不穏な影
一時間前後だろうか。
自分の置かれた状況について考えてみたが
やはり地名に聞き覚えがない。
(元の世界の記憶すら曖昧だしな...)
妖精と話した時点で違う世界...異世界に飛んでしまった事は確実だろう。
夢だと信じたかったがどれだけ待とうと覚めないので現実だと認めるしかない。
そして、そうなると必然的に行動を起こさざるおえないだろう。
現時点で手元には食料なんてものは無い。
このままでは数日後に確実に餓死してしまう。
それ以前にとてもマズイ問題がある。
妖精というモノが存在したのだ。
魔物がいてもおかしくない。
魔物についても考えなくてはならないだろう。
幸い、いまだにそれらしきモノは見ていないが、頭上に日が昇っているというのが理由だとしたらとてもマズイのだ。
夜になったら活動しだした夜行性の魔物が襲って来ないとも言えない。
異世界に来たからには常に最悪の場合について考えなければならない。
冷静に分析しようとしているが
一方ではとても焦っていた。
ただでさえ成人してない学生の俺が異世界に...しかも幼い体で目覚めたのだ。
生き延びることすら厳しいような気がする。
普通に考えて夢でもなければこのような状況に陥ることなど有り得ないのだ。
そう...夢でもなければ有り得ないのだ!
だから、その夢であるという可能性が薄れていくにつれて焦りが増しているのだ。
しかし、焦ったところで何も解決しないのでなるべくポジティブに考えていきたい。
考えてみると良かった事だってある。
それはこの世界の言語についてだ。
どういう訳か妖精達とは会話が成立していたし
普通に話せていた。
それにレミとかいう妖精の発言には『人間』という単語が含まれていたから、この世界にも少なからず人が存在することもわかった。
レミの警戒していた様子からしてこの世界にはろくな人間がいない気もするのだが...
まぁ、話の通じる相手も少しはいるだろうから
きっとやっていけるだろう。
あれこれ考えたが、まずはここから動くべきだ。
そこら辺に落ちていた木の棒切れを拾って地面に目印となるように大きく×印を書いた。
特に意味はないが、戻って来てしまったらわかるだろう。
一直線に歩くつもりだから戻ってきたらマヌケだろうがな。
三十分程歩いただろうか。
目の前を川が横切っていた。
無論、渡るつもりはないが...
目を覚ましてから何も飲んでないので
水を手ですくって飲んでみた。
「おいしい...」
川は澄んでいてとても綺麗な水が流れていた。
可能ならボトルいっぱいに水を汲んで持っていきたいくらいだ。
それから俺は川に沿って歩いて行くことにした。
川沿いには村や人里がある事が多い...
少なくとも元の世界ならそうだ。
野菜や魚、食物を手に入れる際に近くに川があると効率も良い。
さらに三十分程川沿いを歩いた時だった。
集落?いや、村のようなものが少し離れたところに見えてきた。
もし、悪党たちが蔓延っているような村だとしたら危険だ。
村の周辺まで近付いてから木の陰に隠れ、そっと顔を出して観察してみる。
(ん...あれは、人か...)
村の中を歩いている人影を見つけた。
女性だろうか?
見た感じ無駄な肉は付いておらず、とてもスリムな体型で...茶髪で顔も整っており...
耳が長くて尖っていた...
見た目はほとんど人なのだが耳が尖っている。
つい身を乗り出してまじまじと見ていたからだろうか、背後に近付く足音に気付くのが遅れてしまった。
ジャキッという音と同時に背中に鋭い何かを突きつけられた。
「何者だっ!」
男の声。
反射的に俺は両手を上げていた。
(え〜っと...こ、こういう時は...)
どうしたらいいのかわからないが
取り敢えず言い訳を言わなければ命が危ないと思って男の問いかけに応じた。
「えっとぉ...その...道に迷ってしまったものなんですが...」
半分嘘だが相手の様子を窺ってみるにはいいだろう。
相手が悪党なら今すぐ逃げた方がいいが...
「道にぃ?こんな森の奥まで迷うヤツがいるのか!」
男の反応は厳しいものだった。が、
「ん...?妙にちいせぇな...ガキか?」
俺が幼くなっていたのが幸いして男は警戒心を緩めた。そして、俺の背中に突きつけていたものを離した。
「どーうして人間のガキがこんなとこまで...」
人間のガキ...?
背後の男はそう言ったのだ。
男が人間なら、わざわざ俺のことを”人間のガキ”とは言わないだろう。
つまり背後の男だと思っているモノは人間ではないのか?
まさか...と思い、恐る恐る振り返った。
「ふん...?見ねぇ顔だな。」
そこには20歳ぐらい?の青年が立っていた。
顔は整っていて好青年と言えなくもない。
状況が状況なのでアレなのだが...
そして、先ほどの女性のように耳が尖っていた。
青年の特徴的な耳を観察していると
「どうしたガキ?いや、ボウズでいいか。人様の顔をそんなに見つめて...」
眉を寄せて問いかけてくる。
「あっ、いや、えっと...」
不思議だったのでつい先ほどのように耳を見つめてしまった...。
まぁいいや。と青年は質問をしてきた。
「うーん...それより...こんな森の奥深くで迷子か?どうしたんだ?」
子供が一人で森の中を彷徨っていたら普通はそういう反応をするだろうな。
子供に気を許すんだ。
この人は悪い輩ではないだろう。
正直に置かれた状況を説明すれば助けて貰える可能性もなくはないと思っている。
「実は、行く宛が無くて...お腹も空いていて...俺、どうしたらいいのか...」
中身は大学生だ。
その事を忘れないように。
そして、このオドオドした演技によって目の前の青年は困った顔をしてしまった。
青年は長めの剣を手に持っていた。
おそらくさっきはあれを背中に突きつけられていたのだろうな。
その仕返しだ。困れ。
と、内心で少し思ったのは気にしないで欲しい。
「...捨て子か?」
青年は小声で考え込むように呟いた。
そして、今度は俺の顔を見て、
「ふむ...ボウズも大変だな...」
同情の眼差しを向けられた。
何か勘違いしているようだが放っておく。
「ところで、さっき俺の耳を見ていたようだが...エルフは初めて見るのか?」
耳を見ていたのがバレていた。
そして、とても気になっていた。
...それにしてもエルフか。
元の世界には存在しない種族だが
本当に森で生活しているとはなぁ。
感心しながら返事をした。
「はい。」
肯定すると青年が愉快そうに笑った。
「そうか、ハハッ...なら同胞を攫いにくる連中とは無関係だな!うむ、少し安心した!」
妙な目線を向けてきているので、確認も含め俺がどう反応するのかを見たいのだろう。
変に焦ったりしたら怪しまれるだろうな。
なので、ここは無難に質問で返してみる。
「攫う...何故なんです?」
予想はつく。だが、敢えて聞く。
「何故って?...そりゃ...高く売れるからなんじゃないのかなぁ...奴隷としても?」
そして、予想通りだ。
奴隷...嫌な響きだ。
実際に見たわけではないが。
「...許せませんね。」
俺は話を合わせた訳ではない。
これが俺の本心だ。
人は人であり、物ではない。
相手が悪なら罰する事に躊躇いはしない。
しかし、罪のない人が理不尽な仕打ちを受けるのは絶対に許せないのだ。
「あぁ...まったくだな。」
顔には出さないが、
青年の瞳の奥には怒りの感情が宿っていた。
罪のない同胞が奴隷にされたらそれは怒るだろうな。いや、それ以上...憎しみさえするだろう。
人間が嫌いになるのも仕方がないな。
妖精達も同じ扱いをされたりしてるのだろうか。
「ボウズ、お前...」
俺の顔が強ばってたのだろうか
エルフの青年は俺の顔を見て何故か笑顔になった。
そして、嬉しそうに俺に対して
「...いい奴だな、攫われた同胞達を心配して奴隷商人に怒るなんて...」
と、俺の肩を軽く叩いた。
この世界では命の重さが理解出来ていないものが多いってだけで、これが普通の反応だ。
喜ぶことなんてないのだが...
青年は笑顔のまま、
「無駄に警戒してしまったようだな。」
と言い、武器をしまった。
「いえ...そんな...」
突然、笑顔になったかと思いきや武器をしまって警戒心をなくした。
正直とても困惑する。
奴隷商人に対して勝手に怒っただけだ。
本当に喜ぶことなんてない。
(一体なんなのだろうか...)
「うーむ、にしても分からないなぁ。」
すると今度は首を傾げて見てきた。
喜んでいたかと思ったら今度は急に話題を変えて不思議そうに俺を眺めだした。
このエルフ、適当な性格だろうな。
「...何がですか?」
とりあえず聞いてみた。
「ん〜...ボウズはどこから来たんだ?オルニアか?それとも少し離れたアイザーンか?まぁ、どっちにしろこの森に来るのは奴隷商人やそいつらが雇う傭兵ぐらいしかいないしなぁ...。」
そりゃ人間不信にもなるなぁと思いながら
この人も大変だなぁと同情した。
とりあえず事情がわかるなら教えて欲しいので正直に答えた。
「目が覚めたらここに居たんです...どうやって来たのかもわかりません。」
青年は少し困った表情で俺を観察しだした。
「うーん...顔もあんまり見ないが、その服装も見たことないなぁ...」
元の世界の服装だから仕方がない。
「ジャージっていうものです。」
教えては見るものの答えは当然、
「いや...わからな...い...ッ!?」
突然なにかに驚いたかと思いきや
青年は目を見開いていた。
視線を辿って見てみると、俺の右手の甲に白い模様があった。
「え、なんだこれ...?」
自分の体については幼くなっていたこと以外は何も気にしていなかった。
周囲の変化が激しかったから気にする暇が無かったというべきか。
すると、青年が真剣な表情で
「これは、どうしたものか...族長に報告せねばなるまい...。」
とブツブツ言い出した。
俺の右手の甲には『✝』のような白い模様があった。
そして、擦っても消えない。
この模様を見て先ほど青年は目を見開いのだろう。
一体なんなのだろうか...
「おい、ボウズ。俺と一緒に村に来い。ボウズには族長と会ってもらわなきゃならなくなった。」
青年は少し戸惑いながらそう言って俺の手を掴んだ。
はい?族長ですって?
「安心しろ。ボウズの安全は俺が保証しよう。」
そう言われても困るものは困る。
手の模様を見てこの変わりようだからな。
この十字架のような模様はそんなに変なものなのか。
考えてもどうせ分からないことは目に見えているので大人しく族長と話すことにした。
(族長さんと話してみますかね...)
俺は青年についていった。
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そして────
エルフの村に入っていくリオン達を遠くから眺めている者がいた。
黒いローブを羽織っていて、フードを深くかぶっているため素性がわからない。
その者は小声で
「ここにも一人...ククッ」
と呟いた。
しばし眺めた後、その者は翻って今度は不気味に
「クククッ...あぁ...面白い...フフッ...楽しみですねぇ...」
と、言い残し去っていった。
チラリと見えた口元にはとても楽しそうな笑みが浮かんでいた。