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手で触れてわかること(1)

 皇女リウィア殿下。

 現皇帝ハイラス二世の五番目の御子であり、今のところ末娘にあたる。

 他の四人のきょうだいたちは全て皇子ということで、唯一の娘御でもあるらしい。御年十八歳。

 ――広く知られている情報はこんなものだ。


「大したことは書いてないな……」

 読んでいた本を閉じ、ロックはため息をつく。

 長椅子の背もたれに寄りかかると、慣れない疲労感が込み上げてきた。

 皇女についての情報を求めて、今日は貸本屋まで足を延ばした。フィービと違って読書の習慣がないロックは、普段ならせいぜい刺繍の図案をまとめた本くらいしか手に取らない。それが最近になって帝国の歴史や現皇帝についての書物を数冊借りてきたものだから、フィービには訝しがられていた。


 仕立て屋として、顧客の情報は必要不可欠だ。

 身の丈、身幅などの数値は当然のこと、本人の好み、髪や肌の色、時には出身地までもが仕立ての重要な情報になる。

 ニーシャの花嫁衣装は、彼女自身から話を聞いた上で作り上げたものだ。南方出身のニーシャから海の色と同じ生地を選んでもらったり、南方特有の花模様を教えてもらったりして、彼女にぴったりのドレスを仕立てることができた。

 だから皇女についても、情報収集の上でドレスを作ろうと思ったのだが――ロックは皇女の容姿を知らないし、借りてきた本にも何一つ書かれていなかった。

 そもそも皇帝ですら、その人物像は市井の人々にあまり知られていない。

 本の中の皇帝は功績や血筋を讃えられるばかりで、容姿や性格といった人間的な情報はまったくうかがえないのだった。


 そんな難題に挑むロックを、フィービは少し興味深げに見ているようだ。

「なんだって勉強なんか始めてんだ。早くも花嫁修業か」

 言われるのも無理はない。自宅の居間に本を積み、手が空けばそれを開いている。父はこれほどに勉強熱心な娘を見たことがなかっただろう。

「違うよ!」

 ロックは苦笑してから聞き返す。

「だいたい、花嫁修業に歴史とか必要?」

「そりゃ『伯爵夫人』ともなればな」

 フィービがからかうように言ったので、ロックは恥ずかしさに顔をそむけた。

「そういうのじゃないから!」

 もちろんロックも、『それ』にある程度の教養が必要なことくらいはわかっている。もしも本当にそういう未来が訪れたら、ロックが学ばなければならない事柄は山のようにあるだろう。

 だが今は、他に学ぶべきことがある。

「単に、皇女様のことを調べてるだけだよ」

 そう答えると、フィービはますます不思議そうにした。

「皇女殿下? なんでまた」

「ま、まあいろいろと……歳も近いみたいだし」

 とたんに歯切れが悪くなれば、何かあると言っているのと同じだ。

 しかしロックはその理由を、父には黙っていた。


 エベルが教えてくれた皇女の婚礼についての話は、まだ公になっていないものだ。

 それは彼なりの、ロックのことを思った上での支援に違いない。本来ならば下々の者には伝わるはずもない情報をくれた上で、ロックの最も得意なことで夢を叶えろと言ってくれたのだ。

 それならロックは彼の厚意に報いなければならない。

 そして、公になるまでは秘密を守らなくてはならない。ロックを発生源として噂が広まれば、誰から漏れたかは一目瞭然だ。

 だからロックはその話をフィービにもしていなかった。

 いずれ、明らかになることでもあるのだし。


 フィービの方も、幼くない娘のすることを深く追及はしなかった。

「皇女殿下、なあ……」

 ロックの隣に腰を下ろし、積まれた本を一冊取り上げてにらむ。

「やんごとなきお方の話は、あんまり詳しく本には書かないものだからな」

「そうなの?」

「ああ。俗な印象を持たれちゃ困るんだそうだ」

 そう言って、フィービは呆れたように肩をすくめた。

「俗も何も、皇帝やら皇女様やらと俺たちに、身分以外の違いなんざないのにな。まさか連中だけ卵から生まれただとか、地面を歩かず空を飛ぶとか、涙が真珠になるなんてことはあるまい」

 帝都内で言えば不敬罪に問われそうな発言だが、事実としてはそうだろう。皇帝陛下も皇女殿下も、ロックと同じ人間であるはずだ。

 だが彼らについての情報の乏しさは、確かにその神秘性を高めている。現にロックも今のところ、皇帝や皇女に対してはうすぼんやりとした印象しかなく、フィービのように同じ人間だと思うことはできていない。

「どうりで大したこと書いてないと思ったよ」

 ロックは閉じていた本を山に戻した。

 文字を追って疲れ切った目をつむれば、フィービがいたわるように手のひらを載せてくる。

 温かかった。

「そういや歳は近かったか」

 そのまま、フィービが続ける。

「皇女殿下は、確か今年で十八だったもんな」

「知ってるの?」

 目を覆われたままで聞き返すと、短いため息が落ちた。

「そのくらいはな。ご生誕の際はすごかったぞ、皇帝陛下が国を挙げて祝わせたから、もう帝都じゅうお祭り騒ぎだ」

 どうやら父は、そのお祭り騒ぎを目の当たりにしたようだった。

 十八年前といえば、ロックはたったの二歳だ。当然ながら記憶はなかったが、その時自分と母がどうしていたのか――さすがに聞きづらかった。

「そうか……十八か」

 フィービは娘の内心にも気づかず、何かを察したように唸った。

「ぼちぼち婚礼の話が持ち上がってくる頃だな」

「え!?」

 思わず、ロックは跳ね起きる。

 驚いて手を浮かせたフィービが、娘をけげんそうに見下ろした。

「どうした?」

「あ……、ええと、別に」

 とっさに反応してしまったが、今の態度では答えを言ってしまったようなものだ。

 ロックはどうにかごまかそうと語を継いだ。

「も、もし皇女殿下がご結婚されるなら、お相手はきっと相当な身分の方だろうね」

「まあ、そうだろうな」

 釈然としない顔ながらもフィービがうなづく。

「ましてや大事な一人娘だ。皇帝にとっちゃ目に入れても痛くないほどかわいい存在だろうし、そんな娘を任せられる相手といえば腕が立ち、頭が回り、人柄もよくないとだめだろうな。俺だったら俺より弱い男に一人娘を渡したりはしない」

「陛下も同じように思うかな」

「思うだろ。父親ってのはそういうもんだ」

「ふうん……」

 それならエベルは合格だ。ロックはこっそり安堵した。

 だがフィービは違う解釈に行き着いたようだ。突然その顔をこわばらせたかと思うと、娘に向かって鋭く尋ねた。

「まさか、閣下が皇女と婚約するっていうんじゃないだろうな?」

「ええ!? なんで?」

「少なくとも閣下は条件をすべてくぐれてるだろ。年齢的にもちょうどいいし、公的には婚約者もいない。まして皇帝の命となれば、さしもの閣下も断れはしないはずだ」

 フィービは疑わし気に碧眼を吊り上げている。

「お前が皇女のことなんか調べてるのも、恋敵について情報を得ようとしてるからじゃ――」

「違うよ!」

 娘のこととなると短絡的になるのも父親というものなのだろうか。

 さておきしっかり否定はしつつ、ロックは真実を父に明かさなかった。


 それからひと月も経たないうちに、皇女殿下ご成婚の発表が公式に行われた。

 エベルが語ったとおり、相手は北方の第一伯爵ユスト閣下。皇女殿下はお輿入れという形で北へ行き、伯爵夫人になるという。北方では近年まで多数の部族が争乱を繰り返していたが、第一伯爵が定まり皇女を迎え入れることでめでたく鎮まり落ち着くであろう、そして皇帝が北方と強い繋がりを持つことで、帝国は一層の繁栄を見せることだろう。新聞にはそう書かれていた。

「そんなにうまくいくもんかね」

 とは、真相を知ったフィービの言葉だ。

 顔に安堵をにじませつつも、厳しい口調で語った。

「国が乱れるのはこういう時だ。めでたい話で頭に花が咲く野郎もいるだろうし、もっと厄介なのは騒ぎに乗じて何かやらかそうって奴だ。皇女の婚礼で警護に人が割かれれば、その分だけどこかが手薄になるからな」

「それはあるかもしれないね」

 ロックも同じように思う。

 成婚の発表があってからというもの、貧民街に漂う空気もどこか浮つき始めていた。街角には暗号だらけの張り紙が貼り出され、街灯の光が届かぬところで密談をするうさんくさい連中も見かけた。『危険だが高給』とだけ記された傭兵の募集もこのところ急に増えたようだ。

「近いうちに集会禁止の布令が出されるって話だよ」

 先日食事に行った時、ジャスティアが迷惑そうに教えてくれた。

「帝都兵の奴ら、あたしらが集まれば悪だくみするって考えてるんだろうね」

 確かに近頃、街中を警邏する兵たちもどこかぴりぴりしている様子だ。落とし物を拾っただけで詰め所に連れていかれたという噂まで耳にした。

 あいまいな不安がふくらみつつあるのを、みんなが肌で感じているようだった。

「もしかすれば、時代の変わり目なのかもな」

 フィービがぼそりとつぶやいたのを、ロックもざわめく思いで聞いていた。


 しかしロックにとって目下最大の関心事は、やはり皇女殿下のドレスについてだ。

 集会禁止の布令より早く、婚礼衣裳を仕立てる者を募る布令が出された。

 条件はこうだ。皇女殿下ご所望の、帝都一美しいドレスを仕立てること。そのドレスを婚礼のひと月前に集め、皇女殿下御自ら選んでいただくこと。生地や装飾については不問とだけあり、肝心の身の丈身幅どころか、皇女殿下の容姿については一切知らされなかった。経費については言及すらなく、下手をすればドレス一着分の投資と時間の無駄遣い、ともなりかねない。

 だがそれでも、手に入る名誉と報酬は計り知れない。

「やるのか、ロクシー」

 父の問いに、ロックは間髪入れず答えた。

「やるよ。必ず帝都一のドレスを仕立ててみせる」

 するとフィービはにんまりと笑み、娘の肩を温かい手で撫でた。

「お前ならできるさ。俺とベイルの娘だからな」

 優しい手つきにこそばゆさを覚えつつ、ロックは決意を新たにする。


 まずは皇女殿下について情報を得なければならない。

 そのためには、誰にたずねるのが最適だろうか。

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