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道化の仕立て屋、営業中(1)

 夜も更けた頃、ミカエラはマティウス邸を訪ねてきた。

 既に話は通っているのか表情は硬く、ルドヴィクスの案内でグイドが待つ部屋へと向かう。

 エベルはもちろん、ロックもその後に続いた。ほろ酔い気分はミカエラの顔を見た瞬間に吹き飛んでいる。それどころか沈鬱な思いで、未だ荒れ果てたままの廊下を進んだ。


 グイドは、客室の寝台の上に座っていた。

 フィービから聞いていた通り、人の姿に戻っている。エベルのものだろうか、仕立てのいい服を身に着けてはいたが、まるで囚人のように項垂れて部屋の中で待っていた。

 そしてミカエラが部屋に入ると、弾かれたように面を上げる。

「ミカエラ……!」

 かすれた声で名前を呼ぶ、グイドの顔は蒼白だった。

「お兄様!」

 ミカエラも声を上げ、兄に駆け寄る。その足元にひざまずいて震えるグイドの手をしっかりと握った。

 そして、堪らずといった様子で口を開く。

「話はエベルから聞いています。お兄様、どうして……」

「済まない、ミカエラ」

 グイドはそう言ってから、重々しくかぶりを振った。

「いや、詫びて済む話ではない。それだけ酷いことをしてしまった。私は人狼の呪いにかかり、大勢を傷つけた」


 この部屋に辿り着くまでに、ミカエラもその痕跡を目にしてきたはずだ。

 あちこちに包帯を巻いた執事、ひしゃげた扉、壁に残った爪痕、破られた絨毯。マティウス邸が元の美しさを取り戻すまでには時間がかかることだろう。

 そして仮に皆の傷が癒え、屋敷の修繕が済んだとしても、グイドが受けた呪いが消えることはない。

 現に今、妹を見つめるグイドの瞳は元の色とは違っていた。エベルと同じ金色をしている。


「お兄様の様子がおかしいことは、ずっと気になっておりました」

 ミカエラが、碧色の瞳を悲しげに揺らした。

 その色は、昨夜まではグイドの瞳の色でもあった。

「だけど、人狼になろうとしているだなんて……。エベルが呪いを受けたと知った時、誰よりも悲しんでいたのはお兄様でしたのに!」

 彼女の悲痛な声に、ロックは黙って目を伏せる。

 エベルの苦しみを、グイドも一度は理解していたのかもしれない。それなのに。

「ミカエラ、グイドは呪いによって操られていたようだ」

 そこでエベルが口を挟んだ。

「全てがグイドの意思によって行われたものではない。それだけは――」

「いい。庇うな、エベル」

 だがその言葉を、グイド自身が遮る。

「焦がれる気持ちがあったのは事実だ。人狼となったエベルは美しく、その力を御するだけの理性もあった。婚約を解消されたミカエラを――妹を誰が守るかと考えた時、エベルと同じ力が私にあれば、そんな考えが胸を過ぎったのもまた事実だ」

 感情を押し殺したような声でそこまで語ると、捻じれるような呻きが聞こえた。

「しかし……自分でもわからん。ある時から渇きにも似た欲求を抱くようになった。あの彫像が欲しい、いくら金を支払ってでも、誰を犠牲にしてでも欲しい。そう思えて堪らなくなった」

 それはグイドにとっても恐ろしい記憶となっているのだろう。身体が小刻みに震えている。

「欲しいというあの思いが私自身のものだったのかすら、今はわからない。ましてや人狼になりたいなどと、本当に思ったのかすら……」

「あの呪いの彫像には、別の誰かの意思を感じた」

 エベルが言葉を引き継ぐように語った。

「私もあれに『呼ばれた』ことがあると言っただろう。あれはただの彫像ではない。もしかすれば……意思があるのかもしれない」

「意思?」

 思わず声を上げたロックに、エベルは静かに顎を引く。

「ああ。グイドがあれを探したのではなく、あの彫像がグイドを求めていたのかもしれない」

「そんな……!」

 推論の不気味さに、グイドはか細くうめいた。たった一夜ですっかりやつれてしまったようだ。


 だがロックも、似たような考えを抱いていた。

 トリリアン嬢の店にあった人狼の彫像は、確かにエベルを呼んだ。エベルはそれを聞き、そして人狼の力を抑えられなくなっていた。

 同じように、あの彫像はグイドの心に潜む力への渇望を読み取り、彼に力を与えるべく全てを導いたのかもしれない。

 だが、何の為に?

 次々と人々に呪いをかける、この彫像の目的が何か。わからないのが空恐ろしい。


「私はこれからもあの彫像を探す」

 険しい表情と共に、エベルはそう決意を述べた。

「そしてこの世に存在する、呪いの根源全てを破壊する。それこそが私のさだめだ」

 彼の言葉に以前ほどの悲愴さはない。

 だからこそ、ロックはその後に続く。

「お手伝いしますよ、エベル」

 するとエベルが振り向いて、険しかった表情をわずかにだが和らげた。

「ありがとう、ロクシー。頼りにしている」

 これまでに見つかった彫像は三つ。一つはフィービが齎したもので、残る二つはトリリアン嬢の店に持ち込まれた。となれば、その日暮らしの傭兵が屯する貧民街で探すのが手堅いだろう。

 何よりも、運命だというなら、いつかまた必ずめぐり会う。

「……私は、これからどうすれば」

 グイドは打ちひしがれた様子で喘いだ。

「こんな身体で……呪いを受けて、人ではないものとして生き続けなくてはならないのか……!」

 その震える肩を、ミカエラがすかさず強く抱く。

「お兄様、しっかりして! エベルだって同じ苦しみを味わったのですよ!」

「そうだ、グイド」

 エベルは金色の瞳で、冷静にグイドを見つめていた。

「私はこの身に呪いを受け、それでもこの八年間生きてきた。私にできたことがお前にできないはずがない」

 だがそれは、たやすいことではなかったはずだ。

 ロックが見守る先で、エベルはそれらの苦悩を一切面に表わさなかった。彼なりの、旧友への優しさなのだろう。何を言われたところで生ある限り悩みは尽きない。呪いを受けた身であれば尚更だ。

 それでも、彼は一人ではない。

「そうです。お兄様には、わたくしがおります」

 ミカエラは兄を抱き締め、祈るようにぎゅっと目をつむる。

「これからはわたくしがお兄様を――そしてリーナス家を守ります。共に、生きて参りましょうね」

「ミカエラ……」

 妹の名を呼ぶグイドは、憑き物が落ちたように穏やかな顔をしていた。

 その表情に、ロックもようやく事態の幕引きを感じ取っていた。


 兄妹の対面が済んだ後、ミカエラは部屋を移して話がしたいと言い出した。

 呼ばれたのはエベルと、なぜかロックもだった。比較的被害の軽微だった応接間で、ミカエラは二人と向き合うなり、沈痛な面持ちになる。

「兄がしでかしたこと、詫びて済むことだとは思っておりません」

 握り合わせた繊手を震わせながら、蒼ざめた唇を懸命に動かし、続ける。

「ですが……人狼となってしまった兄を守る為に、そしてリーナス家の為に、兄の罪を表沙汰にはしたくないのです」

 帝都の法が身分貴き人々に、どのように適用されるものか、ロックは知らない。

 だがいかに公爵家と言えど、身内から罪人を出せばただでは済まないのだろう。お取り潰しなど受けようものなら、ミカエラがグイドを守っていくことも叶わなくなる。

「身勝手なお願いであることは承知の上です」

 懇願するミカエラに、もはや十九だった頃の面影はない。

「この件を、賠償金で手打ちとしていただくわけには参りませんか? 無論、あなたが仰るだけの額をお支払いいたします。すぐにはご用意できないかもしれませんが、必ず賠償すると誓います」

 そう言い切った後、蒼い唇を引き結んでエベルを見据えた。

 一方のエベルは、彼女の申し出をある程度予想していたようだ。迷わずに即答した。

「構わない。グイドを断罪すれば、同じ人狼である私の身も危うくなるからな」

 途端にミカエラの身体が弛緩し、深い溜息が零れる。

「エベル……ありがとう」

 最悪の返事も覚悟していたのだろうか。安堵した彼女の目には涙が滲んでいた。


 それから、ミカエラとエベルは賠償金についての取り決めを交わした。

 エベルの方は慣れた手つきで書状をしたため、そこにミカエラが緊張した様子で署名をする。二人の間に余計な会話はなく、冗談を差し挟む和やかさもなく、ただ粛々と制約だけが取り交わされた。

 金の話に目がないロックも、さすがにこういった空気では居心地が悪い。書状に記された賠償金は目玉の飛び出るような額で、現実の話とは思えなかった。そもそもリーナス家とマティウス家のやり取りであるはずなのに、なぜ自分まで呼ばれたのだろう。

 疑問の答えは、ミカエラが署名を終えた後で明らかになった。

「ロクシー・フロリア嬢」

 ミカエラが、ロックをそう呼んだ。

「は……はい」

 畏まった呼びかけに思わず居住まいを正せば、ミカエラはやはり真剣な面持ちで語る。

「あなたにも多大なご迷惑をおかけしました。もし償えるのであれば――」

「いえ、償うだなんてそんな!」

 ロックは慌てた。

 グイドに迷惑をかけられたのは事実だし、それで一日半も店を閉める羽目になったので、損害が出ていないわけではない。だがあのドレスの代金は既に支払われていた上、ドレスそのものもロックの手元にある。怪我を負ったり怖い思いをさせられたりはしたが、さすがに賠償金を貰うわけにはいかない。

「僕がいただくわけには参りません。お気持ちだけで結構です」

「でも……」

 ミカエラは当然気に病んでいる様子だったが、それならばロックよりも被害を受けた者がいる。

「それよりも、貧民街にセリーナ・トリリアンという古物商がおります」

 ロックは忘れずに彼女のことを訴えた。

「彼女は例の彫像を求めるごろつきに押し入られ、店をめちゃめちゃにされ、おまけに殴られて怪我を負っているんです。彼女の方こそ、見舞ってやっていただきとうございます」

「……それも、兄がやらせたことなのですね」

 胸を痛めた様子で、ミカエラが顔を覆う。

 だがすぐに唇を引き結び、意を決した様子で答えた。

「教えてくださりありがとうございます。必ずやその方にも償いをいたします」

 本当なら、声を上げて泣きたいくらいなのかもしれない。

 だがミカエラは感情的になることなく賠償の話をまとめ上げ、リーナス家の代表としての役目を果たしてみせた。


 そんな彼女も、しかし別れ際には歳相応の表情を過ぎらせた。

「……ロクシー嬢。あなたとは、もっと違う出会い方をしたかったです」

 ミカエラはそう言って、切なげに睫毛を伏せる。

「あなたといつか楽しくお話ができたら……昨夜お会いした時は、そう思っておりましたのに」

 微かな未練が滲むその言葉に、ロックも黙ってはいられない。

 同い年でこれほどの苦労を背負うミカエラの胸中、その悲しみと心労は察するに余りある。できることなら次に会う時、彼女の苦しみがいくらかは癒され、リーナス家にも平穏が訪れているといい。そう願わずにはいられなかった。

 だから言った。

「お話でしたらいくらでも。お気持ちが落ち着いた頃に是非お声掛けください」

 ロックが申し出ると、ミカエラはもちろん、エベルまでもが驚きに瞠目していた。

 だがすぐに、エベルが優しく微笑んだ。

「ミカエラ。ロクシーがこう言ってくれている」

 それでミカエラも泣き笑いの表情になる。

「ありがとう、ロクシー嬢。ではいつか必ず……」

 そうして浮かんだ涙を拭った後、ようやく気を緩めた様子で、口元を微笑ませてみせた。

「お優しいのですね。さすがはエベルが恋人に選んだご婦人です」

「えっ……あの、ええと」

「ああ、とても気立てのいい婦人だろう?」

 戸惑うロックとは裏腹に、エベルは誇らしげに頷く。

 そして二人とも、ミカエラの言葉を決して否定はしなかった。


 話し合いが済んだ後、ミカエラとグイドは連れ添ってマティウス邸を後にした。

 グイドはまだ打ちひしがれた様子だったが、それをミカエラは気丈に支えていた。恐らくはこれからも、そんなふうに支え合って生きていくのだろう。


「ミカエラは昔から、グイドのことばかりだった」

 リーナス兄妹が帰っていった後、エベルがぽつりと呟いた。

「彼女の一番は常にグイドだった。それだけは何も変わっていないな」

 懐かしむような物言いを、なぜかフィービが面白がってからかう。

「へえ。閣下にもご傷心の頃があったと見える」

「そうではない。私にとってもミカエラは妹のようなものだ」

 エベルは一笑に付した後、傍らのロックを気遣うように言い添えた。

「そういうわけだからロクシー、何も心配は要らない」

 ロックは別に、何の心配もしていない。

 ただエベルの少年期、幼なじみたちとどんなふうに過ごしていたのかは非常に気になるところだ。いつかミカエラに、そういう話を聞けたらと思っている。

 心配と言えば、フィービは別のことも気がかりのようだ。

「よかったのかロクシー、賠償金貰っとかなくて」

 交渉の場には居合わせなかったフィービだが、あとで顛末を聞いて、そんなことを言ってきた。

「まさか、貰えないよ」

 ロックが慌ててかぶりを振れば、意外にもエベルが同意を示す。

「あなたは一日半も店を休む羽目になった。その分の補償くらいはしてもらう権利があったはずだ」

「そうかもしれませんけど……」

 あのミカエラから金は貰えない、というのも理由の一つだが、一日半の休業がどのくらいの損失になるかわからない。意外な客入りで大儲けの日になったか、閑古鳥を飼い慣らす一日になったかなんて、ロックにもわかりはしないのだ。

 それに商売人たる者、一時の補償金に目が眩むようではいけない。

「大丈夫です。ミカエラ嬢には営業しておきましたから」

「営業?」

 フィービとエベルが揃って怪訝そうにする。


 実を言えば、ミカエラとの別れ際、ロックはこっそり告げていたのだ。

『僕は閣下の、人狼の為の服を仕立てたこともあるんです。お仕立てのご用命があればいつでもお越しください』

 ミカエラは大喜びで頷いていたので、必要とあらば上客になってくれるだろう。

 グイドがどんな反応をするかはわからないが――人狼として生きる以上、ロックの助けが役立つことも必ずあるはずだ。


「全く頼もしいご店主だ」

 話を聞いたエベルは感心し、嬉々としてロックに告げた。

「では私も、落ち着いたらまた店に伺おう。前に頼んだ外套もあるし、正装服を一揃い、新しく仕立てなければならないんだ」

「はい、是非。お待ちしております!」

 ロックは当然、満面の笑みで応じた。

 フィービは何か言いたそうにしていたが、儲けに繋がると踏んでか、あるいは別の理由からか、ひとまずは黙って笑んでいた。

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