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狩るものと狩られるもの(5)

 その馬車の車体には、ロックにとって見知らぬ紋章が描かれている。

 ツツジの花と左右に釣り合う天秤をあしらったその紋章に、誰よりも早くフィービが反応した。

「アレクタス家だ……」

 ロックはとっさに父を振り返り、いつになく硬い表情を目にする。

「閣下はあの家とお付き合いが?」

 フィービはエベルにそう尋ね、エベルは即座にかぶりを振った。

「不意の訪問を受けるような交流はない」

「なら、何しに来た……?」

「考えたくはないが、感づかれたと思うほかない」

 エベルはロックに視線を向ける。

 それでロックも、早々に現状を把握せざるを得なかった。


 どうやらアレクタス家は、ロックの居場所を探し当てたらしい。

 その手段も目的もまだわからない。

 だが、ロックにとって歓迎できない訪問であることは間違いないだろう。


 応接間の窓から外を窺っていれば、やがて馬車の扉が開いた。

 日暮れ前の強い西日の中、ひとりの婦人が姿を見せる。

 薄絹の覆いを被ったその婦人は、紺色の上品なドレスを着ていた。邸宅から庭園を挟んで門の前までは距離があり、更に遮る薄絹のせいでその顔までは見えない。

 だがフィービは、庇うようにロックの頭を押さえつけた。

「しゃがめ、ロクシー」

 そうして自らも窓の真下に身を潜めると、気怠そうに嘆息する。

「間違いない。ラウレッタ・アレクタスだ」

 ロックの知らない名前を口にした父が、すぐに説明を添えた。

「ベイルの姉、そしてお前の伯母に当たる人だ」

「今の人が?」

 その顔を見てみたい好奇心もあったが、ロックはぐっと堪えた。

 逆にこちらの顔を見られれば、厄介なことになるかもしれない。

「彼女と面識があるのか?」

 今度はエベルが窓の下のフィービに問う。

「昔、傭兵だった頃に」

 フィービが答えにくそうに肯定したので、代わりにロックが付け足した。

「父は傭兵時代、アレクタス家の依頼を受けたことで母と出会ったのだそうです」

「なるほど、お二人の馴れ初めというわけか」

「それは何とも素敵なお話でございます!」

「その話は今はいい」

 得心するエベルと目を輝かせるヨハンナに対し、フィービはきまりが悪そうだ。

 とは言え、牧歌的な会話を続けていい雰囲気でもない。

「まずは相手の出方を窺うとするか」

 エベルがそう唸った時、応接間に近づく足早な靴音が聞こえてきた。


 靴音の主は、執事のルドヴィクスだった。

「失礼いたします」

 一礼の後に応接間へ立ち入ると、硬い表情で主に告げた。

「閣下、アレクタス卿夫人がお会いになりたいとのことです」

「用向きは?」

 聞き返すエベルに、ルドヴィクスは粛々と答える。

「詳細は聞き出せておりません。非礼を承知で、どうしても閣下に直接お話ししたいことがある、と」

「追い返せそうな雰囲気か?」

「閣下がお出でになるまでは、梃子でも動かぬ様子」

 どうやらルドヴィクスと来客の間には、それなりの問答があったようだ。

 そして執事が事情を把握しているらしいことは、窓の下に隠れたロックとフィービを見る目の優しさでわかった。何も知らない者が見ればさぞかし滑稽な姿に映ったことだろう。

「……ひとまず、東の部屋へ通してくれ」

 エベルは考え考え、ルドヴィクスにそう指示をした。

「かしこまりました」

 執事が頭を下げたのを見てから、ヨハンナにも告げる。

「ヨハンナ、君は客人にお茶の用意を」

「はいっ!」

 小間使いが執事に続いて応接間を出ていった後、エベルはロックたちに向き直った。

「二人が時間を稼いでいる間に、作戦会議をしよう」

 緊張気味のロックには柔らかい微笑をくれる。

「安心していい、私は何よりもあなたの意思を尊重する。あなたが望む通りの対応を取るつもりだ」

 ロックもそのことは疑ってなどいない。

 ただ、ここを嗅ぎつけてきた見知らぬ伯母に対しては、空恐ろしいものを感じていた。


 卿夫人が別室に通され、窓の外に誰もいないことを確かめてから、ロックたち三人は椅子に座り直した。

 そして額を突き合わせ作戦会議を始める。


「アレクタス卿夫人の狙いは、確実にロクシーだろう」

 エベルは断定し、その証拠として馬車を指差した。

「先程ちらりとだが、聖堂で会ったあの男を見た。馬車の中にいた」

「では、礼拝堂で僕を見かけて……?」

 最悪の巡り合わせと言うべきだろう。礼拝堂を飛び出していったあの男は、アレクタス家の者だったようだ。

 それならば先方の目的はもう確定したようなものだった。

「でも僕はあの時名乗っていませんし、閣下も僕の名は口にされていないはずです」

 ロックが疑念を零せば、それにはフィービが答えてくれた。

「顔を見てわかったんだろう。あるいは髪の色かもな」

「それだけでわかるものかな」

 母譲りの葡萄酒色の髪の毛を、ロックはくるくると指に巻きつける。

 最近伸びてきたようで、そろそろ切らなければ男装に差し障ると思っていたところだった。

「何にせよ、私はこれから卿夫人と相対するつもりだ」

 エベルはそう言い、金色の瞳でロックの顔を見つめた。

「まずはあなたの意思を聞こう、ロクシー」

 無論、答えはとうに決まっている。

「アレクタス家は母が捨てたもののひとつです。僕には関わりもないし、関わりを持つ気もありません」

 きっぱりと言い切ってから、更に続けた。

「母はこの世を去る直前、父のことは教えてくれました。きっと助けてくれるから帝都へ行き、父を頼るようにって。でも生家のことは一言も口にしませんでした。それが母の答えだと思っています」

 ロックの言葉に、フィービが黙って目を閉じる。

 まるで祈るような、厳粛な面持ちだった。

「……よくわかった」

 エベルも深く頷くと、顎の下で十指を組む。

「ならば我々が取るべき対応は、大きく分けてふたつだ。あなたを徹底的に隠匿するか、あなたの存在を明かした上で拒絶の意思を伝えるか」

「僕の姿を見られているのに隠しきれますか?」

 ロックが疑問を呈すれば、軽い目配せが返ってきた。

「私は隠し事をするのに長けている。知らぬ存ぜぬを通してもいいし、聖堂で語った通りに私の母方の親戚であるとしらを切り通してもいい。何にせよあなたがロクシー・フロリアではないと言い張ることは、そう難しくはない」

 本当に造作もないように言ってくれるのが頼もしい。

 ほっとするロックをよそに、フィービが眉根を寄せてみせる。

「だが、それで根本的な解決になるわけじゃない」

「そのとおり。卿夫人を一時追い払うことはできるだろうが、彼女があなたを求めている限り、またこうして不意の訪問を受けることはあるだろう。次はあなたの元へ訪ねていくかもしれない」

 エベルも懸念に同意した。

 ロックはふたりの意見に異議があったが。

「貧民街まで、ですか? 貴族様が足を運んだりするかな……」


 目の前の伯爵閣下は貧民街を好きこのんで歩き回る物珍しい貴族だ。

 彼がどれほど希少な存在かは、以前店を訪ねてきたグイドとミカエラの反応からも窺える。

 しかし裏を返せば、のっぴきならない事情さえあればグイドほどの者でも、しかも最愛の妹を連れて貧民街へやってくることがあるのだ。

 アレクタス卿夫人がどんな思想の持ち主かはわからないが、こうしてマティウス邸まで訪ねてくるほどだ。ないとは言い切れまい。


 考え直したロックは、やがて肩を落とした。

「……ないとは言えませんね」

「そうだろう。彼女は行動力も、あなたにこだわる理由もあるようだ」

 エベルは気遣わしげに言って、もうひとつの案を口にする。

「そこであえて彼女に対し、あなたの存在を明らかにする」

 突きつけられた作戦にロックは自然と喉を鳴らした。

「つまり、僕が直接お話をする、ということですよね」

「必要に駆られればな。まずは相手の出方を窺う必要があるが、彼女があなたについて尋ねてきたら、ここにいると答える」

 ロックを探しに来たであろう卿夫人に対し、ここにいることを明かす。

 そうなれば次に相手が取る反応は――。

「恐らく卿夫人は、あなたに会わせろと言うだろう」

 エベルが淡々と語を継いだ。

「そうして私はあなたと卿夫人と引き合わせるが、その際にあなたの意思を彼女に伝える。アレクタス家には関わるつもりがないこと。それがお母上の遺志でもあること。あなたには既に生業があり、立派に独り立ちもした大人である以上、どこで何をするかを選び取る自由があること――」

 それから目を細めてこう言い添える。

「何なら、私と婚約をするつもりだと宣言してもいい」

「えっ、あの、それは……」

 ロックは照れてはにかんだが、それはできれば使いたくない手段だ。

 エベルとのことを口実にはしたくない。

 たとえそういう相手がいなくても、母の生家と関わる気は一切ないのだから。

「できれば、嘘のないように答えたいと思っています」

 だから、素直にそう告げた。

「ひとつでも嘘があれば、足元を掬われそうな気がするんです」

「……そうだな。相手はラウレッタだ」

 フィービがそこで、重々しく口を挟んだ。

「二十年前は頭の回る、賢い女だった。ベイルが姉との競争に疲れたと言った時、その弱さをひとつひとつ潰すように問い詰めて、彼女を完全にくじけさせた……あれから年月を重ねた分、さらに手強い相手になってるだろうさ」

 どうもフィービは彼女にいい印象がないらしい。事情を聞けば当然かもしれないが、表情はただならぬ険しさだ。

「だがお前はひとりじゃない。俺もいるし、閣下もいる」

 そう言ってロックの頭を撫でるので、ロックは少しくすぐったい思いがした。

「閣下の前だよ、父さん。子供扱いはやめてよ」

 口では不満を唱えつつ、内心いくらか安堵している。

 ひとりではない。それはとても幸いなことだ。

 そしてそんな父娘の様子を、エベルはどこか羨ましそうに笑みながら見ていた。


 作戦が固まったところで、エベルは一足先に卿夫人の待つ部屋へと向かった。

 ロックとフィービはルドヴィクスの案内で、その隣室に通された。

 一見、ごく普通の応接間だった。長椅子があり、大理石の楕円卓があり、暖炉と食器棚があるのは先程までいた応接間とほぼ同じだ。

 だが隣室に面した壁には扉つき飾り棚が設けられていて、ロックとフィービの目を引いた。精緻な彫刻が施されて美麗ではあったが、他の調度とは雰囲気が違い、その華美さにどことなく唐突な印象を受ける。

「こちらは覗き窓でございます」

 ルドヴィクスがにこやかに語り、扉を開ける。

 すると中は空っぽで、代わりに向こう側から光が差していた。その穴に目を凝らせば、隣室の様子が垣間見られるようだ。

「こんな仕掛けがあるんだ、すごいや」

 感心するロックの横で、フィービがルドヴィクスを睨む。

「これ、どこの部屋にもあるのか? まさか今までも覗かれてたりしたんじゃ――」

「お静かに。大きな声を出すとさすがに聞こえてしまいます」

 ルドヴィクスは落ち着き払って、唇の前に指を立てた。


 飾り棚から覗ける隣室には、三人の姿がある。

 椅子に座って客人を迎え撃つエベルと、しずしずと給仕をするヨハンナ、そして――。

「あ……」

 その姿を見たロックは思わず吐息を漏らした。

 近くから窺い見たラウレッタ・アレクタス卿夫人には、母ベイルの面影が確かにあった。

 葡萄酒色の髪は母と同じだが、わずかに白いものが混ざっている。顔立ちは美しいがどこかやつれたような陰りがあり、記憶の中の母よりは明らかに年かさに見えた。そして目つきは母よりも鋭敏で、辺りを注意深く、それでも上品に見渡している。

 この婦人と母の間にどんな出来事があったのか、それはうかがい知れない。

 だが知らない相手にも見えず、ロックは動揺を抑えきれなかった。

「突然の訪問、本当に失礼いたしました、閣下」

 ラウレッタが口を開くと、さらにロックの心は揺れた。

 母の姉は、声音までもが母によく似ていた。

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