルの顔つきが柔らかくほどけるのが、目に見えてわかった。

 それを見たロックははにかみ、隣でフィービが何か言いたげに首をすくめる。

「今日はあなたに頼まれたとおり、皇女殿下について我々の知りうる限りの情報を差し上げられたらと思う。私とグイド、それにミカエラは殿下にお目にかかったことがあるからな」

 事もなげにエベルは言った。

 それなら三人からは皇女について、容貌や人となりなどの情報を得ることができそうだ。ロックは感謝と安堵で胸をなでおろす。

「ありがとうございます。ドレスを仕立てるにも、皇女殿下がどんな方か存じないうちは、どうにもならなくて……」

「なるほど」

 ロックの仕事ぶりをよく知るエベルは、いたく納得した様子だ。

「確かに、あなたは顧客のことをよくよく把握しているな。私が少し痩せただけで気づいてくれるほどだ」

 そう言い添えた口調はどことなく、からかうようでもあったが。

「それはまあ、仕立て屋ですので」

 ロックがもごもご答えれば、エベルのみならずフィービ、それにヨハンナまでもが小さく笑った。

 室内の空気が和んだところで、エベルが再び口を開く。

「グイドとミカエラも直にやってくるが、馬車の移動で喉が渇いただろう。先にお茶にしようか、――ヨハンナ」

「はいっ!」

 おとなしく――ではなかったが、ずっと後ろに控えていたヨハンナが返事をした。

 そして非常に張り切った様子で、まずは三人分のお茶を淹れ始める。

「お待ちくださいねロック様、フィービ様! わたくしが最高においしいお茶を淹れてみせます!」

 給仕の時でも彼女は、たった一人で賑々しい。

 それを微笑ましく見守っていれば、応接間にはさわやかなお茶の香りが立ちのぼり、たちまち三人分の色美しいお茶が用意された。それらを配り終えた後、ヨハンナは台車から覆いがかけられた大皿を取り上げる。

「それとおいしいお茶菓子もご用意いたしました!」

 意気揚々と覆いが取り払われると、目にもおいしそうなお菓子が現れた。小さく丸い焼き菓子の上にリンゴやイチジクの砂糖漬けがぽってりと載せられていて、そのつややかな色味はさながら宝石のブローチのようだ。

 ちょうどお腹が空いていたロックは浮かれたが、そこでヨハンナの動きが止まった。

「あ、あれ? 数が合わない……」

 急にまごまごし始めたヨハンナが、大皿の上のお菓子を指さし確認している。

「どうした、ヨハンナ」

 エベルが尋ねると、小間使いは慌てふためきながら答えた。

「お茶菓子の数が足りないんです。お客様の分も合わせて、ちゃんと五個ずつ焼いたのに――」

 ロックも目で数えてみたが、リンゴの砂糖漬けが載った焼き菓子は皿の上に四枚しかなかった。

 自分とフィービ、これからやってくるグイドとミカエラ、それにエベル。確かに一つ足りない。

「間違えたんじゃねえのか」

 フィービが口を挟むというより、独り言のようにつぶやいた。

 するとヨハンナは珍しくむっとしてみせる。

「違います! これはきっと、あの子のせいです!」

「あの子って?」

「カートですよ! ダメだと言ってるのに、いつもいつもつまみ食いをするんです! 昨日だって閣下のお昼のパンを一切れくすねて、叱ったばかりなんですよ! お行儀が悪いって言ってるのに!」

 ヨハンナがとても悔しそうに地団駄を踏むので、エベルが苦笑まじりにたしなめた。

「まあいい、足りない分は私から取ってくれ」

「でも、閣下……」

「お客様の前だ。カートには、君からよく言い聞かせてくれないか」

「……かしこまりました」

 飲み込み切れない様子ではあったが、ヨハンナはうなづいた。

 そして給仕を終えると、獲物を探す獣の目つきで応接間から立ち去っていった。


 一連のやり取りを、ロックは不思議に思いながら聞いていた。

 あのカートがつまみ食いをするだろうか。

 マティウス邸に身を置くようになってからというもの、カートはエベルの役に立とうと必死なそぶりに見えた。その行儀のよさは背伸びをしているようにしか見えなかったし、子供らしくないと感じる振る舞いもいくつか散見された。それも故郷の村に帰りたくない一心からなのだろう。

 だがヨハンナはつまみ食いの犯人に確証を持っているようだ。エベルもそれを否定していない。

 ということは――。


「見苦しいところをお見せしたな」

 ヨハンナが去った後、そうは思っていなさそうな口調でエベルが言った。

 ロックとフィービはそろって笑い、

「本当にカートが犯人なんですか?」

「あのやかましい娘がやらかしたんだろ」

 同時に疑問を呈すれば、エベルは笑って肩をすくめる。

「すでに前科がある。といっても、わざわざ罰するようなことではないな。帝都の食べ物は彼にはどれも珍しいようで、つい手が出てしまうのだそうだ」

 それは帝都の、というよりも『伯爵家の』というほうが正しいのかもしれない。

 だがどうやら、カートが犯人で間違いなさそうだ。

「あの子、もっとお行儀よくしてるのかと思ってましたよ」

 若干の失望を込めてロックは言った。

「ある意味、思ってたより子供らしいとは言えるがな」

 フィービはむしろ、ほっとした様子だ。

 確かに、不自然なまでに子供らしさのないカートが、目下唯一見せた子供らしさと言えるかもしれない。決して褒められたことではないが。

「彼のことだが……」

 エベルはそこで声を落とし、ロックとフィービが膝を進めるのを待ってから続けた。

「故郷の村に使いを送った。彼の身元を確かめ、処遇を尋ねるつもりで。それと、彼が帰りたがらない理由を調べるためにもだ」

 どうやらエベルはこのひと月、皇女の婚礼とは別の理由で忙しかったようだ。

「どうでしたか?」

「カートの話は真実だ。彼の正式な名前はカートラス・キケロ。帝都周辺にある農村の出で、両親はすでに亡く、村長の元で暮らしていた。村長によれば、彼はある日急に姿を消し、山狩りをしても出てこなかったので、獣にでもやられたかと思っていたそうだ。『カートが戻ってくるなら温かく迎え入れるが、帝都で働きたいというなら止めはしない』とのことで、何にせよ一度連れ帰って欲しいと言われたよ」

 この辺りは、彼から聞いた話と特に矛盾する点はないようだ。

 村長も、内心はともかく表向きはカートの意を酌もうとしているようだし、悪い人物ではないのかもしれない。

「それじゃ、あの子はどうして帰りたがらないんでしょう?」

 ロックが突っ込んで尋ねれば、エベルは形のいい眉をひそめた。

「わからない。使いの者も、村長とのやり取りではそこまで読み取れなかったようだ。子供らしい反抗なのか、養父との折り合いが悪かったのか、何らかの差別を受けてきたのか……カートは何も語ってはくれないからな」

 言いにくい事情がある、ということなのだろうか。

「例の、畑から出たっていう仮面の話は?」

 今度はフィービが口を開いた。

 するとエベルはいっそう険しい顔になる。

「何も。村の中にも通された家の中にも、それらしいものはなかったそうだ。村自体も裕福でもない普通の農村といった様子で、多少よそ者に厳しいところはあるが、他に不審な点もないと聞いている」

 よそ者に厳しいのはこの辺りの農村ならよくある話だ。それだけで怪しむわけにはいかない。

 だがカートが言ったとおりなら、彼を操っていた仮面はその村に眠っていたということだ。他に何もないと、確かめぬうちには言い切れないだろう。

「相変わらず、はっきりしねえことばかりだな……」

 フィービが苦しげにうめいた時だ。


 かすかな車輪の音が聞こえたかと思うと、応接間の窓から馬車が近づいてくるのが見えた。

 二頭立ての立派な馬車は、何度か目にしたリーナス家のものだ。


「グイドたちが来たようだ」

 エベルが短く息をつき、それから気を取り直したように笑う。

「今は、はっきりしていることから解き明かすとしよう。皇女殿下の話だったな」

 ロックもそれには賛成だった。

 目の前においしそうなお菓子もあることだし、まずは今日のお茶会を楽しむことに決めた。

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