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ガラクタの街のあるきかた(4)

 いくつかの曲がり角を曲がった先で、二人の行く手を壁が遮った。

 ぼろぼろの板切れを気まぐれに打ちつけたその壁は、突風が吹けば飛んでいきそうなほど脆い造りだ。しかし高さはロックの視界を覆うのに十分だった。

「おや、おかしいな。昨日まではこんな壁なかったのに」

 エベルが唸るのも無理はない。貧民街はこういう場所だ。

 だがそれを伝えようとしたロックの耳に、初めて追跡者の足音が聞こえてきた。エベルの言う通り複数のものだ。その正体まではわからなかったが、厄介事の予感がひしひしとする。

「エベル、一旦戻りましょう。ここで立ち往生もできません」

 ロックが警告すると、エベルは首を竦める。

「戻る必要はない。さあこちらへ、ロック」

 エベルは不意を突くように、ロックの腰に手を回した。

「ひゃあっ!」

 腰を掴まれ悲鳴を上げたロックに構わず、エベルは一度屈み込んでから地面を蹴る。

 ロックを片腕で抱えたまま、急造仕立ての壁を軽々と飛び越え、その向こうにある民家の屋根に下り立った。そして素早く身体を翻し、袋小路になだれ込んできた追手の姿を確める。

 抱えられたままのロックも、屋根の上から彼らを見た。

 

 屈強だが着ているものは継ぎ接ぎだらけの男が三人だ。見るからに柄の悪そうな顔つきで、物騒なことに各々得物を手にしている。

 彼らは袋小路に視線を巡らせた後、屋根の上のエベルたちに気づいて声を荒げた。

「伯爵閣下ともあろうお方が、逃げる気か!」

「勝手に追いかけてきておいて無礼な物言いだな」

 不敵に応じながら、エベルはロックを背後に庇う。

 ロックは状況を呑み込めていなかったが、質の悪いのに顔を見られたら商売に響く。ひとまずされるがまま、エベルの背中にしがみついた。

「私に何用だ」

 エベルの問いに、男たちはそれぞれ曖昧に笑んだ。

「あんたがここをうろついてると、気分が悪いって奴もいるのさ」

 察するに、彼らは雇われのようだ。

 貧民街にはあぶく銭の為に汚れ仕事をする者も大勢いる。大抵は宿無しのその日暮らしで、彼らを雇う手合いもたかが知れるというものだ。だが失うものがない彼らは向こう見ずで、時に優秀な猟犬ともなり得る。

「下りてこいよ! 貴族様が女の前で敵前逃亡はねえだろ!」

 悪漢の一人が負け惜しみのように挑発した。

 ロックは訝しく思ったが、どうやらエベルの連れが貧民街の仕立て屋だとは知られていないようだ。女に見間違われるのは事実とは言え心外だったが、商売の為にもぐっと堪えておく。

 だが別の一人がエベルの背後に目を凝らし、

「おい、よく見ろ。ありゃ市場通りの仕立て屋だ」

 と口走ると、残りの二人もロックに気づいて囃し立てた。

「なんだ、ひょろひょろなんで女と見間違えたぞ」

「そうやって背中に隠れてちゃ、ますます男らしくねえな」

「う、うるさいっ!」

 これにはロックも、思わずかっとなった。

 だが、エベルはそれを手で制する。

「挑発に乗るな、ロック。ここにいれば連中も手出しもできまい」

「……すみません。このまま撒いてしまいましょうか」

 幸いにしてロックたちは高い屋根の上にいる。ここを伝って逃げるのは危険ではあるが、彼らを撒くには都合がいい。

 そう思って聞き返せば、エベルはすかさず答えた。

「無論。だがまずは連中を片づける」

「えっ? だって、相手は三人で――」

「少ない方だ」

 きっぱりと言い切ったエベルが、ロックを振り返る。その顔には状況にそぐわない悪戯っ子の笑みが浮かんでいた。

「それに、あなたの服を試すいい機会だ」

 ということは、彼は人狼の力を試すつもりのようだ。

「心配は要らない。私は何があってもあなたを、命を懸けて守り抜く」

 エベルはロックの前にひざまずき、照れもせずそんな言葉を口にする。

 その後で屋根から跳躍すると、悪漢たちの前にさっと降り立った。

「エベル!」

 叫びはしたが、さすがに後に続く気にはなれない。自分が戦力になれないことをロックは十分知っていたからだ。

 そして得物を手にした男たちがじりじりとエベルに詰め寄り、エベルが果敢に身構えたのを屋根の上から見守った。まだ直には目の当たりにしたことのない人狼への変身を、今夜は目の前で見守ることになりそうだ。しかしそうなると、ロックが仕立てた脱ぎやすい服はまさにするりと脱げてしまうのだろうし、それならロックは目のやり場に困ることになる。

 エベルが腰のサッシュベルトに手をかけ、

「う……」

 ロックが赤面しながら呻き、目を逸らした時だった。


「ちょっと待った!」

 聞き慣れた男の濁声が、緊迫する袋小路を打ち震わせた。

 とっさにそちらを向いたロックが目にしたのは、袋小路に駆け込んできた大柄な姿だ。

「おらあ!」

 栗色の髪の骨太な『美女』は、エベルに詰め寄ろうとしていた悪漢の一人を背中から蹴り飛ばした。

「ぶはっ」

 悪漢は前のめりに地面に突っ伏し、他の二人がぎょっとする。

「オカマ野郎、何しやがる!」

「てめえ、首突っ込む覚悟があって来たんだろうな!」

 罵りの言葉にも眉一つ動かさず、フィービは拳を握り固める。

「ロックの危機ですもの、突っ込むに決まってんでしょうが!」

 彼女は、どうやらロックを助けに来てくれたようだ。なぜここにいることがわかったのかは謎だが、その言葉にロックはほろりとした。

「フィービ!」

 思わず名前を呼ぶと、フィービはにやりとして片手を挙げる。

 対照的に、エベルは恨めし気な目で振り返った。

「ロック、私にも声援を」

「は、はい! エベルもどうぞお気をつけて!」

「ありがとう!」

 うって変わって声を弾ませたエベルは、その美しい青年の姿のままで悪漢の一人に飛びかかる。

 同じようにフィービももう一人の悪漢に拳を次々と叩き込み――その後は、ロックが瞬きをする間に全て片づいてしまった。

 悪漢たちが強烈なのを食らって倒れ伏す一方、エベルもフィービも反撃の一つも貰わず、汗すら掻かずに立っている。

「加勢に感謝する、フィービ」

 エベルがそう告げると、フィービはふんと鼻を鳴らした。

「たまたま通りかかっただけでございましてよ。それより、閣下はロックを連れてお逃げになって」

「え、何で?」

 屋根の上からロックが尋ねると、

「こいつら転がしたままにしておけないでしょ。後始末はやっとくから、とりあえずここから立ち去りなさい」

 フィービはくたびれたように肩を竦め、それでエベルも全てを理解したようだ。

「では頼む。ロックは必ず無事に家まで送り届けよう」

「当然! 言っておきますけど、あの子が傷一つでも負ったら出禁にいたしますわよ!」

「それは困るな」

 エベルは笑んだ後、再び地面を蹴って屋根の上に舞い戻ってきた。

 そして成り行きを見守っていたロックに告げる。

「そういうことだ、ロック。急いでこの場を離れよう」

「わ、わかりました。じゃあここから下りないと――」

「いや、新手が来るとまずい。屋根伝いに行こう」

 言うが早いか、エベルはロックの身体を片手で肩に担ぎ上げた。

「えっ、ちょっ、あの僕、歩けますから!」

「あなたを危ない目には遭わせられない。掴まっていてくれ」

 エベルが、今度は屋根を蹴る。

 恐ろしいほどのばねの力で隣家へと飛び移ったかと思うと、旋風のように走り出す。

「ひいっ!」

 ロックの悲鳴すら風に巻き上げ、エベルは建物の上を疾走する。屋根から屋根へと身軽に乗り移り、いくつかの掘っ建て小屋を悠々と飛び越えてはロックをどこかへ運んでいく。

 抱え上げられたロックには、上下左右に目まぐるしく転換する街の景色と空しか見えない。目が乾くほどの風圧に煽られ、自らの髪がばちばちと頬を打つ。あまりの速さに恐怖さえ覚え、あとはもう何も考えられなかった。

「わあああああああああ!」

 思わず上げた絶叫は、満天の星空に吸い込まれていく。


 どれくらい、走った頃だろうか。

 エベルがやがて減速し、どこかへ飛び移ったところでようやくロックを肩から下ろした。

「ここまで来れば平気だろう。ロック、気分は?」

「う……だ、大丈夫です……」

 硬い屋根の上に下ろされても、脚ががくがく震えている。立ち上がることもできぬまま、ロックは傍らに立つエベルを見上げた。

 目が合うと、エベルは微かに笑んだ。

「落ち着いたら家まで送り届けよう。しかし今は休んだ方がいい」

 その言葉には賛成だった。まだ頭もぐらぐらしているし、動悸も呼吸も乱れている。

 それに、追手がうろついているかもしれない。

「無茶をさせて済まなかったな」

 エベルはへたり込むロックの隣に座ると、吹きさらされた葡萄酒色の髪を手で梳いた。

 その手つきの優しさにびくりとしたロックは、取り繕うように咳払いをする。

「……先程は、みっともないところをお見せしました」

「みっともない? あなたにそんなところがあったか?」

 エベルは怪訝そうだったが、ロックとしてが不覚を取った事態だった。

「あなたに運ばれている間に、悲鳴を……」

 そう答えれば、エベルは軽く笑い飛ばしてくれた。

「あれは仕方あるまい。恐らく、あなた以外の人でもああなる」

「そうでしょうか」

「そうだよ。私としても、できればもっと優しく運びたかったのだが」

 エベルはやんわりと否定すると、ロックの髪を尚も撫でる。大きな手に触れられると、髪には何の感覚もないはずなのに胸がざわめいた。

「あ、あの、自分で直しますから」

 うろたえたロックは、エベルの手をそっと除けた。

 金色の瞳を瞬かせたエベルは、特に気を悪くしたふうではない。だがロックの方が気まずく、自ら髪を梳きながら、ようやく辺りを見回した。


 ここは貧民街でもひときわ高い建物のようだった。

 狭い四角形の屋根の下を除けば、空っぽの物見台が見える。貧民街では市警隊の警邏もおろそかで、物見台には常に人がいなかった。もっとも今はそのお蔭で、一息ついていられるのだが。

 屋根からはこの辺り一帯をぐるりと眺めることができた。日中は雑然として見えるガラクタの街も、こうして夜に眺めるとぽつぽつ浮かぶ家明かりが美しい。頭上に広がる星空のように、街にも温かく光る星が散りばめられているようだった。


「あの明かりは、先程の公衆浴場だな」

 遠くでほのかに光る円柱型の建物を指差し、エベルが言う。

「ええ、そうです。ずいぶん遠くまで来ちゃいましたね」

 ロックが頷くと、エベルもおかしそうに笑った。

「全くとんだ腹ごなしになったな。もっともお蔭で、こうして二人きりでいられるのだが」

 人気のない夜の貧民街、追手の姿ももはやなく、フィービが追い駆けてくる様子もない。

 そしてここは、兵士も来ない物見台だ。

 二人きりであることを自覚すると、ロックは落ち着かない気分になった。ただ仕立ての注文を受ける為に食事をしに来ただけなのに、いつの間にやらこんなところまで来てしまった。

 恐る恐る隣を窺う。

 エベルは、思いのほか真剣な面持ちで夜景を見ている。

「一つ、尋ねたいことがある」

 その彼が、不意に声を潜めた。

「は、はいっ。なんでしょう?」

 跳び上がりそうになるロックをよそに、エベルは冷静に尋ねた。

「フィービ――彼女は何者だ? あの身のこなし、素人とは思えない」

「ああ、そのことでしたら」

 出された話題になぜか無性にほっとしつつ、ロックは答える。

「彼女は昔、傭兵をしていたそうなんです」

「傭兵? そういう柄には見えないが」

「ええ、僕もです。でも実際、喧嘩もすごく強いんです」

 ロックはフィービが喧嘩で負けたところを見たことがない。

 貧民街の酔っ払いに絡まれても、胡散臭い詐欺師につきまとわれても、風貌をからかわれることがあってもその都度腕力で捻じ伏せてきた。かつては名うての傭兵だった、と本人は言っている。

「僕の父と出会ったのも、傭兵仲間としてだったそうです」

 そこまで語ってから、エベルが訝しげな顔をしているのに気づく。

 それで慌てて、一転して口ごもりながら説明を添えた。

「ええと……言いにくいのですが、フィービは父の恋人なんです」

「……そういうことか」

 これにはさしものエベルも驚いたようだ。

「母を亡くして、父がこの帝都にいると聞き、それで訪ねてきたんです。でも父ももういなくて、いたのはフィービだけで……」

 そして今では、フィービが唯一の身内と呼べる存在だった。

 自分と母を捨てた父には複雑な思いがある。その父が愛した存在にも、初めのうちはもやもやしたものを抱えていた。

 だが今となっては、会ったこともない父がフィービを愛した理由がわかるような気がしている。

「でも、さっきは驚きました。まさか助けに来てくれるなんて……運よく近くを通りかかってくれて、よかったです」

 ロックは無邪気に語った。

 だがエベルは、そこで自らのこめかみを押さえた。

「言いにくいのだが、ロック」

「どうしました?」

「彼女は、ずっと我々をつけていた。パン屋にいた時からだ」

「まさか!」

 ロックが半笑いで応じると、もはや確信した様子のエベルも苦笑する。

「私たちの後に客が来ただろう。フードを目深に被った大柄な客、あれがそうだ」

「――あ」

 覚えがあった。

 そういえばあの客は、店に入ってきて以来見かけていない。パン屋のジャスティアも、もしかすると知った上で目につかないところに座らせたのかもしれない。

「多分、僕を心配してついて来てくれたのだと思います……」

 恥じ入りつつ、ロックはエベルに弁解した。

「そうだろう。結果としては、別の追手の撃退にご助力いただけたからよかったが」

 エベルはそう言いつつも、どことなく不満そうにしている。


 そんな彼のシャツの肩口に、ロックはふと、小さな鉤裂きを見つけた。

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