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逢瀬の暇もないくらい(2)

「クリスターの奴、また絡まれてたのか」

 自宅で待っていたフィービは、ロックたちから事情を聞くなり溜息をついた。

「あんな商売してたらいつかは刺されると思ってた」

「閣下のお蔭で、一応まだ刺されてはないけどね」

 ロックは応じつつ、露店で買ってきた肉や野菜を手渡した。

 それを受け取ったフィービは品物を確かめつつ、台所へと運んでいく。

 一足先に帰宅していた彼は化粧を落とし、ドレスではない普段着に着替えていた。いつもなら自宅でも女物の部屋着を着ているのだが、娘の恋人が来るということで『父親らしく』振る舞おうとしたのかもしれない。エベルはすでにフィービの表も裏も知っているはずだが、ロックとしては父親の意思を尊重するつもりだった。

「彼はいつもあのような商売を?」

 客人らしく長椅子に座るエベルの問いに、ロックとフィービはぴたりと揃ってうなづいた。

「できるだけ手間を惜しんで金儲け、っていう手合いです」

「うちにとっちゃ不当廉売の商売敵ってところだな」

「……なんと、厄介な相手に肩入れしてしまったものだ」

 エベルは複雑そうにこめかみを揉み解す。


 しかしこちらの伯爵閣下は、あの場でクリスターを見殺しにするような人物ではない。

 貧民街の人間にはないものが彼には備わっており、それこそがロックにとって好ましい気質でもあるのだ。


 だからロックは明るく声をかけた。

「忘れちゃいましょう。美味しい夕食を取れば、あんな奴のことどうでもよくなりますよ」

「あの野郎も、刺されたところでいい薬になりそうもないからな」

 フィービが素っ気なさを装いつつ言葉を添える。

「今頃はすっかり忘れて酒でも飲んでるだろ。こっちが気にするのも馬鹿らしい」

 父娘の気遣う声に、エベルもようやく微笑んだ。

「では、私も忘れることにしよう。――それにしても」

 彼の金色の瞳がフィービの部屋をぐるりと見回し、感心したように瞠られる。

「初めてお邪魔したが、思っていたのと雰囲気が違うな」

「どんな部屋だとお思いでした?」

 フィービが聞き返すと、エベルは素直に答えた。

「てっきり、もっと女性的な部屋なのだと思っていた」


 フィービが一人で暮らす部屋は、市場通りから裏路地に入った奥の方にある。

 煉瓦造りの集合住宅は貧民街ではかなりましな部類の住居だが、その中でも家賃が一番安い最上階が彼の城だ。何せ五階建てなので、健脚自慢の猛者でもなければ好きこのんで住みたがらない。

 室内は居間兼台所と寝室の二部屋で、そのうち三人がいる居間にはフィービ自慢の調度品が並んでいる。宝石で飾り立てられた儀礼用の刀剣、端がほつれている古代帝国時代の織物、美しい瑪瑙や象牙の壺、それに使い込まれた鉄製の甲冑――これらは全て、フィービが傭兵時代に蒐集した品々だということだ。

 かつては寝室にしまわれて、ロックには見せないようにしていたそれらの品も、今ではフィービの部屋を飾り立てるのに一役買っている。代わりに寝室を飾っているのはロックが仕立てたドレスの数々、そしてフィービお気に入りの化粧品や装飾品などだ。

 ロックもここへ来る度に思い出話をねだり、父から胸躍る冒険譚を聞かせてもらった。そうかと思うと化粧の仕方や香水のつけ方なども教えてもらっていて、親子で過ごす時間は今まで以上に充実したものとなっていた。


 そんなフィービご自慢の居間で、三人は仲良く夕食を囲んだ。

 今夜の献立は豆のシチュー、キャベツの酢漬け、薄焼きのパンに炙った鶏肉だった。その他にロックが自腹を切って石榴や杏子の実を買ってきた。伯爵閣下をお招きするなら、いくらかは作法に則った夕食を供するべきだと思ったからだ。

 フィービも存分に腕を振るったようで、エベルは口に運ぶ度に称賛してみせた。

「あなたの料理も全く素晴らしいな」

「お褒めにあずかり光栄です、閣下」

 フィービは澄まして答えたが、それが照れ隠しであることをロックはちゃんと知っている。

「ほら、美味しかったでしょう。父はお料理が得意なんです」

 ロックも誇らしい思いで告げた。

 それでフィービはますます照れてそっぽを向き、エベルは楽しそうに微笑んだ。

「確かにな。美味しい食事に賑やかな食卓、これ以上のものはない」

 そう語るエベルの普段の食事風景がどんなものか、ロックは知らない。

 マティウス家は彼一人だけ、使用人もごくわずかとなれば、その食卓はさぞかし静かだろう――ヨハンナがいれば、その限りではないかもしれないが。

 彼女のことが脳裏に浮かんだので、ついでに尋ねてみた。

「ヨハンナは、それに使用人の皆様はよくなられましたか?」

「ああ、お蔭様で」

 頷くエベルの表情には明らかな安堵の色が滲んでいる。

「怪我もよくなり、皆がようやく日常を取り戻しつつある。屋敷の改修も順調に進んでいるし、心配事はないよ」

「そうですか、よかった……」

 ロックからすれば、歳の近い小間使いヨハンナの様子はとりわけ気になるところだった。

 グイド・リーナスの一件では恐ろしい思いをしただろうし、実際に傷まで負った後だ。暇を取ると言い出しても何ら不思議ではないように思えたが、彼女は変わらずマティウス家で働いているらしい。彼女はロックが思う以上に強靭な心の持ち主なのかもしれない。

「そういえば、ヨハンナがあなたを招いて欲しいと言っていた」

 思い出したようにエベルが言う。

「以前の滞在では満足に食事も振る舞えなかったからと、改めてもてなしたいそうだ。私にあなたを連れてくるようしきりにせがんできた」

「小間使いが主人にせがむのか……」

 フィービは呆れていたようだったが、エベル自身はさして気にも留めていないようだ。平然と応じた。

「ヨハンナは気立てもいい働き者だ。よく何を話しているのかわからないことはあるが、それ以外の不満はないさ」

 どうやら主人であっても、ヨハンナが目を輝かせて語る内容までは理解しきれないらしい。

 もっとも気立てのよさに関してはロックも異論ない。そして伯爵家の晩餐がどれほど豪華なものであるかも興味深い。

「だから、次は我が家で食事会というのはどうかな」

 エベルが改めて尋ねてきたのには、一も二もなく頷いた。

「はい、是非。父と一緒に伺います」

「え!?」

 途端にフィービが、珍しくうろたえた声を上げる。

「父さん、嫌なの?」

「嫌じゃないが……何着ていくか悩むだろ、伯爵家だぞ」

「前にお呼ばれした時と同じでいいんじゃない?」

 ロックの言葉にもフィービは難しい顔をしていた。

 父親としてロックに同伴する以上、ドレスではまずいという思いがあるのかもしれない。

「どのようないでたちでも構わない。畏まった席ではないからな」

 エベルはそう言ってから、金色の瞳を愉快そうに光らせる。

「だが、仕立て屋のおふたりの着飾った様子というのも、大いに興味があるな」

 それを聞き、フィービのみならずロックまでもが、着る物に頭を悩ませることとなった。


 食事が粗方済み、食後の果物を食べ始めたところで、三人の話題は一歩踏み込んだところへ及んだ。

「リーナス卿のお加減はいかがですか?」

 彼の名前を出す時、ロックは古傷に触れるような感覚を味わった。

 石榴の粒を指先でつまんだエベルが、一瞬だけ表情を曇らせる。

 だがすぐに苦笑して、静かに答えた。

「ミカエラの話では、以前よりは落ち着いたそうだ。当初は部屋にこもりがちだったが、近頃では兄妹で庭を散歩できるまでになったと」

 そして石榴を口に運び、じっくりと味わった後で続ける。

「だが……人狼であることに慣れるまでには時間がかかるだろう」

「ええ、そうですよね……」

 相槌を打つロックだが、内心はより複雑だった。

 エベル自身ですら、その運命を諾々と受け入れたわけではないと知っているからだ。

「例の彫像については、こっちもいろいろ伝手を当たってる」

 杏子の皮を剥くフィービが、少し声を潜めた。

「だが目下、芳しい情報はない」

 父があの呪いの彫像について、情報を収集していることはロックも聞かされている。

 残念ながらあれ以来、巡り会えてはいなかったが――トリリアン嬢は『持ち込まれたら連絡する』と言ってくれたそうだが、黙って待っていて見つかるものではないだろう。

 それにしても、一時期はまるで運命のように次々と彫像の話を耳にしていたのに、まるで嵐が止んだ後みたいにぱったり聞かなくなっていた。

「こちらも同じだ。一応、骨董商などを訪ねてはいるのだが」

 エベルは嘆息したが、まだその声や表情に焦りの色はない。

 彼も薄々は察しているのかもしれない。

 来たるべき時が来れば、あの彫像は必ず、再び目の前に現れる。運命のように。

「あまり根を詰めないでくださいね、エベル」

 ロックには、そう気遣うことしかできない。

 それでエベルは、

「ありがとう、ロクシー」

 嬉しそうに微笑んだが、傍でフィービが不満げな顔をする。

「何だロクシー、閣下にだけか?」

「何言ってんの、父さんもだよ。当然だろ?」

 ロックは笑い、それから自らに言い聞かせるように語を継いだ。

「ううん、僕だってそう。呪いなんてものを相手取るなら、常に元気でいるべきだって思うんだ」

 弱っていればつけ込まれる。それはグイドの件からも明らかだ。

「そうだな。次はこっちが出し抜いてやる」

 フィービが挑戦的に言い放ち、エベルもそれに頷いた。

「少なくとも、私はひとりではない。そのことが本当にありがたいと思う」

 ロックも全く同感だった。

 ひとりではない。だから呪いに負けるつもりはなかった。


 食事会を終えた後、貴族特区へ帰るエベルと、自宅へ戻るロックはそれぞれフィービに暇を告げた。

 フィービはにこやかにふたりを見送ってくれたが、

「閣下。うちの娘を無事に送り届けてくださいますようお願い申し上げます」

 言葉に皮肉を含ませて、ちくりと釘を刺すのも忘れなかった。

 それにエベルは余裕たっぷりで答える。

「心配しなくとも、彼女に不逞の輩は近づけさせない」

 ロックとしては思うところも多分にあったが、賢明にも沈黙を守った。


 外は既にとっぷりと暮れ、点在する街灯にも火が入っている。

 貧民街は歪な街だ。成り立ちこそ市民権を持たずに締め出された者たちの掘っ立て小屋だが、その規模が膨れ上がるにつれ元老院、そして皇帝でさえもが無視できぬほどの存在になった。

 かくして入り組んだ街路には街灯が置かれ、集合住宅が建てられ、市警隊がおざなりにではあるが巡回するようになった。いつか帝都を囲む壁が壊され、貧民街そのものが帝都の中に取り込まれるようになると言う者もいる。その前に皇帝が貧民街に兵を入れ、掃討作戦を展開すると恐れを抱く者もいる。

 だが未来の姿はどうであれ、現在もここには人々の暮らしがあり、簡素な家々の窓辺にも温かな光が点っている。

「今夜はとても楽しかった」

 薄暗い路地を歩きつつ、エベルはロックにそう語った。

「楽しんでいただけてよかったです」

 ロックが微笑むとエベルも目を細める。

「また彼の部屋にお邪魔することがあれば、私も冒険譚を聞かせてもらいたいな」

「ええ、是非。とても面白いですから」

 我が事のように胸を張ったロックは、その後ではにかみながら打ち明けた。

「……実は、一緒に住もうかって話になってるんです」

「親子で、ということか?」

「はい。せっかく会えたので、いられるうちは一緒にいたいなって」

 そこまで語ってから、まるで将来離れることを意識しているようだと思って――親子とはそういうものだが、エベル相手にそういう話をするのは何となく気恥ずかしくて、ロックはあわてて言い直す。

「先々のことはともかくですね、親孝行がしたかったんです」

「なるほど」

 エベルは含んだように笑んでから、その表情をいくらか和らげる。

「いいことだ。一緒にいられるうちは、親子は共にいた方がいい」

 そして少しばかり声を翳らせ、呟いた。

「私はもう、親孝行をしたくてもできないからな……」

 ロックははっとして、口を噤む。

 隣を歩く顔をこっそりと盗み見れば、エベルの横顔はどこか遠くを見つめていた。


 ロックはエベルの父親について、彼自身から聞いた話しか知らない。

 どんな人で、どんな親子だったのか、もっと尋ねてみたいと思ったこともある。だがそれもエベルにとっての古傷のように思えて、なかなか触れられずにいた。


 何となく黙り込んだまま、しばらく歩いた。

 フィービの部屋からロックの部屋まではそれほど遠くない。ふたりでお喋りしていても、あるいは黙って歩いても、さしてかからずに着いてしまう。街灯の炎が揺れる道の先に、見慣れた古道具屋の店先が見えてきて、ロックは途端に名残惜しくなった。

 それで立ち止まり、おずおずとエベルに告げた。

「あの……よかったら、僕の部屋でお茶でもどうですか」

 合わせて足を止めたエベルが、怪訝そうな顔をする。

「それはどういう意味のお誘いかな、ロック」

「ど、どうもこうもないです。お茶を飲んでいっていただきたいだけです!」

 ロックはそう主張したが、声が裏返っていれば語るに落ちたようなものだ。

 エベルの金色の瞳が、夜闇の中でも光ってロックを射抜く。その眼差しに気恥ずかしさが加速する。

「だめなら……別に、いいんですけど……」

 自分は大胆な申し出をしてしまったのではないか――心揺れるロックに対し、エベルがそっと身を屈めてきた。彼の影がロックにかかり、はっと息を呑む。

「それは確かに素敵な話だ」

 エベルが、ロックの耳元に囁く。

「だが、その前に――先客がいる」


 予想外の返答に、ロックは勢いよく面を上げた。

 エベルの金色の目は道の先を見ている。トリリアン嬢の店の脇、ロックの部屋へと続く外階段の前に、確かに人の姿がある。

 それは銀髪の仕立て屋、クリスター・ギオネットだった。

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