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繋がれて、絡め取られて(3)

 一人になったロックは、覚束ない足取りで馬車まで辿り着いた。

 すると数台並んだうちの一つに、背を預けるようにして佇むフィービの姿が見えた。寄りかかっている箱馬車には見覚えがあったし、御者席に座っているのも見知った顔のイニエルだ。


 フィービは結い上げた髪と革鎧の武装姿もそのままに、どこか物憂げに星空を見上げていた。しかしロックが近づくと、すぐに振り向いて安堵の表情を浮かべた。

「遅かったじゃないの、ロック」

 表情は溌剌としていて、怪我をしているふうでもない。無事を確かめてロックもほっとした。

「見つかったりしなかったんだね、よかった……」

「ま、あの程度の警備なら楽勝よ」

 口調はいつもの『彼女』に戻っている。それでいて少し照れくさそうにフィービは続けた。

「見てたわよ、ドレスを着たあんたが脚光を浴びてた姿」

「えっ、どこから?」

「そんなの物陰からこっそりと、に決まってるでしょう」

 ロックの問いには曖昧に答えつつ、フィービは我が事のように胸を反らした。

「すっかり宴の華だったわね。貴族様がたもすっかり見惚れちゃってて、こっちが誇らしかったわ」

「ドレスの出来がよかったからだよ」

「それに加えて、あんたが可愛いからよ」

 フィービは今夜の成功に誰よりも満足しているようだ。さらりと誉められたロックは息を止めたが、構わず嬉しそうに笑う。

「公爵子息の鼻も明かせたし、今夜はいい気分で眠れそうね」

「それも見てたの?」

「ええ。閣下に振られて出ていくところまで、一部始終をね」

 いい気分だと言った割に、フィービはそこで眉を顰めた。声を落とし、憂慮の口調になる。

「でも……あれで済むとは思えないわね、あの坊っちゃんなら」

 それはロックも同意だ。だからこそエベルの身を案じている。

 使命だと、彼は言っていた。

 呪いを受けた身で、彼はあといくつの重荷を背負わなくてはならないのだろうか。元よりその呪いさえ彼のせいではないというのに。

「……で、閣下は? 一緒じゃなかったの?」

 物思いに耽りかけたところで、フィービにそう問われた。

 たちまち別れ際のやり取りを思い出し、ロックは頬を染めながら答える。

「う、うん。閣下は公爵子息と話があるから、僕らには馬車で帰るようにって」

「そう……」

 フィービの眉間の皺が一瞬、より深くなった。だがすぐに肩を竦めて、明るく言った。

「ま、あの方もただ者ではないしね。いざとなったらあの野郎なんてぶっ飛ばしてくださるでしょ」

「そうだね。きっと、そうだよ」

 自分に言い聞かせるように、ロックも頷いた。


 それから夜の庭園を振り返れば、そこにエベルらしき姿はもうなかった。

 茫洋とした薄闇の向こうにそびえるリーナス邸の、窓という窓に煌々と明かりが灯っている。その光も今や遠く、屋敷の中で過ごしたひとときが夢のように思えてきた。

 もう戻ることはできない。

 フィービの言う通り、エベルはただ者ではない。人狼閣下に太刀打ちできるほど強い人間など、それこそフィービくらいしかロックは知らない。だからきっと大丈夫だ――自分の胸に何度も何度も言い聞かせた。


「さ、風が出てきたわ。ぼちぼち帰りましょ」

 やがてフィービに促され、ロックはリーナス邸から目の前の彼女へ視線を戻す。

 彼女はその瞬間まで微笑んでいたが、不意にロックの顔をしげしげと観察し始めた。

 それから一言、

「あんた、口紅が落ちてるわね」

 その指摘に、ロックは大慌てに慌てた。

「えっ! あ、ち、違うよこれは!」

「何が違うのよ」

「だからこれは、中で飲み物を貰ったから! それでだよ!」

 そしてロックの慌てようで、フィービは全てを察したのだろう。

「……次に会ったら、むしろこっちがぶっ飛ばす」

 低く呟いてみせたので、ロックは冷や汗を掻き通しだった。

 フィービとエベルが本気で殴り合ったら、きっと酷いことになる。本気ではないといいのだが――本気のようだったら、その時はロックが止めなくてはなるまい。

「御者には話ついてる。乗りましょ」

 まだ不機嫌そうなフィービが、傍らの箱馬車を指差した。

 呼ばれたと思ったか、御者席のイニエルが振り返る。だが今夜のロックの姿を見て驚いたのだろう。会釈も忘れて目を瞠り、口をぽかんと開け、呆けたような声を上げた。

「え……っと、失礼でなければ、ロック様……ですか?」

「はい。すみません、驚かせて」

 ロックは詫びつつはにかむと、ドレスの裾を気にしながら馬車に乗った。

 続いて乗り込んできたフィービが扉を閉め、向かい合わせの席に腰を下ろす。

 程なくして動き出した車内で、ロックは改めて目の前の人を見つめた。


 凛々しい武装姿のフィービは、しかし化粧をしていなくても十分に美人だ。口さえ開かなければ少々逞しい美女に見えるだろうし、一方で中性的な美青年にも見える。これまでは『女性』として接してきたから尋ねたことはなかったが、歳はいくつくらいなのだろう。

 自分に似ているかどうかはよくわからない。

 だが、もし自分が、この人の血を引いているなら。

 今夜の宴席で賜った賞賛の数々も、少しは納得がいきそうだった。


「帰ったら聞きたいことがあるんだ」

 ロックは青い目で、フィービを見つめて切り出した。

 フィービはその視線を受け止め、覚悟を決めたように同じ色の瞳を細めた。

「いいわよ。ちょうど、葡萄酒のいいのがあるの」

「お酒なんて飲まないよ」

「あたしだってそうよ。たまにはいいじゃない」

 この話は、素面では打ち明けにくい、ということだろうか。

「それに、あんたもそろそろ酒の飲み方くらいは覚えるべきよ。悪い男に散々飲まされる前にね」

 揶揄するようにフィービが言い添えたので、ロックはもぞもぞと座り直した。あの時のエベルとの会話まで、全て見られていたのかもしれない。

 思えばフィービとは何度も食事を共にしてきたのに、自分の前で酒を飲むところは見たことがなかった。単に飲めない質なのかと思っていたが、そういう人間がいい葡萄酒を取っておくはずがない。きっとこんなふうに、素面ではしにくい話をする日の為に取っておいたのだろう。

 ロックにとっても、今夜はいろんなことがありすぎた。彼には改めてお礼も言いたかったし、もちろん聞いておきたいこともある。そういう夜に酒の力は必要かもしれない。

「じゃあ、ちょっとだけ付き合うよ」

 考えた末、ロックはそう答えた。

 途端にフィービは嬉しそうに顔を輝かせた。

「いい子ね。帰ったらあたしの部屋にいらっしゃい」

 今はあくまでも『彼女』の口調で語る彼を、ロックは不思議な心地で眺めている。

 ずっと追い求めてきた人がこんなにも近くにいたなんて、本当に不思議なことだ。

 馬車はその間にも、夜の帝都をひた走る。いつの間にやら貴族特区を通り抜け、商業地区へと差しかかっていた。まだ街灯が明るいこの界隈は、夜更けであっても人通りが多いようだ。幾人か、慌ただしく駆けていく姿を馬車の窓から見かけた。

 するとロックもはたと思い出し、

「そうだ、フィービ! 僕の服はある?」

「もちろん持ってきたけど、どうかした?」

「貧民街に着く前に着替えないと。誰かに見られたら困るよ」

 フィービから仕立て屋の服の一揃いを受け取って、それから釘を刺した。

「……あっち向いててくれる?」

「さっきは黙って脱いだじゃないの」

 拗ねたように言いつつも、フィービはぎくしゃくと顔を背ける。

 そうは言っても、ロックはこれまでフィービを女性だと思っていた。しかし今夜からは違うので、やはり着替えを見られたくはないのだった。


 貧民街の入り口で、ロックとフィービは馬車から降りた。

 その時にはもう化粧も落とし、いつもの男装の仕立て屋ロックに戻っていた。

「私は閣下の元へ戻ります。どうぞお気をつけて」

 折り目正しい挨拶をくれたイニエルを見送った後、二人で肩を並べて市場通りへと向かう。フィービの部屋もその先の、少々入り組んだ界隈にあった。

 ところが市場通りへ差しかかった時、夜分遅くにしては奇妙な騒がしさに気づいた。普段はほとんど人気のない道に、ひそひそと囁き合う人々の姿がいくつか散見された。

「何の騒ぎかな」

「酔っ払いの喧嘩でもあったのかしらね」

 ただならぬ気配に、ロックとフィービが囁き合っていると、

「ああ、ロック!」

 通りの向こうから、パン屋のジャスティアが血相を変えて駆けてきた。彼女は二人の前で足を止めると、

「どこ行ってたの! 心配したんだから……!」

 ぜいぜいと息を吐きながらそう言った。

「え、ええと――」

「ちょっと二人で出かけてたのよ。何かあったの?」

 言葉に詰まるロックの代わりに、フィービがすぐさま聞き返す。

 ジャスティアは息が切れたのか答える前にうずくまり、後から追い駆けてきた夫のカルガスが、その背をさすりながら答えた。

「強盗が押し込んだんだ、トリリアン嬢の店に」

「強盗!?」

 治安の悪い貧民街とはいえ、そこまで派手なことをしでかす輩はそう多くない。ロックは声を上げ、フィービも当然眉を吊り上げた。

「それっていつの話?」

「今夜だ。数人で押しかけてきたらしくて、店先はもうめちゃくちゃだ」

 普段は寡黙なカルガスがそこまで語ると、ようやく呼吸の落ち着いたジャスティアが後を継いだ。

「あんたの部屋はあの店のすぐ上じゃない。だからあんたは無事かって確かめに行ったのにいないし、店も閉まってるし、フィービまで留守なんだもの。心配したんだから……!」

 どうやらこの夫婦はロックとフィービの身を案じ、随分と探し回ってくれていたようだ。

「ありがとうジャスティア、カルガス。心配かけてごめん」

 心配される嬉しさはもちろんあったが、ロックには更に気になることがあった。

 それはフィービも同じのようで、彼の方が先に尋ねた。

「ところで、トリリアン嬢は無事?」

 すると夫婦は顔を見合わせ、ジャスティアの方が言いにくそうに口を開く。

「いや……強盗どもに殴られたみたいでね。頭に怪我をしてるの」

 今度はフィービとロックが顔を見合わせる番だった。


 大急ぎで裏路地に飛び込めば、トリリアン嬢の店の前には人だかりができていた。

 ちょうど市警隊が駆けつけた頃合いのようで、

「騒ぐな、散れ! 見せ物じゃないぞ!」

 横柄な態度で野次馬たちを追い払おうとしている。それでようやく人垣が散り散りになり、その隙間にまずフィービが飛び込んだ。

「ああ、こら! 勝手に入るな!」

 制止の声こそ飛んでは来たが直接止めるそぶりはなく、後を追ったロックもそのまま店に潜り込めた。カルガスの言った通り、古道具屋の扉はものの見事にぶち抜かれ、店内も酷い有り様だった。棚という棚が倒され、床には陶器や鍍金細工や、その他骨董品だったものたちの破片が散乱している。

 そしてトリリアン嬢は、その店の奥にじっと座り込んでいた。頭に巻いた包帯に、生々しく血が滲んでいる。その赤さにロックはどきっとした。

「トリリアン嬢、無事なの!?」

 駆け込むなりフィービが尋ねると、老婆は素早く面を上げた。

「あんた! うちに来る時はオカマの口調するなって言ったろ!」

「は……?」

「あたしはあんたの男っぷりに惚れたってのに、何だって女のふりするんだか! その口調を直してからおいで!」

 包帯の下で落ち窪んだ目が眼光鋭くフィービを射抜く。

 途端にフィービは肩を落とした。

「……どうやら、無事のようね」

 ロックも内心ほっとしていた。いかにやり手のトリリアン嬢とは言え、押し込み強盗相手では対抗できまいと心配だったのだ。怪我はしているようだが、これだけ口を利けるなら元気だろう。

「怪我はどう? 酷くないの?」

 一応問いかけてみれば、トリリアン嬢はロックを見るなり複雑そうな顔をする。

「大したことないさ。ただ酷い目には遭ったね、あの彫像のせいで」

「あの、彫像……?」

「あんたが分捕ってった狼の彫像だよ」

 トリリアン嬢が、魂が抜け落ちそうなほど深い溜息をついた。

「あれと同じものをうちに持ち込んできた同業者がいたんだ。タダでもいいってんで喜んで引き取って、あとであんたに売りつけてやろうと思ってた。そしたらその日のうちに嗅ぎつけてきたのがさっきの連中さ」

 さすがに堪えているのだろう。俯いたまま、ロックとフィービが凍りついているのにも気づいていない。

「連中、いくらでも出すって言うからさ、ちょっと高めに吹っかけてやったんだよ。そしたら急に殴りかかってきて――あとは見ての通りさ。店はめちゃくちゃだし、彫像も持ってかれちまった」

 それから舌打ちして、忌々しげにぼやいた。

「ありゃ本物の呪いがかかってるね。ついでに連中も呪ってくれりゃいいのに」


 それが例の人狼の彫像なら、確かに呪いは本物だろう。

 しかも三つめが見つかったばかりではなく、誰かの手に渡ってしまった。


 ロックはごくりと喉を鳴らし、傍らのフィービを窺い見る。

 フィービは悔しそうに歯噛みしつつも、気遣うようにロックの頭を撫でてきた。

「……閣下に知らせに行きましょう」

 そして、こっそり囁いてきた。

「早い方がいいわ。今すぐによ、ロック」

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