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ガラクタの街のあるきかた(1)

 フィービが去った店内で、ロックは立ちすくんでいた。


 何せ、目の前にはエベルの端整な顔がある。

 金色の瞳に真剣な光を宿した彼は、ロックの手を握り締めたまま訴える。

「ロック、私はあなたが欲しい」

 逃げようにも手を取られていては身動きできず、どういうわけか目すら逸らせない。ロックは困惑しつつ、吸い寄せられるようにエベルを見つめ返していた。

「あ、あの、そんなことを仰られましても……」

「あなたを口説く者が他にいるとしても、私は誰よりあなたを愛し、大切にすると誓おう。何と引き換えにしても、あなたを手に入れたいのだ」

 熱烈な言葉に眩暈を覚える。

 フィービが余計なことを言い残したせいで、エベルの恋心は一層燃え上がったようだ。

 確かに男装のロックを口説く客もいなくはない。男を装うには華奢な身体が、貧民街のごろつきどもに一時の劣情を抱かせるらしく、下品な誘いを投げかけられることも過去にはあった。だが所詮は代替品としての需要であり、ロックも真剣に取り合ったことは一度もなかった。

 代替品ではなく、自分が欲しいのだと言われたのは、今日が初めてだった。

「お、おやめください、閣下」

 なぜか無性にどぎまぎしながら、ロックはエベルの手を振りほどこうとする。

 しかし人狼閣下の腕力には敵わず、やむなくそのままで反論した。

「伯爵閣下ともあろう方が、貧民街の、それも男に手を出したとなれば醜聞になりましょう」

「そんなもの、私は気にしない」

 エベルはロックの懸念を迷いなく一蹴した。

「き、気にしないって……」

「醜聞を気にして恋を諦めるなど愚か者のすることだ。それにあなたが傍にいれば、その甘い声を聞くのに夢中になる。周囲のざわめきなど気になるまい」

 微笑むエベルは、口説くのをやめようとしない。

 ロックはうろたえつつ、それならばと次の手を繰り出した。

「それに、マティウス家があなたで途絶えては大事でしょう。その、男同士では跡取りのことも……」

「心配には及ばない。養子を取ればいい」

 間髪入れぬ回答は、彼の中にその考えが確かに根づいていることを窺わせる。

 どうやらロックが口実として思いつくことは、エベルも既に考えてきた内容であるらしかった。

「私の心配をしてくれるのはありがたいが、私としてはあなたの考えこそ聞きたいところだ」

 エベルはロックの瞳を覗き込み、続けた。

「ロック。あなたは、私の求愛を受けてくれるか?」

「えっ、あの」

「あなたの方こそ、男同士の恋愛をどう思っているのか。聞かせて欲しい」

「ど、どうって、そんな……」

 真っ直ぐな問いに、ロックは更に困惑した。


 そもそも、貧民街に巣食う見境のない男どもを除ける為の策が男装だ。

 ここに住み始めてすぐ、フィービがそうしろと勧めてくれた。フィービは『恋人の隠し子』であるはずのロックを誰よりも案じ、貧民街で生き抜く為の知恵を授けてくれた。そのお蔭でロックも今日まで、多少騒がしくはあれど平穏な日々を過ごせてきたのだ。

 だがその平穏は、エベルによって覆されようとしている。

 男装することが男除けにならぬというなら、一体どうすればいいのだろう。


 答えに詰まったロックは、おずおずとエベルを見上げているより他なかった。

 エベルはあくまでも真剣だ。金色の瞳は熱を帯び、見つめられるだけで焼け焦げそうだった。喉をごくりと鳴らしてみせたのは、答えを待つ間の不安からだろうか。それならばロックも、何か言わなくてはなるまい。

 しかし、何を言えばいいのか。自分は端から女であり、男同士の恋愛は体験しようにもできぬことである。正直に答えるならそうなるが、ありのままを告げたところでエベルが引き下がるわけがない。彼は『男でも女でも構わない』と言っているのだから、ロックが女だと知ったところで喜びこそすれ、落胆はしないだろう。

 ならば、答えるべきはたった一つ。

 色恋沙汰には興味がないのだと、言って聞かせるべきだろう。


「僕は――」

 ロックがそう告げようとした時だ。

 不意にドアベルの音が鳴り響き、一度立ち去ったはずのフィービが戸口に現れた。

「全く見てられないわね、ロック!」

「フィービ!」

 置いていかれたと思っていたロックは、半ば叫ぶようにその名を呼ぶ。

「どこ行ってたんだよ、僕を放ったらかしにして!」

「あら、『僕は子供じゃない』って自分で言ったんじゃないの」

 フィービはからかうように言い、ロックはぐっと言葉に窮した。

 その隙にエベルへと流し目を送ったフィービが、余裕たっぷりに告げる。

「閣下。このとおり、この子はまだお子様でございますの。求愛されたところですぐに答えが出るとは思えませんし、そう追い詰めないでやってくださいませ」

 どうやらフィービは助け船を出してくれるつもりらしい。

 一度は立ち去った彼女がなぜ戻ってきたのかはわからないが、何にせよロックは胸を撫で下ろした。

 一方のエベルは乱入者に戸惑ったようだ。形のいい眉を顰めつつ、落ち着き払って答えた。

「お子様……か。私はそうは思わないが、性急に事を進めるべきではないというなら、そうしよう」

 そしてロックの手をようやく離した後、

「だが、これは聞いておきたい」

 視線だけは尚も留めたままで言った。

「私は、あなたを好きでいてもいいのだろうか」


 その言葉に、ロックも改めてエベルを見返す。

 熱い求愛に目が眩んでいたが、彼はずっと真剣だった。性別は問わぬという口説き文句も、そしてロックへの熱い想いにも、間違いなく嘘はないのだろう。

 ロックの方は、彼に嘘をついている。もちろん真実を言ったところで無意味なのもわかってはいるが、妙に心苦しいのはなぜだろう。

 それならせめて、この思いだけは正直に伝えるべきだ。


「閣下。僕は、恋をするつもりはないのです」

 ロックがそう切り出した時、瞠目したのはエベルだけではなかった。

「恋をするつもりがない……とは?」

「あんたが修道僧になるつもりなんて初めて聞いたわよ」

 フィービまでもが訝しげな声を上げる。

 彼女には言いにくいことだが、この状況では仕方あるまい。ロックは重い口を開き、打ち明けた。

「三年前に死んだ母は、女手一つで僕を育てた苦労人でした」

 ロックの母ベイル・フロリアは、ひなびた農村で仕立て屋を営みながら、貧しい暮らしの中で娘を育てた。父のない子を産んだことで口さがない者たちから悪く言われていたが、ロックの前では愚痴一つ零すこともなかった。そしてロックの父親についても、恨み言を口にしたことはない。

 そんな母の苦労を間近で見てきたからこそ、ロックは会ったこともない父親に複雑な思いを抱いていた。

 もし父がいてくれたら、母と結婚をして共に暮らしてくれていたら、母もあれほど苦労を背負うことはなかったかもしれない。あれほど早くに命を落とすことも――。

「でも父は、そんな母と僕を置いて出ていってしまいました」

「ごほごほっ」

 そこで、フィービが盛大に咳込んだ。

「どうかしたの、フィービ」

「……いえ、別に。続けてちょうだい」

 促され、怪訝に思いつつもロックは続ける。

「父を恨んでいるわけではないんです。でも、父がいてくれたら母は……そう思うと、母のように生きたいとは考えられません」

「それが、あなたが恋をしたくないと言う理由か?」

 エベルの問いに、深く頷いた。

「はい」

「そうか……あなたも、いろいろあるようだな」

 相槌を打つエベルの声には、不思議な親しみが感じられた。

「それで、あなたのお父上は?」

「父も、もういません」

 ロックが正直に答えると、エベルは深く嘆息する。

「そうか……。あなたと私はよく似ているようだ」

 それから寂しそうに微笑んだ。

「あなたにその気がないと言うなら、無理強いはやめておこう」

「閣下、申し訳ありません」

 どうやら、ロックの意思は伝わったようだ。詫びつつも、内心ではほっとしていた。

「恋をするつもりはない、ねえ……」

 フィービは物憂げに髪をかき上げていたが、その後は思案するように黙り込む。

 そしてエベルは、気を取り直したように明るく切り出した。

「だが、客としてここに通うのは構わないだろう?」

「ええ、それは当然です。むしろ大歓迎です」

 工期も急かさず工賃も弾む伯爵は、この上ない上客に違いない。ロックは笑みを零し、その顔を見てエベルも美しく微笑む。

「では早速だが、これから注文を頼みたい」

「かしこまりました。何をお探しですか」

「そうだな、じっくりと話し合いたいので場所を移そう」

「……えっ?」

 予想外の言葉にロックの声が裏返る。

 しかしエベルは意に介さず、さらりと言った。

「これから一緒に食事でもどうだろう。無論、私が奢ろう」

「えっと……それは、仕事の話で、ですよね?」

 何となく、そうではない予感を覚えた。だから聞き返したのだが、エベルは笑って言い張る。

「そう言ったはずだ。腹が減っては話もできない」


 ついさっきまで愛の言葉を告げ、ロックに迫ってきた男だ。

 常識で考えれば食事を共にするのはよくないことだろう。エベルは真面目そうな人物だが、ロックに執着していたのは事実だ。先程までのやり取りを思い出せば顔から火が出そうになるし、心臓も早鐘を打ち始めて苦しい。なるべくならもう考えたくもないほどだった。

 だが、せっかく掴んだ客をみすみす逃すのも惜しい。今日も彼の為に早めの店じまいをしたのだ。その分の代金は貰ったとは言え、もっと稼げる好機を目の前にぶら下げられては引くこともできない。

 それに、自分ははっきりと拒絶の言葉を口にした。

 彼も納得してくれたはずだ――と、色恋に疎いロックは結論づけた。


 そして結局、目先の欲に飛びついた。

「ご注文をいただけるのであれば、ご相伴にあずかります」

「ああ。あなたが喜ぶだけの注文をしよう」

 エベルが声を弾ませる。

 一儲けのまたとない機会にロックも心を躍らせたが、

「……あらあら、どっちが上手なのかしらね」

 フィービがぼそりと呟いたのには、なぜか心がざわめいた。

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