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花嫁たちは美しく(3)

 二週間後、クリスターとニーシャの結婚式が盛大に催された。

 公衆浴場の下のパン屋は花や葉っぱ、それに三角の旗を繋げたガーランドで飾り立てられている。食堂のテーブルには焼きたてのパンや炙り肉や果物といったごちそうが並び、葡萄酒の樽もたくさん運び込まれていた。普段からいい匂いのするパン屋の店内も、今日はことのほかおいしそうな匂いであふれている。


 もちろん結婚式の主役はパンや酒ではない。

 ロックの仕立ては見事に間に合い、今日のニーシャは誰よりも美しい花嫁としてこの場にいた。短い黒髪を花冠に編み込み、南方の海の色と同じ青いドレスをまとった彼女は、幸せそうな笑顔を花婿だけでなく、参列客にも惜しみなく振りまいている。彼女が挨拶のために店内を歩くたび、青いスカートに縫いつけられた小さな宝石がちかちかと光るのを、ロックは眩しい思いで眺めた。

「みんな、今日はいっぱい食べて飲んでいってね! あたしたちの奢りだから!」

 ニーシャがそう言って、花婿の腕を取る。

 花嫁ほどではないにせよ、赤いガウンで着飾ったクリスターがたちまち顔を緩ませた。

「まあ、そういうことだ。遠慮はいらない、こんな機会は二度とないからな」

 それが結婚式の挨拶だというのだから、当人たちの装いとは対照的な飾り気のなさだ。

 しかしそれは大きな歓声で迎え入れられ、そのままなだれ込むように祝宴が始まった。


 ロックが座るテーブルには、エベルとフィービ、それにどういうわけかトリリアン嬢がいる。

「トリリアン嬢、招かれてたんだ」

 嫌味でもなくロックが問うと、彼女はむしろ誇らしげに痩せた胸を反らした。

「呼ばれちゃいないよ。あたしひとり交ざったってわかりゃしないだろ」

「わかると思うけどな、目立つから」

「だいたい、商い仲間が祝いに来て何が悪いってんだね」

 そう語るトリリアン嬢は、祝宴が始まったとたんにジャガイモパンを掴んで豪快にかじりついた。大変な勢いで噛みちぎり、飲み込み、さらには葡萄酒もぐびぐびと水のように飲み干していく。

 年齢を感じさせないその食べっぷりに、ロックはもちろんフィービもあっけに取られた。

「ちょっと、お行儀が悪いんじゃないの? もう少し上品に食べなさいよ」

 フィービが苦言を呈すれば、トリリアン嬢は忌々しげに歯をむいた。

「うるさいよ! あんたこそ、こんな日になんだって女の格好してんだい」

「だってこれがあたしの正装ですもの」

「野太い声で馬鹿言うんじゃないよ!」

「馬鹿じゃないわよ。ねえ、ロック?」

 娘に水を向けて微笑むフィービは、完璧な化粧のおかげで完璧な美女の容貌を保っている。本日のドレスは光沢のない薄い綿で、花嫁と被らないように淡い紅色を選んだ。たっぷりとしたフリルで厚い胸板やがっしりした手首を隠したその姿を、フィービ自身は大変気に入っているようだ。

「ニーシャほどじゃなくても、今日のあたしはきれいよねえ?」

「うん、とってもきれいだよ」

 ロックも心から父を褒めた。

 それでフィービは満足そうにジャガイモパンをほおばり、トリリアン嬢は不満げにそっぽを向く。

「閣下もそう思いますよね?」

 エベルにも同意を求めると、上品にパンをちぎっていた彼は大きくうなづいた。

「異論はないな。こんなにも華やかなお姿を見られるとは驚きだ」

「あら。閣下にお褒めいただけるとはね」

 フィービは目を見開いたが、まんざらでもないようだ。うれしそうにしながら、すかさずロックを肘でつつく。

「ついでだから、あんたも褒めてもらいなさいよ」

「僕は特に着飾ってないし」

 帝都に住み始めてからずっと男装を続けてきたロックにとって、華やかに着飾る機会はほとんどなかった。それでも近頃は女の格好をすることがあったが、フィービのドレスを借りたり、人様のために仕立てたドレスだったりと――思えば手持ちの『女装』がない。

 それで今日も白シャツに麻の釣りズボン、どうにか正装に近づけようと羽織ってきたビロードの上着といういでたちだ。ドレス姿のフィービと比べると素朴すぎることこの上ない。

 だがエベルは優しく笑んでこう言った。

「あなたもとても素敵だ。よく似合うよ、ロック」

「あ……ありがとうございます……」

 照れてうつむくロックを、トリリアン嬢が奇妙なものを見る目で観察している。


 当のエベルは、さすがに市井の結婚式で正装するつもりもなかったのだろう。シャツと黒いスラックスという実に気兼ねない服装で、単身この場に現れた。

 そんな服装であっても身に着けた優雅なふるまい、上品さは隠しきれていなかったが、彼自身は気に留めてもいないようだ。

 宴はいよいよ盛り上がりを見せ、あちこちのテーブルで酔っ払いが騒ぎ始めている。タダだからとがばがば飲む者、肩を組んで下品な歌をがなりだす者、服を脱ぎだす者までいる。一番奥の席ではクリスターがどんどん酒を飲まされそうになり、ニーシャが代わりにと杯を引き受けているところだ。礼節と理性が重んじられることはなさそうな結婚式を、しかしエベルはどこか興味深げに眺めているようだった。

 本当に、参考にするつもりなのかもしれない。


「――ロック!」

 エベルを盗み見ていたロックは、突然遠くから名を呼ばれ、飛び上がらんばかりに驚いた。

「えっ、な、何?」

 振り向けば、忙しさに真っ赤な顔のジャスティアが手招きしている。

「暇なら手伝ってちょうだい。人手が足りないんだよ」

「なんで僕が? 僕も客で来てるのに」

「一番若くて活きがいいからね!」

 ジャスティアは当然という顔で言い切った。

 もっと言い返してやろうかと思ったが、彼女がジャガイモパンを何枚も重ねた皿を持っているのを見て、やめておいた。これだけの客を捌くのに、カルガスとジャスティアだけでは手が足りないのも当然だろう。ふたりには大層世話になっているし、少しは恩返しもしなくてはなるまい。

「しょうがないなあ……」

 ロックが重い腰を上げた時、つられるようにエベルも立ち上がった。

「私も行こう、ロック」

「まさか! 閣下にそんなことはさせられませんよ!」

 慌てて制止したが、エベルはまったく意に介していない。

「人手が足りないんだろう? 手伝いは多い方がいい」

「そうですけど――」

 貧民街の人間が飲んだくれている時に、由緒正しい伯爵閣下が給仕をするというのは、あまりにも道理に合わないのではないだろうか。

「でも大変ですよ。ジャスティアは人使いが荒いですから、軽い気持ちで手伝うなんて言ったら後悔しますって」

 ロックは声を潜めたつもりだったが、背後まで来ていたジャスティアには筒抜けだったらしい。ぺちんと背中を叩かれた。

「あいたっ」

「閣下に変なこと吹き込まないの!」

 そうしてロックをたしなめた後、ジャスティアは愛想よくエベルに告げる。

「どんなお手伝いも歓迎いたします、本日はまったく忙しいもので!」

「では決まりだな」

 エベルも心得たようにうなづき、奇妙な話だが、ふたり一緒に手伝うことになってしまった。

 ちなみにフィービは端からお声がかからなかった。理由は単純明快だ。

「フィービが給仕に行くと、どうしてか喧嘩を吹っ掛けられるだろうからねえ」

 ジャスティアの予測は正しい。フィービはどういうわけか貧民街の悪たれどもから反感を買いやすいようだ。それは女装のせいでもあるだろうし、麗しい容貌に反した腕っぷしのせいでもあるのかもしれない。

 なんにせよ、フィービは笑顔で娘たちを送り出した。

「頑張ってくるのよ。ここから見守っててあげるから」

 リンゴをかじりながら片目をつむる父に、ロックは苦笑いで応じた。


 この日のパン屋は本当に、目の回るような忙しさだった。

 カルガスが竈の前に張りついてパンを焼き続け、焼けたパンを片っ端からジャスティアとロックで運んでいく。そうこうしていると汚れた皿や杯が溜まっていくので、エベルが皿洗いを買って出た。

 忙しい中でもロックは時折、エベルの方に注意を向けた。シャツの袖をまくり、たらいの前に屈み込んで皿を洗う彼は意外と手際がよく、頼もしい限りだ。時々は彼もロックの方を見て、共犯者めいた微笑をくれるのが少しうれしくもある。

 しかし伯爵閣下を肉体労働に引っ張り出したと知ったら、ヨハンナたちはどんな顔をするだろうか。マティウス邸の従者の面々の反応を想像してみたロックだったが、彼女たちが憤慨する姿は不思議と浮かんでこない。むしろ最も腹を立てるのはグイド・リーナスではないかという気さえした。


 何度目かの給仕を終えたところで、カルガスが厨房からロックを呼んだ。

「ロック、クリスターたちのところにこれを」

 新しいパンが焼けたようだ。

 ロックがそれを受け取ると、寡黙なカルガスは小声で言った。

「悪いな」

「気にしないで。僕も給仕が楽しくなってきたとこ」

 そううそぶいて、ロックはクリスターたちの元へ足を向ける。

 店の一番奥に座る花婿と花嫁は、すでにだいぶ酒が入ってほんのり赤い顔をしていた。そしてロックの姿を見るや揃っていい笑顔になる。

「ロック、いつからパン屋の店員になったんだ?」

 クリスターがからかうので、ロックは肩をすくめた。

「今日限りだよ。仕立て屋を廃業する気はないからね」

「残念だな、似合うのに」

「商売敵を追い払おうったってそうはいかないよ。そもそも、あんたの奥さんのドレスを仕立てたのは僕なんだから」

 ロックが言い返すと、クリスターはかえって幸せそうに隣を見やった。

 彼の隣には比類なく美しい花嫁がいて、青いドレスを本物の海のように波打たせている。焼きたてのパンを口に運ぶしぐさは屈託がなく、そして幸せそうだ。

「感謝してるよ」

 やがて、クリスターは言った。

 しっかりとロックを見上げ、少しだけはにかみながら。

「ニーシャのことだけじゃない、俺のこともだ。お前がいなかったら、今のこの幸せはなかった」

 その言葉を否定する気はなかったが、余分な感謝まで受け取るつもりもなかった。彼を救えたのは運がよかったからだとわかっているからだ。

 ロックは小さくかぶりを振り、黙って笑顔を返しておく。

 それから、ふと思いついて尋ねた。

「クリスター、ひとつ聞きたいんだけどさ」

「なんでも聞けよ」

「市民権を買う方法って、知ってる?」

 自分より長く貧民街で暮らす彼なら、より事情に通じているかもしれない。そう思っての問いだった。

 現在のロックの目標のひとつだ。市民権を買い、父とともに貧民街を出る。そして帝都の中に店を構える――それがいかほどに難しい目標なのかは、クリスターが目を見張ったことですぐに察した。

「本気で言ってるのか? そいつは不可能ってやつだぜ、ロック・フロリア」

「どうしてさ」

 いきなり真っ向から否定され、ロックは鼻白んだ。

 だがクリスターは諭すように人差し指を立てる。

「貧民街の住人なんぞに、そんな貴重なもんをほいほい売る奴がいると思うか? いくら積んだって歓迎はされないだろうさ。それどころか市警隊に難癖つけられて、金だけ巻き上げられるのがオチだ、やめとけよ」

「で、でも、買えた人はいるんだろ? 僕は買えるって聞いたよ」

 雲行きが怪しくなってきて、今度は慌てふためく羽目になった。

 少なくとも父と母はそれを目標にしていたはずだ。しかしクリスターの物言いでは、そもそも叶わぬ夢であるかのようだった。

「俺は聞いたことねえな。悪いが、たったのひとりもだ」

 クリスターは同情めいた笑みを浮かべる。

「まあ、どうしても試したいっていうなら止められないけどな。行く時はフィービでも連れてけよ。お前ひとりじゃ何されるかわかんねえぞ」

 添えられた助言が、ロックの思考を上滑りしていく。


 父と母が市民権の獲得を目指していたのは、もう二十年も前のことだ。

 やり方や規則が変わったのかもしれない。金儲けができると踏んだ市警隊に不正が蔓延したのかもしれない。あるいは帝都内に人が増えすぎて、これ以上は受け入れがたいと売買中止に踏み切ったのかもしれない。

 ロックとしては、『初めから買えるものではなかった』という事実だけは考えたくもなかった。

 両親が抱いていた夢そのものが叶わぬものだったとは、思いたくなかった。


 打ちのめされたロックを見かねたのだろうか。

「ねえねえ」

 傍で話を聞いていたニーシャが、ロックの上着の袖を引く。

 顔を上げると、花嫁は目を輝かせて言った。

「あたしは難しいことよくわかんないけど、エベル・マティウスって伯爵なんでしょ?」

「……ああ、そうだよ」

 ロックはちらりと彼の方をうかがう。

 エベルは相変わらず皿洗いに精を出している。相変わらず楽しそうに。

「あたしの故郷じゃ、伯爵って国ごと治める偉い人だよ。南方の一等伯爵っていってね、もうほとんど王様みたいな人」

 屈託なくニーシャは続けた。

「ってことはさ、エベル・マティウスもその気になれば、ロックを帝都市民にできるくらいの権力はあるんじゃないの?」

 当然、あるだろう。

 現にエベルはあのカートを雇い入れることも考えているという。彼が正式にお屋敷勤めになるなら市民権は必要になるし、それを融通する力がマティウス伯にはある。

 ましてやロックは彼と未来を誓い合った仲だ。頼めば彼は、むしろ快くその通りにしてくれるだろう。

 だが――。

「……僕は、それじゃ嫌なんだよ」

 ロックは、居心地の悪い思いで応じた。

「なんで嫌なの?」

 ニーシャが怪訝そうに小首をかしげる。

「だってそんな、エベルに……なんて言うか、頼りっきりになりたくないんだ。そこで全部やってもらったら対等じゃないし、僕ばっかり甘えてるみたいだし……」

 うまく言えずにもごもごするロックを、クリスターとニーシャはまばたきをしながら見ていた。

 しかし不意に顔を見合わせ、揃って笑みをこぼれさせる。

「がめついだけの奴かと思ってたが、実は乙女なんだな」

「ロックかわいい! わかるよその気持ち!」

「え、何それ! どういう意味!?」

 新郎新婦が微笑ましげにうなづくので、ロックはうろたえた。

 だがふたりはにこにこするばかりだ。

「まあまあ、お前の夢が叶うよう応援はしてるぜ。未来の伯爵夫人にツテがあるのも悪かない」

「何かいい方法が見つかるといいね。好きな人とは肩を並べてたいもんね!」

 そこまで言われるとぐうの音も出ず、ロックはすごすごとその場を離れた。


 幸せいっぱいの花婿と花嫁に冷やかされるとはそれこそ奇妙な話だ。

 実際はまさしくニーシャの言うとおりだから、言い返せもしないのだが。

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