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あなたに伝えたいこと(3)

 正直に言えば、ロックも予感するところはあった。

 話を聞いただけでもユリアなる娘は貧民街の人間ではないようだし、それどころか貴い身分の存在のように思えた。フィービは彼女を『話し方は上品で、来ていた服も上等』だと語っていたし、ユリアがエベルの知己であったこともそれを裏づける一因になる。

 何より、自分が他ならぬ皇女の花嫁衣裳について記憶を失ってしまったこと。

 それこそロックが彼女に関わってしまったからだと推測することもできそうだ。


 とは言え人の記憶を消すなど、人狼の呪いに慣れ親しんだロックでもすぐには飲み込めない事実だ。

 まして雲の上の存在と友人になっていたと聞けば、懐疑的になるのもやむを得ない。

「僕が、皇女殿下にお会いしていたと……?」

 喘ぐように聞き返せば、エベルは深く顎を引く。

「信じがたいだろうが、そのとおりだ」

「それに殿下が僕の記憶を消したと、エベルはそう考えているんですよね?」

「ああ」

 彼が即答したので、ロックもそれを前提に話を続けた。

「では、どうして記憶を消されたんでしょうか。僕が何か粗相をして、皇女殿下を怒らせたということなら……」

 だとすれば、恐ろしい。

 そもそもロックは仕立て屋、性別を偽ることはあっても職業を偽ることはないはずで、友人になったというなら皇女殿下もロックの素性は知っていると見ていいだろう。自分が花嫁衣裳を仕立てることも打ち明けていただろうし、意見を求めていたかもしれないとさえ思う。そういう好機を逃す自分ではないとわかっていた。

 だがそんなロックから記憶を消したということは――。

「皇女殿下は、僕が花嫁衣裳を仕立てるにふさわしくないとお考えで、それで記憶を消されたのではないでしょうか?」

 何らかの理由で、失格の烙印を押された。

 そう受け取るのもおかしなことではないだろう。

 しかしエベルはきっぱりと首を横に振る。

「私はそうは思わない」

「なぜです?」

「殿下はあなたの記憶を消したのに、お父上の記憶は消さなかったからだ」

 彼の挙げた理由が思いがけないものだったため、ロックは目を見開いた。


 考えてみれば、フィービはユリアのことを覚えている。

 家を訪ねてきた日のことも記憶していたし、髪の色や瞳の色も知っていた。

 もしもロックを自分から、あるいは花嫁衣裳から遠ざけたくて記憶を消したなら、同時にフィービの記憶も消していなければおかしい。ふたりが共に暮らす親子である以上、記憶の齟齬はそう間を置かずに発覚するものだ。ましてや顔まで見られた皇女が、それでもフィービの記憶は消さず、ロックの記憶だけを消していったのはなぜか。


「私の記憶を消さなかった理由は察しがつく」

 エベルは見開かれたロックの目を覗き込んで語を継ぐ。

「私とは公の場でも顔を合わせる可能性がある。完全に記憶を消してしまえばそこに不都合があるとでもお考えだったのだろう。あるいは――あなたが気づかなかった場合の、最後の切り札として残されただけかもしれないが」

「切り札……?」

 ロックはその単語を聞きとがめた。

「僕が、何に気づくべきだと言うんです?」

「無論、あなたのお父上の記憶が消されていないという事実だ」

「エベルはどうして、父が無事だったと思うんですか?」

「それこそが、殿下があなたに伝えたいこと、だからだろう」

 そう語るエベルは、すでにロックの身に起きた事態の真実にまで行きついているかのようだった。表情は確信的で、眼差しは揺ぎない。そして口調もまた自信と焦燥に満ちていた。

「殿下はあなたに、ご自身のことを忘れて欲しくなかった。だが同時に、どうしてもあなたの記憶を消さなければならないご事情もおありだった。だからこそ殿下はあなたのお父上の記憶を消さずに残しておいたのだ。この記憶の食い違いこそが、あなたに思い出を留めておく縁となるように」

 縁。

 ロックにはその言葉が、なぜか印象深く思えた。

「これも私の推測だが」

 そう前置きして、エベルは眉間に深く皴を寄せた。

「皇女殿下は誰かに強制されて、あなたの記憶を消さざるを得なかったのではないだろうか。それも恐らくはあなたの目の前で。それでこのような拙速な隠滅になった」

 信じがたいことではあるが、そういえばロックの記憶には奇妙な空白期間がある。

 ジャスティアの店の前で倒れていたあの日。ロックが覚えていたのは自分の店の鍵を開けた瞬間までで、その後は夕刻に目覚めてからのことしか知らない。だがおぼろげな意識で市場通りを抜け、半日かけてジャスティアの店まで辿り着いたとも思えなかったし、ニーシャが見つけてくれるまで路上に転がっていたというのも妙な話だ。

 あの日、自分の身に何か起きたのだとしたら。

「でも皇女殿下ともあろうお方に、何かを強いることができる人なんているんでしょうか」

 ロックの疑問にエベルは首をすくめた。

「皇帝陛下なら。あるいは、四人の皇子殿下の誰かという可能性もあるかもな」

「まさか……」

 皇女の話だけでも途方もないのに、自分はいつの間にやんごとなき面々に目をつけられるようになっていたのだろう。ロックは密かに震え上がった。

「まあ、その正体は何者でもいい」

 エベルは不敬を恐れず言い放つと、金色の瞳でロックを見つめてくる。

「皇女殿下のお気持ちがあなたに伝わればそれでいい。殿下もそうお思いだろう」

「僕に、忘れて欲しくなかったと……エベルはそう思うんですね?」

「ああ」


 ロックはユリアという少女のことを全て忘れてしまった。

 こうしてエベルから話を聞いても、ふと記憶がよみがえってくると言うことはない。懐かしさのかけらもなく、ただ腑に落ちなさだけが存在している。

 だがもしもエベルの推測が当たっているのなら――そこまでして伝言を残していった『友人』のことを、無下にできるはずもなかった。


「皇女殿下は、僕に仕立てて欲しいとお思いなのでしょうか」

 ロックはまだエベルほどの確信は持てない。

 ぽつりと言えば、エベルはすぐにうなづいてくれる。

「当然そうだろう。あなたの他にはいないとお思いでもおかしくはない」

「そんなに……僕らは仲が良かったんですか?」

「ああ。羨ましいを通り越し、少々妬ましいほどだった」

 包み隠さず語るエベルが、その時ほんの少しの間だけ口元をほころばせた。

 しかしすぐに表情を引き締め、さらに続ける。

「ロック、あなたの敵はもはや花嫁衣裳を作らんとする他の仕立て屋ではない。わかるだろう?」

 わかる。

 自分は何かとんでもない目に遭って、こうして混乱の只中に叩き落されているようだ。

「よその店でも職人でもなく、もっと強大で、しかし得体の知れない存在があなたを皇女殿下から遠ざけようとしている。あなたは皇女殿下のためにも、そして他ならぬあなた自身のためにも、その妨害に打ち勝たなくてはならない。違うか?」

 違わない。

 皇女の花嫁衣裳を仕立てることはロック自身の悲願だ。そして今や、多くの人の期待も背負っている。手を貸してくれたエベルやミカエラやグイド、母の願いを知る伯母ラウレッタ、それに父――親子で帝都市民になる。その目標を叶えるため、得体の知れない敵に怯えていてはいけない。

 だが、ロックにはもっと恐ろしいものがある。

「僕……花嫁衣裳の図案を描き上げた時、すごく達成感があったんです」

 ロックもエベルの目を見つめ返して、その胸中を打ち明けた。

「これは素晴らしいドレスになる、そう確信したことは覚えているんです。なのに……」

「なぜそれが描けたのか、忘れてしまったのか」

「はい。肝心なことなのに思い出せなくて、だからあのドレスを仕立てられる自信がないんです」

 あの日燃え上がった情熱はすっかり消え失せてしまった。 

 元より顔も知らない相手だ。他の仕立て屋も同じ条件だと思えばいっそ公平だと言えるのかもしれない。だが一度はその人のために意匠を考え、図案を描き上げた。そこに生じた空白は、図案そのものへのロックの熱意を完全に揺らがせていた。


 エベルはしばらく、そんなロックを黙って見つめていた。

 やがて何かを決意したのか、長く、深い息をつく。

「ロクシー」

 そんなふうにロックを呼んだ後、間髪入れずに抱き締めてきた。

「うわ! ……ふ、く、苦し……です」

 人狼閣下の腕の力は人の姿の時でも強く、たちまち息ができなくなる。ロックがあわてて腕を叩くと、ほんの少しだけ力がゆるんだ。

 それでもエベルはロックを離さない。自分の腕の中に閉じ込め、そして耳元でささやく。

「あなた自身の心が信じられないというなら、私だけを信じてくれ」

 その言葉に、ロックは苦しさも忘れて息を呑む。

「私はあなたと『ユリア』が共にいた時間を覚えている。もちろん全てではないだろうが、それでも私はあなたが知っていたはずの記憶の一部を共有している。あなたがそれを失くしたというなら、私があなたの記憶を、思い出を語ろう。だから絶望することはない、私の中から取り出せばいい」

 エベルはひと息にそう語ると、ロックにそっと頬ずりをする。

「あなたには、私がいるだろう」

 そんなふうに、いつかロックはエベルに告げた。

 あの時と同じ言葉を、今はエベルがロックにくれた。

「あなたはひとりで戦うのではない。それだけ覚えていればいい」

 あの時は打ちひしがれていたエベルが、今はロックに手を差し伸べてくれた。


 ひとりではない。

 ロックもその事実を噛み締めている。

 自分はひとりで戦うのではなかった。大切なことを忘れてしまっても、エベルが覚えてくれている。迷う時も絶望する時も、きっと彼なら受け止めて、手を差し伸べてくれるだろう。

 曖昧に消された記憶や自らの情熱が信じられなくなったとしても、エベルのことは信じられる。

 足踏みを続けて鬱屈の日々に留まるくらいなら、彼の手を掴んで、一歩踏み出してしまうのがいい。


 ロックは大きく息を吸い込んだ。

 閉ざされた仕立て屋の店内で、空気はそれでも新鮮な味がした。

「あなたを信じます、エベル」

 そして息をつきながら告げた。

 真っ直ぐに彼を見上げて、心からの決意を口にした。

「どうか僕を支えてください。必ず、あの花嫁衣裳を仕立ててみせますから」

 ロックを見下ろすエベルは、その時いくらか安堵したようだ。表情をふっと和らげ、心からうれしそうに目を細めた。

「ああ、いくらでも。あなたを支え続けよう」

「ありがとうございます、うれしいです」

 そこでロックがはにかむと、エベルは間隙を突いて唇に一瞬口づけた。

 とっさにロックが声を上げかけるより早く、

「そうと決まれば、あなたのお父上にも打ち明けるべきだろう」

 エベルは何事もなかったかのように話を戻した。

「え……あ、えっと」

「言おうかどうか迷っていた。あなたの決断次第では、あの人を巻き込まない配慮も必要だっただろうからな」

 それでロックも必死に意識を立て直し――思う。

 ユリアのことを覚えているのは父も同じだ。消えてしまった記憶を埋め合わせるためには父の協力も必要になってくるだろう。事情を聞けばきっと『敵』の存在に憤るだろうが、それでも皆で立ち向かわなくてはならない。

 やはり、ロックはひとりではなかった。


 エベルがフィービを呼びに行こうと店の戸口へ向かう。

 しかしドアを開ける前にふと足を止め、

「……誰か来ているな」

 とつぶやいた。

 ロックがそちらに目をやれば、やがてベルの音とともにドアが開いた。

「ロック、話は一段落した? ちょっといいかしら」

 フィービがひょいと顔を覗かせる。

「急ぎのお客様だそうよ。お通ししていい?」

「急ぎの?」

 聞き返すロックに、フィービは小首をかしげてみせた。

「ええ。どこでも断られて、わざわざこんな端っこまでいらしたんですって」

 彼女の後ろには、見知らぬ顔の男が立っていた。

 顔には全く覚えがなかったが、貧民街には似つかわしくない上等な身なりの男だった。

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