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再会の時を待て(5)

 玄関ホールまで出向いたロックは、アレクタス夫妻と共に客人を出迎えた。


 ダニロが開けた扉をくぐり、リーナス兄妹が姿を見せる。

 二人はすぐロックに気づいたようだ。グイドが唇を引き結び、ミカエラもはっと目を瞠った。


 しかし動揺は一瞬だけで、すぐにふたりはアレクタス夫妻に視線を移す。

「この度はお招きいただき、ありがとうございます」

 グイドは長身を折り曲げ、表向き和やかに挨拶をした。

 アレクタス夫妻がそれにお辞儀で応じる。

「こちらこそ、お越しいただけて光栄に存じます」

 プラチドはそう言うと、まるで父親がするようにロックの背中に手を添えた。

「お蔭様でこうして、娘を迎え入れることも叶いました。ロクシーと申します」

「まあ、あの時の……」

 ミカエラが驚いたように声を上げる。

 それでグイドも頷き、聞いたことのないような猫撫で声で言った。

「あなたの身元を、アレクタス卿はずっと探しておいでだったのです。お力になれなかったことは無念の極みながら、こうして無事な姿を見られたこと、うれしく思います」

 そうして厳格そうな顔に微笑を浮かべる。


 演技だろうとはわかっていたが、グイドに笑みを向けられると違和感が胸を過ぎるロックだった。

 とは言えここで下手を踏めば何もかもが台無しだ。今は黙って首肯した。


「ささやかですが、お茶の支度が整っておりますの」

 ラウレッタも淑やかに口を開く。

「是非召し上がってくださいませ。娘の話もしとうございますし」

「ええ、では――」

 グイドが頷きかけたが、そこでミカエラが兄の袖を引いた。

「ねえお兄様、わたくしもお茶にご一緒しなければ駄目?」

 抑えた声で、しかしロックたちにもはっきり聞こえるような問いだった。

 もちろんグイドは顔を曇らせる。

「当たり前だろう。お前も客人としてお招きいただいたのだぞ」

「でも、大人同士のお話って堅苦しくて退屈なんですもの」

 ミカエラもつんと唇を尖らせた。

「それにわたくし、ロクシー嬢にお土産があるの。この子をお茶の席には持っていけないでしょう?」

 そうして提げていた鳥かごを持ち上げてみせる。

 中には一羽の白い鳩が、おとなしく止まり木に座っていた。

「あら、これは鳩かしら?」

 ラウレッタがミカエラの前に屈んで、かごの中身を覗き込む。

 するとミカエラはあどけなく答えた。

「ええ、兄が飼っておりますの。ロクシー嬢へのお友達の印です!」

 その口調はロックが知っているものより幼く聞こえた。

 それをラウレッタは演技だと見抜けなかったようだ。ロックの方を振り返り、こう告げた。

「ではロクシー、ミカエラ嬢をお部屋にご案内してちょうだい。わたくしたちは大人同士でお話をいたしますからね」

「……かしこまりました」

 ロックは内心の興奮を悟られないよう、行儀よく答える。

 そしてミカエラを伴い、自室へと急いだ。


 珊瑚色の部屋に引き入れられたミカエラは、まず胸を撫で下ろした。

 誰もいないことを確かめてからふっと真面目な顔になり、ロックの耳元に囁く。

「無事で何よりです、ロクシー・フロリア」

 それはロックが母から受け継いだ本当の名前だ。

 囁かれた瞬間、気が緩んでロックの目からは涙が零れた。

「あ……」

 気丈に立ち回っているつもりだったが、実は堪えていたのかもしれない。アレクタス家では十分な食事とある程度の自由を与えられてはいたが、見知らぬ家で過ごす時間は確かに神経を摩耗させていた。鏡を覗く度にやつれていく自分の顔にも気がついていた。

 ミカエラが助けに来てくれたのだとわかって、ロックは心から喜んだ。

「泣いては駄目。皆に悟られてしまいます」

 労わるように言いつつも、ミカエラもまた瞳を潤ませている。

 手のひらでそっとロックの涙を拭うと、携えてきた小さな鞄から石筆と石板を取り出した。

 まず彼女が筆を取り、文字を記していく。


 ――話を聞かれることがないよう、大事なことは文字で話しましょう。


 それを読み、ロックは頷いた。

 ミカエラはすぐに微笑み、声を弾ませる。

「ああよかった! あなたに気に入ってもらえなかったらどうしようかと思っておりましたの」

 部屋の外で聞き耳を立てる者の為に、会話もせよということだろう。

 彼女の意図を把握して、ロックは泣き笑いの顔で言った。

「ええ、とてもうれしゅうございます」

 そして手渡された石筆で、石板に本心を綴る。


 ――僕はこの通り元気です。アレクタス夫妻は僕のことを我が子のように可愛がっています。恐らく危害を加えられる心配はないでしょう。


 石板を読むミカエラが、いくらか表情を和らげた。

「本当によかった……。それが何より心配でした」

「お心遣いに感謝いたします、ミカエラ嬢」

 ロックが声で応じると、余裕が出てきたのかミカエラはくすくす笑う。

「ねえ、ロクシーと呼んでもよろしくて?」

「ええ、是非」

「ではあなたもミカエラと呼んでくださいね」

「え? いや、それは――」

 返ってきた申し出にロックは戸惑った。

 相手は身分貴き公爵令嬢、片やこちらは誘拐されてきただけの、元は貧民街の仕立て屋だ。

 だがミカエラは容赦しないというように石筆を取る。


 ――エベルのことは名前で呼んでいるのに?


 彼の名前を目にした時、ロックは自然と頬を赤らめた。

 ミカエラは自分をからかう気でいるのかもしれない。そういう状況ではないのだが、気づけば苦笑していた。

「おからかいにならないでください」

「……笑ってくれましたね、ロクシー」

 声を落とし、ミカエラは安堵したように呟く。

 そして石筆を返すかたわらロックの手を軽く握ると、愛らしく微笑んだ。

「でも呼んで欲しいのは本当です。わたくしたち、もうお友達でしょう?」

 その微笑みが、今はとても頼もしく、心強く映った。

「ええ、ミカエラ」

 だからロックもその名を、昔からの友人のように呼んだ。


 それから二人は表向き、仲良く会話を弾ませた。

「あの鳩はあなたへのお土産です。名前をつけてあげて」

「お名前ですか、難しいな……」

「あなたも名づけが苦手なの? お兄様と同じですね」

「リーナス卿もそうなんですか?」

「ええ。白ければ『白』、黒ければ『黒』とつけたがるの」

「僕もちょうど、白と呼ぼうと思っていました」

 他愛ないやり取りをしながら石筆が行き交い、石板の文字は書いては消され、また書き足された。


 ――僕の父は無事でしょうか?

 ――怪我ひとつなくご息災です。あなたのお店にいたあの方がお父様だったと知って、わたくしも兄も驚きましたけど、エベルはずいぶん慣れた様子でした。

 ――では父は、彼のところに?

 ――そのとおりです。ですが今はエベルと共に、すぐ近くまで来ています。


 ロックは思わず窓の外に目をやる。

 もちろん部屋の中からでは、露台の欄干と真昼の空しか見えはしなかった。

 だが父とエベルもここに来ている。そう思うと胸が熱くなり、また涙が出そうになるのを堪えた。

 ミカエラは気遣わしげな面持ちで石筆を取る。


 ――合図をすれば見える位置に。あなたを助けに来たのです。


 やはり二人は、自分を救おうとしてくれた。

 しかも彼らだけではなく、ミカエラやグイドまでもが手を差し伸べてくれている。

 ロックはうれしさに目を伏せたが、喜んでばかりもいられない。


 ――お気持ちは嬉しいのですが危険もあります。プラチド・アレクタスは人狼です。


 その忠告に、ミカエラはわずかに眉を顰めた。

 顔を合わせた時、もしかすれば察していたのかもしれない。


 ――あの目の色、エベルやお兄様と同じでした。

 ――彼もまた彫像の呪いで人狼となった一人です。

 ――では、彫像が他にもあったのですね?

 ――直接見てはいませんが、間違いなく。それに彼は、人狼教団と通じてもいます。


 ミカエラが息を呑む。

 愛らしいばかりの面立ちに、その時はっきりと憎悪と怒りの色が浮かんだ。

「そんな……!」

 無理もない。最愛の兄と幼なじみの元婚約者、大切な人たちの運命が同じ呪いによって狂わされたのだ。

 そしてその呪いは、人狼教団によってもたらされた。

「ミカエラ、これを」

 震えるミカエラの手に、ロックは黙って石筆を握らせる。

 ミカエラは言葉を無理やり呑み込み、どうにか石板に文字を刻む。


 ――今も存在しているとは思いませんでした。

 ――かつてあったものと同じ組織かはわかりません。ですがアレクタス夫妻はそれに縋り、そして願いを叶える為に人狼の力を得たのです。

 ――それで成したことがあなたの誘拐だと?

 ――そうです。傷ついた夫人の心を癒す為、アレクタス卿がしたことです。


 次の言葉を書くべきかどうか、ロックは少し迷った。

 今すぐにここを出たい、助けを乞いたいという気持ちは強い。このままミカエラの手を借りて、エベルや父の元に戻れるのならどんなにいいだろう。

 だがそうすれば、掴みかけていた真実を手放すことになる。

 勇気を奮い立たせて、こう綴った。


 ――来てくださったことには本当に感謝しております。でも僕はもうしばらくここにいて、人狼教団のことを探りたいと思うのです。


 ミカエラに石筆を渡す。

 彼女は瞳を揺らし、しばらくの間ためらっていた。

 だがロックと同様に、意を決して返事を書いた。


 ――エベルなら、そんなことは決して許さなかったでしょう。あなたをこれ以上辛い目に遭わせはしないと、我が身も顧みずここから連れ出そうとするでしょう。でも、


 でも。

 石筆が一度止まり、ミカエラは苦しそうに顔を歪ませる。

 それでもやがて、こう綴った。


 ――ですがわたくしは真実を知りたい。兄とエベルを苦しめる呪いを根源から絶ち切ってしまいたい。そう思います。酷いお願いとはわかっていますが、あなたに託すしかありません。


「そんなことはありません、ミカエラ」

 ロックは声に出して応じると、無理やり笑って石筆を握る。


 ――真実を知りたいのは僕も同じです。あの彫像がある限り、アレクタス卿のように自ら力を求める者も絶えないことでしょう。これは絶好の機会です。真実を掴んだら助けに来て欲しいと、そのようにエベルと父にも伝えてください。


「ロクシー、あなたは……」

 ミカエラが声を震わせる。

 今度は彼女が涙を零しそうに見えたので、ロックは黙ってその頬に手を添えた。

 心得たようにミカエラが頷き、瞬きで涙を追い払う。

「ごめんなさい、平気です」

 それから、お土産と称して持ち込んだ鳥かごに目を向けた。


 ――あの鳩は一度放てばわたくしたちの家まで辿り着きます。

 ――つまり、助けを求める時に放てということですか?

 ――そのとおりです。ただし一度しか使えないことをお忘れなく。

 ――では真実を掴んだらすぐにでもお知らせします。

 ――その時には今度こそ、わたくしたちの持て得る力の全てであなたを救い出してみせます。


 誓いの言葉の後で、ミカエラはじっとロックを見つめてきた。

 縋るようでも、許しを乞うようでもある眼差しからは彼女が抱く罪悪感がありありと窺える。

 だがロックは自ら望んでここに残るのだ。ミカエラが自分を責める必要はない。

「僕には今日、とてもよいお友達ができました」

 その思いを込めて、ロックは告げた。

「ミカエラ、これからもよろしくお願いいたします」

「ロクシー……もちろんです」

 しっかりと答えたミカエラが、その後で再び石筆を取る。

 痛みを堪える顔つきで筆を走らせた。


 ――兄が呪いを受ける直前のことを覚えていますか?


 石板からの問いかけに、ロックは目を瞬かせる。

 ミカエラは続けた。


 ――あの頃の兄はどこか様子がおかしかった。何かに取りつかれたようにエベルに執着し、人狼に興味を抱いていました。そして呪いを受け我に返った後、兄はその頃のことを曖昧にしか覚えていなかったり、なぜそうしたのかわからないと言いました。


 文字を追うロックは次第に寒気を覚え始める。

 そしてミカエラも、深刻な面持ちをしていた。


 ――同じことがアレクタス卿にも起きているということはないでしょうか。つまり、あの彫像の呪いは人を人狼に変えてしまうことだけではなく、人の欲望をより強く、抑えがたいものに変えてしまうのでは、と。


 思い当たる節はある。

 プラチドはラウレッタを深く愛し、その病んだ心を労わろうとしていた。

 だがその手段として姪の誘拐を企てるのはあまりにも短絡的な暴挙だ。

 そしてあの夜の誘拐事件が嘘のように、この家でのプラチドはよき夫、よき主人として振る舞っている。

 そんな二面性も全て、あの彫像がもたらす呪いだとすれば。

 彼の心もまた、かつてのグイドのように狂わされているのだとすれば。

 あるいはラウレッタの心もまた――。


 止めなければならない。

 この呪いの連鎖を断ち切らねばならない。

 ロックは覚悟を決めていた。


 文字でのやり取りは言葉を交わすよりもずっと時間がかかる。

 ロックにはミカエラに聞きたいことがまだ山ほどあったのだが――マティウス邸に身を寄せた父の様子も、イニエルの怪我の具合も、エベルがどうしているかも聞き出せぬうちに部屋の扉が叩かれた。

 ふたりは身を硬くして、ミカエラは石板と石筆を鞄にしまう。

 それを確かめてからロックは応じた。

「どうぞ」

 すると扉が開き、ダニロに案内されてきたらしいグイドが姿を見せる。

「お暇する時間だ、ミカエラ。長居をしては無礼に当たる」

「はあい、お兄様」

 ミカエラは渋々といった様子で立ち上がった。

 ロックも二人を見送ろうと席を立てば、深緑色のドレスをまとうその姿に、グイドが小さく唸った。

「ふむ……」

 どことなく感心したようなそぶりに見える。

 思えば女の姿でグイドと顔を合わせたのは二度目だ。そして一度目は彼も頭に血が上っていただろうから、驚くのも無理はない。

「お兄様、そうしげしげと見るのは無礼に当たりませんの?」

 ミカエラが、そんな兄を笑う。

「ロクシーの未来の花婿様に悪いでしょう。我が花嫁に見惚れるとは、って」

「見惚れてなどいない」

 グイドはとっさに否定すると、胸を張って続けた。

「それに我が妹ほど美しい女はこの世にはいないからな。ロクシー嬢もなかなかだが、ミカエラほどでは――」

「お兄様!」

 ミカエラが顔を赤らめそれを遮る。


 どうやら、リーナス兄妹の仲睦まじさは相変わらずのようだ。

 ロックは数日ぶりに心から笑うことができた。

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