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狩るものと狩られるもの(2)

 一月半ぶりに訪ねたマティウス邸は、あの夜の傷跡もなく、美しい姿で建っていた。

 馬車を降りたロックとフィービは、陽光を浴びて白く輝く石造りの邸宅をしばし見上げる。

「あの日のこと、何だか嘘みたいだね」

 感傷的な気分でロックが呟けば、フィービは静かにかぶりを振った。

「だが嘘でも夢でもない。そして終わってもない」

「うん、わかってる」

 嘘や夢であって欲しいと最も願っているのは、ロックたちではないだろう。


 グイドやミカエラとはあの日以来、まだ一度も顔を合わせていない。

 兄妹の近況はエベルを通じてわずかに聞いた程度だ。それでも彼らについて語るエベルの口調は暗くなく、ふたりは支え合って暮らしているらしい。

 いつかはまた、彼らと会うこともあるだろう。

 その時にはふたりの心も安らかであって欲しいと、願わずにいられないロックだった。


 父と娘が屋敷の前で、それぞれに想いを巡らせていれば、

「ロック様ぁ!」

 玄関の鉄扉が音を立てて開き、小間使いのヨハンナが大声を上げた。

 彼女の背後には執事のルドヴィクス、そしてエベルの姿もあったが、誰よりも先に飛び出してきてロックに抱きつく。

「わわっ」

 ひ弱なロックが受け止めきれずによろめくと、慌ててフィービが背中を支えた。

 そしてその状態には気づかず、ヨハンナが瞳を潤ませる。

「お元気そうで何よりでございますっ!」

「う……うん、ありがとう」

 ロックは苦笑しつつ、彼女が案じてくれていたことは嬉しく思った。

「ヨハンナも元気そうでよかった。怪我はもういいみたいだね」

 彼女の愛らしい顔にも、小間使いのお仕着せから覗く手足にも、やはり傷跡は残っていない。

 その金髪と同じように眩しい笑顔で彼女は言う。

「はいっ、おかげ様で! 閣下の御為、日々勤労に励んでおります!」

「ヨハンナ」

 そこでルドヴィクスが控えめに咳払いをした。

「主を差し置いてお客人との会話は、礼儀に敵ったことではありませんよ」

「あっ、そうでした。失礼いたしました!」

 言われて初めて気づいたのか、ヨハンナは今更のようにしずしずと下がった。

 それでフィービもロックの背後から離れ、ロックは姿勢を正して近づいてくるエベルを出迎える。

 今日のエベルは灰色の襟付き上着に、黒い天鵞絨のズボンといういでたちだった。礼服ほど畏まってはいないが、華美さを抑えた服装だ。

 ロックがしげしげと見入ったのと同じように、エベルもまた興味深げにロックとフィービを眺めていた。

「今日のあなた方はまるでいつもと逆だな」

 それで父娘は顔を見合わせ、ロックがいち早く破顔する。

「本日はロクシーとしてお招きいただきましたから」


 そう語ったロックは、例によって久方ぶりにドレスを身にまとっていた。

 といっても晩餐会に着ていくようなものではなく、装飾のないすんなりとした黒一色のドレスだ。薄手の綿織物で仕立てたドレスは首が詰まった古風な型で、袖は手の甲を覆うほど長く、裾も足首が隠れるほどだった。

 それもそのはず、この黒いドレスはもともとフィービの持ち物だった。今回エベルに招かれるに当たり、何を着ていこうか迷った末の苦肉の策だ。

 何せロックが持っているドレスと言えば、グイドの依頼で仕立てた暁色のドレスだけだ。店にも既製品が数着あったが、どれも流行の型や緻密な刺繍で仕上げられており、よそゆきならともかく墓参には甚だしく不向きだったからだ。

 借り物のドレスはロックの貧弱な体躯に合わせるべく、数か所で縫いを入れたり、サッシュで絞ったりと工夫を凝らしている。おかげでスカートはたっぷりとドレープが利いていて、少なくとも粗末には見えないのが救いだった。


 一方のフィービは逆と言われたとおり、本日は男の服装をしている。

 持ち合わせの刺し子のズボンに、ロックが大慌てで仕立てた上着を羽織ったフィービは、当然ながら化粧もしていない。長い栗色の髪を緩みなく束ねたその姿は、普段の女装ぶりが想像できないほど凛々しく映る。

 エベルは事前に『どんな格好でも構わない』と言ってくれていたし、ロックもそう伝えたのだが、フィービはドレスを着ようとしなかった。マティウス邸にはロックの父親として訪ねていきたい気持ちがあったのかもしれない。その辺りの心理について、やはりロックは父の意思を尊重するつもりでいる。

 その時々で着たい服を着ればいい。仕立て屋としても、そう思う。


 もっとも当人たちは、この度の装いに全く慣れていなかった。

「そう物珍しげにされると落ち着かねえな」

 フィービが首をさすりながらぼやく横で、ロックも深く首肯する。

「こういう格好すること、滅多にないもんね」

「それは惜しいな。ふたりとも、非の打ちどころがないほど似合っている。いつもの服装もいいが、こちらはこちらで映えるものだ」

 エベルの言葉にはヨハンナが、うんうんとしきりに頷いていた。何か言いたそうにもしていたが、執事の目を気にしてか口は噤んだままだった。

 挨拶が一段落すると、エベルが早速切り出した。

「本日はまず、墓参に付き合ってもらいたい」

 彼の手が、庭で待機する馬車を指し示す。

 つい今しがた乗ってきたばかりの馬車の前では、御者のイニエルが二頭の馬と共にじっと控えていた。

「行き先は神聖地区だ。そこにマティウス家の霊廟がある」

 エベルはそう言ってから、ちらりとヨハンナに目を向ける。

「その後はあなたがたに、ぜひ食事をごちそうしたい。うちの小間使いが大喜びで支度をしていたからな」

 またしてもヨハンナが繰り返し頷く。

 首が外れそうなほどの勢いに、エベルの言葉が大げさではないことが窺えた。


 ロックとしても異存はない。エベルとはゆっくり話もしたかったし、以前ごちそうになった茶菓子は確かに美味しかった。

 それに、手紙に記されていた新しい情報も大いに気になる。


「墓参りにはふたりで行くんだろ?」

 そこでフィービがロックに尋ねた。

「なら、俺はここで留守番をしてる」

「フィービは来ないの?」

 ロックが聞き返すと、何とも言えない苦笑いが浮かぶ。

「俺が会いに行っても、先代は戸惑われるだけだろ。あの時の傭兵風情が顔を見せに来たってな」

 それから首を竦めて言い添えた。

「何より、俺は墓が好きじゃない」

 墓を好む人間もそうそういないだろうが、ロックとしてもフィービを無理に付き合わせる気はない。

「わかった。じゃあ――」

「ではフィービ様、お茶をお入れします!」

 すかさずヨハンナが飛び出してきて、面目躍如とばかりにフィービの腕を取る。

「何なら以前のように、お屋敷をご案内いたしましょうか!」

「……ひとりで過ごすっていう選択肢はねえのかな」

 フィービがうんざりとぼやいたので、エベルが笑いながら声をかけた。

「ヨハンナ、お客人のお望みどおりに過ごさせて差し上げろ」

「はぁい、閣下」

「ルドヴィクスも留守を頼む。日が高いうちに戻る」

「いってらっしゃいませ、閣下」

 こうしてエベルはロックを伴い、イニエルが待つ馬車に乗り込んだ。

 そして馬車はマティウス邸を発ち、美しい貴族特区の街並みを静かに走り始める。


 天鵞絨張りの座席に、ロックとエベルは並んで座った。

 荷馬車などに比べれば決して狭くはない車内だが、並んで座ると妙に距離が近く思えた。最新式の箱馬車で、両側にガラス窓があるだけの閉鎖空間だからかもしれない。

 おまけにロックが横目で窺う度、エベルも熱っぽい眼差しを返してくる。


 それで心を掻き乱されたロックは、慌てて話題を探し、口にした。

「み、皆様お元気そうで、本当によかったです」

 あの日以来、マティウス邸の使用人たちと初めて会った。

 誰もが負傷を引きずることなく、何事もなかったように勤めを果たしていたのが印象的だ。

「気にかけてくれてありがとう」

 エベルもうれしそうに唇を解く。

「皆の怪我が軽かったのは僥倖だった。私も守り切れなかったし、あの夜は誰もが自分の身さえ守れなかったからな……」

 そこで一瞬だけ複雑そうに顔を歪めたが、振り払うように続けた。

「だが、今は皆が息災でいる。それが何より喜ばしい」

「ええ、仰る通りです」

 ロックも心から同意した。

「特にヨハンナは、僕より若いようですから……。怪我が軽くたって、怖い思いをしたんじゃないかって心配だったんです」


 狂乱の一夜が過ぎた後、彼女が見せた涙をロックは忘れられずにいる。

 普段は感情表現の大袈裟な感激屋のヨハンナだが、あの涙にはいくらの掛け値もないはずだ。彼女は酷く恐ろしい思いをしたのだろうし、それが過ぎて皆が生きていて、泣くほど安堵もしたのだろう。

 そんなヨハンナが何事もなかったように職務に戻っていて、ロックはいたく感心していた。


「そうだな。彼女には酷な出来事だったかもしれない」

 エベルはそう言った後、しかし含むような微笑を口元に浮かべる。

「だがロクシー、話していなかったな。ヨハンナも決して普通の町娘ではないのだ」

「まさか!」

 思いがけない言葉にロックは驚いた。

 もちろん人狼の屋敷で働く者が、そして主の秘密を知っている者が『普通の』娘である可能性は低いのだろうが――。

「ヨハンナの生家ブルトゥス家は、古代帝国まで遡る古い家柄だ」

 エベルが悪戯を仕掛ける顔で続ける。

「そしてブルトゥス家とは、かつて人狼を狩る者でもあった」

「人狼を……狩るですって?」

 先程以上にロックは衝撃を受け、エベルの顔をまじまじと見返した。

 目の前にいる人狼閣下は金色の瞳を楽しそうに揺らしている。彼の屋敷で働く者が、それを狩る存在だとは。

「驚いただろう?」

 エベルは愉快そうに一笑いした。

「古代帝国時代、この帝都界隈には人狼教団なる集団があった。卑しい身分として虐げられ、皇帝に刃向わんとした人々だ。彼らがあの彫像を作ったことは、あなたもお父上から聞いているかもしれないな」

「ええ、父が教えてくれました」

 フィービがかつて、ロックに語り聞かせてくれた話だ。

 圧政に苦しむ人々が縋ったのが、彫像に込めた人狼の呪い。そうしてあの彫像は何百年と遺跡で眠り、腕利きの傭兵によって未来の帝都に持ち出された。

「ブルトゥス家は教団を炙り出し、狩り尽くす為に働いていたという」

「では、その方々は人狼の仇敵になるのでは?」

 ロックは恐る恐る尋ねた。

 ヨハンナのエベルに対する忠誠心にはさほどの疑問もない。だが人狼を狩る者がいて、それが時代を経た今、人狼の傍らで仕え勤めているという事実は全く信じがたかった。

「かつてはな。今となっては、一族の中に人狼を見たことがある者はいない。ただ伝承を信じ、子孫たちに口伝えているそうだ」

 事もなげにエベルが答える。

「それに父が言ったのだ。何も知らない者に私の正体を打ち明けるよりは、ある程度人狼について知り得る者の方が理解者にしやすいと」

 その時、金色の瞳は懐かしそうに細められた。

「私が呪いにかかった後、新しい小間使いを雇わねばならなくなった。人狼について知っており、あるいはすんなりと信じてもらえて、恐れもしない者――それには人狼を狩った一族がちょうどいいのだと、父が捜して雇い入れた」

「なるほど……」

 ロックが得心し、エベルが少し嬉しそうにした時、車窓に見慣れぬ景色が流れ始めた。


 神聖地区とはその名の通り、帝都における宗教的施設を一手に引き受ける場所のことだ。

 ここには大小さまざまな聖堂が立ち並び、日常的な礼拝から祭事に至るまで、帝都市民が足繁く通うところでもある。更に地区の外れには広大な墓地があり、裕福な者の為の贅を尽くした霊廟も数多く建っていた。

 もちろん貧民街の住人たるロックにとっては初めて訪ねる場所だった。貧民街には礼拝の為の施設は一切なく、たまに生真面目な僧侶が信仰の素晴らしさを時に現れても、その話に耳を傾ける者は少ない。それどころか身ぐるみ剥がされてほうほうのていで帰っていくことの方が多い。

 ロック自身、不信心であることは自覚済みだ。

 だが今日ばかりは魂の安息を素直に祈りたい思いでいる。


 馬車が停まり、ロックはエベルの手を借りて大地に降り立った。

 神聖地区の外れ、苔生した霊廟が立ち並ぶ一帯には、かすかな甘い匂いをはらんだ風が吹いていた。

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