ギャルゲー転生 ヤンデレ地獄編 ~対話ではわかりあえない彼女たち。ならば『俺』はこの手(物理)で運命を切り開きます~
とある夕暮れ時。
とある町のとあるマンションの1室に2人はいた。
夕日の差し込む部屋で佇む一組の男女。
年の頃は2人とも十代。高校生である。
これが恋人同士の逢瀬であったなら微笑ましくもあったかもしれない。
しかし、今その部屋を支配する空気はそんな甘やかで暖かいものではなく、どこか寒々しく、そして瘴気にも似た澱んだ気配をじっとりと放っていた。
「ひどいよ…ユウ君…」
口を開いたのは少女。
俯いた顔は前髪に隠され、表情を窺うことができない。しかし、搾り出されるように吐き出されたその言葉が表情よりもなお雄弁に彼女の悲哀を物語っていた。
「わたしの気持ち知ってるくせに…どうして他の娘のところになんていったりするの…」
小さな声。しかしそこに込められた感情は何者にも劣らぬほど濃く、そして深い。
たとえ彼女たちのことを知らない人間であったとしても、その声を聞けば彼女が目の前の少年を好いていることはよほどの朴念仁でもなければ容易く気がつくことだろう。
「どうしてわたしと一緒にいてくれないの?どうしてわたしのことを見てくれないの…」
故にこそ彼女の悲しみは深い。
報われぬ恋情をその身に抱き、それでもなお諦められず「好いてくれ」、「愛してくれ」と訴える小さな叫び。
ともすれば周囲の音にかき消されそうなほどに小さな声だが、だからこそかえって聞く者の心に突き刺さる。
加えて言うならば、目の前で悲しみの声をあげる少女は歳相応以上に充分愛らしい。
ごく一般的な感性を持つ男であれば、すぐにでも彼女を抱き締め、優しい言葉をかけてやりたい…そんな衝動に駆られることだろう。
しかし、少年はそんな少女を目前にしても微動だにしない。
だがこれは、けっしてこの少年が非情だからという訳ではない。
彼の動きを止める原因はただ一つ。
彼女の手に存在する、恋を語るにはあまりに不似合いな存在。それこそが原因であった。
ゆっくりと少女が顔を上げる。
涙に滲んだ瞳。
白い頬を伝う涙の雫が夕日を浴びてきらりと光る。
生来の美しさと相まってそれは至極男の庇護欲をそそる風情であるが、ただ一箇所どうにも見過ごすことのできない違和が存在する。
それは彼女の瞳だ。
夕日を受けて輝く涙とは対照的にその瞳はひどく暗い。
無論人間の瞳が色を変えることなどある筈もない。しかし、そう感じずにはいられないほどにその瞳は空洞じみた空虚さとその闇を湛えていた。
少女は真っ直ぐにその瞳を向ける。
これほど真正面から見ているくせに、果たして本当にこちらを向いているのかと不安にさせるような雰囲気がその瞳にはあった。
「…ユウ君…わたしと一緒にいて…わたしを見て…」
空虚な視線と情念のこもった言葉が少年に投げかけられる。
声は次第に大きくなる。
「わたしを好きになって…わたしを愛して!」
まるで自身の言葉に煽られるように、彼女の視線と言葉がその強さを増す。
「ずっと一緒にいて!死ぬまで!…ううん。死んでもずっと!永遠に!」
彼女が両手を胸元に持ち上げる。
その手に握られているのは大振りの包丁。
肩まで届く黒髪と美しい顔、それだけであればただの美しい少女であったが、その手に持った包丁が彼女の存在を狂気の位へと押し上げる。
情念のこもった言葉と揺らぐことの無い空虚な瞳。
それが彼女が心底真剣であることを強く物語る。
無表情だった彼女の顔が微かに笑む。
何かを諦めるように、取り返しのつかない何かを振り切るように…
「…ねぇ。ユウ君…一緒に死んで。」
その言葉を放つのと彼女が駆け寄ってくるのは同時だった。
腰だめに構えられた包丁。
それを自身の体ごと…いや、自分の全存在ごと少年にぶつけるように彼女は少年目掛けて駆け出す。
共に死ぬことこそが唯一の道だと信じてしまった少女はもはや一分の躊躇いもなく少年目掛けて包丁を突きこむ。
少年の胸目掛けて迫る刃。
今にも少年を取り込まんとする死への誘い。
それを少年は……
…半歩踏み込み受け流した。
彼が動いたのは彼女の刃が懐にまで伸び、次の瞬間彼の胸を突き破らんとするその刹那。
彼はあらかじめ見切っていたその機をけっして過たず、最小の動きにてその凶刃をかわした。
目の前にいる筈の少年が突如として消え去る。少女は慌てて止まろうとして思わずたたらを踏む。
素手という圧倒的に不利な状況において、この一瞬を逃す少年ではない。
素早く、しかしけっして力まず彼は手を伸ばす。
包丁を奪い取るのではない。
あくまで優しく彼女の手を触りにいく。
凍えた手を温めるようにふわりと優しくその手を包み込む。
状況にもよるが、攻めかかる相手に対して力でもって対抗しようとするのは悪手である。
掴もう、奪い取ろうと力を込めれば、当然相手もこちらの動きに反応する。
そうすれば相手の状態はもはや「虚」ではない。
相手が反応し体勢を整えてしまえば再び凶器の前に身を晒すという危険を冒さなければいけなくなる。
故に「力」は無用。「速さ」は無用。
あくまで「自然」に「優しく」、相手の手を我が手に取る。
そうすれば相手はこちらの手を危険と認識せず、生物に備わった「反射」というプログラムも作動しない。
反射し反応しなければ、相手の体勢が整えられることもない。
それこそがこちらの狙い。
相手の認識を誤認させ、ただ我のみが十全にこの場の主導権を握り戦場の独裁者として君臨する。
それこそが「理」であり、武の「技」であった。
少年は彼女の手を包んだ自分の手をふわりと持ち上げる。
やはり力は込めない。
戸棚のものをとるような自然で静かな動き。
包丁を握った彼女の手もそれに釣られるようにあっけない程簡単に頭上高くへと持ち上げられる。
持ち上がる手に釣られるように彼女の上体がやや上へと伸びる。
少年は見ていた。
その瞬間こそ、彼女の体が「死に体」になった瞬間だと。
すかさず少年は牙を向く。
持ち上げた彼女の腕を直下に振り下ろす。
もはや力など必要ない。
一度伸び上がり重心の崩れた彼女の体はまるでマネキンでも倒すように容易く床へと叩きつけられた。
ズシンと大きな音が響く。
「かはっ…」
床で後頭部と背中を強打し、少女はたまらず肺の空気を吐き出す。
指先の力も緩み、手に握られていた包丁が床へと落ちる。
少女にはこの状況を理解できない。
一体何が起こったのか?何故自分は倒れているのか?
彼女が思考を整理し、自身の状況を正確に把握するには今しばらくの時間が必要だったことだろう。
しかし、少年はそんな時間を与えるほど甘くもなければ優しくもなかった。
倒れた少女を油断無く見据え、腰には堅く固められた拳。
「セヤッ!!」
これまでの沈黙を破り鋭い呼気を吐く。
気合と同時に奔る拳。
放たれた拳は的確に少女の水月…みぞおちを抉る。
「がふっ」
これまで感じたことも無い特大の衝撃が少女を襲う。
肺の中の空気と胃液を同時に吐き出し、地獄の苦痛と共に彼女はその意識を閉ざした。
少女の動きが止まり、確かにその意識がないことを確かめてようやく少年はゆっくりと息を吐く。
そこに先程までの猛々しい雰囲気は存在しない。
歳相応よりやや疲れた調子でぼやくように言葉を漏らす。
「…この程度か。」
場違いな一言。
しかし、当人はそんなこと微塵も気にせず、次に行うべきことについてぼんやりと思考をめぐらせ始めていた。
松村 勇 17歳 高校生
それが今生の『俺』の名前であり、置かれた立場だ。
「今生の」などと言ったことから察して貰えるかもしれないが、『俺』には前世の記憶がある。
いわゆる「転生」というやつらしい。
しかし今のこの人生が果たして来世というものにあたるのかは残念ながら疑問だ。
それというのも『俺』が『松村 勇』の中で覚醒したのは、高校2年の4月 始業式のことである。
始業式で退屈な校長の演説を聴いている時、突如として『俺』の記憶が『松村 勇』の中に蘇ってきたのだ。
無論、最初は戸惑った。
その日は早退までして、一晩事態の把握に勤しんだ。
心を落ち着け、事態を整理し、わかったことが2つほどあった。
1つ、前世の『俺』は交通事故で死んだということ。
2つ、この世界がどうやら生前の『俺』がプレイしたことのあるゲームとそっくりであるということ。
そもそも『松村 勇』という名前自体がそのゲームの主人公の名前であり、学校名や町の名前、身内や付き合いのある知人の名前まで、その全てがゲームの『松村 勇』のものと合致したからだ。
そのゲームはいわゆる恋愛シミュレーションである。もはやタイトルも覚えていない。しかし、そんな『俺』が何故ゲームの設定だけ都合よく覚えていたのかといえば、そのゲームのいささか特殊な内容の為にほかならない。
そのゲームは大手メーカーが作った有名ゲームなどではない。
それはどこかのアマチュア団体が作成したフリーゲームだった。
システム、画像、BGM…そのどれもがゲームメーカーが作成する最新ゲームと比べれば、到底お話にならないほど稚拙な出来であったが、ある一点においてゲーマーたちの注目を集め、一部のゲーマーたちからは根強い人気を持ち続けていた。
このゲームの特異な点。それは『ヤンデレ』であった。
このゲームの売りは登場するヒロイン全員が極度の「ヤンデレ」であることだ。
それだけであれば昨今の群雄割拠のギャルゲー戦国時代、たいして珍しいものともいえなかったかもしれない。
しかし、このゲームが他のゲームと一線を隔す要因はその難易度にあった。
このゲームはとかくバッドエンドが多い。主人公がとにかくよく死ぬのだ。
ヒロインの好感度を下げたらバッドエンド。
好感度を上げすぎれば、今度は他のヒロインから殺されてバッドエンド。
僅かな瑕疵も許さないタイトロープの如き難易度はプレイしたゲーマーたちから多くの反響を生んだ。
曰く、…
これは恋愛シミュレーションじゃない。爆弾処理ゲームだ!
これ不良品だろ?…なに?仕様?死にやすすぎだろ主人公!スペラ○カーか、こいつは!
恋愛ゲームじゃなくてホラーゲームだろ?恋愛パートはいつ出てくるんだ?2週目以降か?
等々…
数多のゲーマーたちの絶叫と苦笑を受け、そのゲームは知る人ぞ知る『迷作』となった。
かく言う『俺』もそんなゲームの評判を聞き、このゲームをプレイした人間の1人だった。
噂に違わぬ高難易度と理不尽なまでに連続するバッドエンド。
『俺』はそんなゲームに驚き、笑い、苦悩し、そしてしばらくプレイした後、飽きた。
そもそも『俺』はさしてヘビーなゲーマーだったわけではない。
そこまで思い入れがあったわけでもないのに何故わざわざこの世界に転生することとなったのか……
とはいえ、そんなことを疑問に思っている場合でもない。
この世界が本当にゲームと同じ世界かはともかく、もし本当にゲームの世界だとすれば、『俺』の運命はまさしく絶体絶命の危機にある。
このゲームの舞台は高校2年の始まりから終わりまでの1年間。
『松村 勇』が数多くのヤンデレと学び舎を共にしながらそのエンディングを目指すというものだ。
ハッピーエンドもあるにはあるが、その数倍からなるバッドエンドでこのゲームは成り立っている。
妙な転生を果たした『俺』であるが、死んでもよいといえるほど今生に不満があるわけでもないし、自殺志願でもない。ついでに言うなら、ゲームならばともかく幾ら美少女でも実生活でわざわざヤンデレさん方とお近づきになりたいという欲求もない。
かくして『俺』は決意した。
この1年を無事生きぬくと。
そしてヤンデレという悪縁を断ち切り、幸福な人生を目指すと。
なぁに、コンプリートこそしていないが、一応前世ではクリアーしたこともあるゲームである。その時の記憶を元に行動すれば楽勝、楽勝……
…などと考えていた時期が『俺』にもありました。
当たり前のことだけど、ゲームと現実は違う。
ゲームの主人公であった『松村 勇』は要所要所で3択の選択肢を選ぶだけで物語を進めることができたが、『俺』こと『松村 勇』はそうは行かない。
選択肢など当然なく、むしろ日常の全ての行動が判定基準となりうるのだ。
それを痛感したのは決意から約一月後。
『俺』はあえなくバッドエンドを迎えることとなった。
バッドエンドの理由は自宅にやってきたヒロインによる刺殺。
犯人は佐伯 愛里。
このゲームの主人公 『松村 勇』の幼馴染であり、このゲームのメインヒロインでもある。
当然、このキャラのことは『俺』も記憶にあった。
このキャラは一見朗らかで優しく、主人公に対して面倒見のよい美少女なのだが、その内面はとんだ地雷女である。
幼い頃から『松村 勇』のことが好きなのだが、それを言い出すことができない。そのくせ恐ろしく嫉妬深い一面があり、他の女に『松村 勇』をとられることを至極恐れ、警戒している。その為もあり佐伯 愛里はメインヒロインであるのと同時に序盤から終盤まで最多のバッドエンド数を誇る要注意キャラでもあるのだ。
当然、そんな地雷女とお近づきになりたいわけも無い。『俺』は始業式以降、極力この佐伯 愛里のことを避け続けた。
…しかし、それがいけなかったようだ。
突如として自分と距離を置き始めた『松村 勇』を怪しみ、居もしない女の存在を疑い、1人で勝手に嫉妬し、追い込まれ、とうとう無理心中を目論むという結末に至った。
前世の記憶を思い返してみれば、このバッドエンドは割合初期に起こりがちな極めて一般的なエンディングである。
まさかこんな初歩的なところでひっかかるとはという悔しさ、一方でこれでこの怪しげな世界から解放されるという安堵感。
そんな矛盾した思いを抱えながら『俺』の意識は遠のいていく。
もし、また来世というものがあるなら今度こそはまっとうな来世を迎えたい…そんなことを願いながら。
そして、気がつけばまた高校2年の始業式だった。
全て夢だったのか?などという暢気な考えは持たない。
死の直前、自身を貫いた包丁の生々しい感触はいまだ脳裏に刻み込まれている。
半ば呆然としつつ、『俺』はこの世界のもう1つのルールに気が付いた。
3つ、それは例えバッドエンドとなっても『俺』は高校2年の始業式までループする。
考えてみれば、ゲームオーバーになった主人公は再びスタートからやり直すことになる。『俺』の境遇もそれと同じなのだろう。
このゲームのループがどういう要因でなりたっているかはわからない。
しかし確実なのは、今の『俺』は死という事象すら逃げ道となりえないヤンデレ地獄に身を置いているという絶望的事実であった。
そしてそれから『俺』は幾度ものループを果たした。
佐伯 愛里に告白し、恋人関係になる。
結果、実は『松村 勇』のことを慕っていたという先輩キャラにより殺害。
先輩キャラと早々に恋人関係になる。
結果、佐伯 愛里と先輩の修羅場に陥り、その後生き残ったヒロインにより殺害。
佐伯 愛里、先輩の両方とうまく付き合いハーレムを目指す。
結果、結局修羅場となって殺害。
二度目はうまくハーレム状態を築くも別のヒロインが現れ、そのヒロインにより殺害。
学校に通わず、部屋に引きこもる。
結果、どこからか合鍵を手に入れたヒロインが自宅に侵入し、そこで殺害。
繰り返されるループとけっして回避できない惨劇。
『俺』はほとほと疲れ果てた。
そもそも異常者相手にうまく立ち回るようなコミニュケーション能力や人生経験など前世の『俺』だって持ち合わせていなかったものだ。
ゲームの知識も人生経験も役には立たない。
数十度を超えるループの後、俺はとうとう追い詰められた。
どだい『俺』に恋愛シミュレーションの主人公なんて無理な話だったのだ。
なにせ前世じゃ諸事情により極めて女っけの薄い人生を歩んでいたのだ。
そんな、『俺』が異常者相手に恋の駆け引きなんて……
その時、『俺』の体に電流が走った。
恋の駆け引き…コミニュケーション…
一体、『俺』は何を言っているのだ?
手前勝手な理由でこちらを殺しにかかる異常者に何ゆえこちらだけ正攻法で臨まねばならないのか?
それはこの世界をゲームの世界と思うゆえにこれまで至ることのなかった素朴な疑問だった。
考えてみれば奇妙な話だ。
好感度を上げる?
説得する?
愛の力を信じる?
馬鹿馬鹿しい。
何を主人公は暢気なことを考えていたのだ。
成る程、これがまっとうな恋愛だというならそれも良いだろう。
しかし、この世界は違う。
跳梁跋扈する異常者たちが己の意に沿わぬ展開ならば躊躇い無く殺しにかかってくる世界だ。
そんな世界でただ己1人が巻き込まれ、被害者に甘んじる?
何と愚かしい。
『俺』の思考がこれまでにない方向へ展開を見せる。
『俺』の中身が切り替わる。
さようなら、恋愛ゲームの主人公 『松村 勇』。
ここからは俺こと松村 勇の出番だ。
確かに俺は 恋の駆け引きもコミニュケーション能力にも自信はない。
しかし、そんなことは問題にならない力と技術が俺にはある。
前世の俺は極めて女っけのない人生を歩んでいた。
それもその筈だ。
幼い頃、特撮ヒーローに憧れて近所の空手道場に入門したのを皮切りに、その後も様々な武道を習い続け、社会人になる頃にはどこに出しても恥ずかしいほどの武道オタクだった。
コンパ、合コン等には見向きもせず、西に珍しい武術の道場があると聞けば行って体験と指導をお願いし、東に武道のオープン試合の募集があれば行って自分の技を試した。
そんな俺である。女の扱いには自信は無いが、武道というものに関しては一家言あるつもりだ。
考えようによっては今の状況も悪くない。
刃物を持った異常者?
異常者が相手なのだ。身に付けた技を試し放題じゃないか。
その上、死んでもまたやり直しがきくのだ。また工夫し打破することができる。武術を愛するものとしてこんな面白そうなことがあるだろうか?
頬が緩み、唇が釣りあがる。
絶頂しそうなほどの興奮が俺を包む。
さあ、恋愛ゲームの時間はおしまいだ。
ここからは俺が主役のアクションゲームの時間だ。
待っていろ異常者ども。
俺の…武道の力を見せてくれるわ!
そして時間は最初の場面に跳ぶ。
俺の足元にはみぞおちに正拳を受け、泡を吹いて気絶している佐伯 愛里がいる。
数十度に渡って俺を殺してきた佐伯 愛里もいざ戦ってみれば存外あっけないものだった。
反撃されることなんて微塵も考えていない思考の甘さ。
故にこそ、想定外の反撃に全く対応もできずこのような無様を晒す。
いや…こんな奴にこれまで何度も不覚を取ってきた己の未熟こそ恥じるべきかもしれない。
ともあれ、いざ戦いに臨んでみればまったく苦戦することも無く勝利を収めた。
実戦で一番ネックになるのは傷つく、殺されることに対する恐怖であるのだが、これまで数十度殺されてきたことの副産物か、さして動きに影響するほどの恐怖は感じられなかった。
ちなみに佐伯 愛里の犯行についてはあらかじめ仕掛けておいた隠しカメラとボイスレコーダーで記録済みだ。
後はこのまま縛って証拠と一緒に警察に突き出せば、この舞台から正式にご退場願えるというわけだ。
女の子に対してひどい?
何を馬鹿なことを。
これまで数十度殺され続けたのをこれ1回でチャラにしているのだ。むしろこの優しさに感謝して貰いたいくらいだ。
兎にも角にもまずは1人。
これで一歩クリアーに近づいたというわけだ。
確かな前進と戦いの高揚。
それに浮かされるように、俺は1人部屋の中で声をあげて笑った。
「あなたがいけないんですよ。」
長い黒髪の大人びた少女が悲しげにそう呟く。
その手には冴え冴えとした光を放つ日本刀が…
「ま、待ってください!先輩どうしちゃったんですか!?」
俺は先輩に向かって叫ぶ。
一歩
「あなたが私を変えてしまった。あなたが私を狂わせた…」
刀の切っ先がこちらを向く。
「落ち着いて下さい。先輩!」
二歩
「…苦しいんです。あなたの笑顔を見ると、あなたと一緒に居ると…胸が壊れそうなくらい幸せで、そしてそれ以上に苦しいんです。」
先輩の顔は今にも泣きそうな笑み。
「ましてや他の女性と居るところなんて…もう耐えられない。たとえ縛り付けてもあなたはどこかへ行ってしまうかもしれない。どんなに愛してもあなたは他の女を選ぶかもしれない…ならばいっそ…」
浮かんだ笑み写るのは確かな狂気。
構えた彼女の腰が僅かに沈む。
「先輩!どうしたんですか?いつもの優しい先輩に戻って下さい。」
俺は必死の声をあげて彼女を説得する。
三歩
先輩はゆっくりと首を振る。
「もう、抑えられないんです…先に逝っていて下さいね松村君?私もすぐにあなたを追いますから…」
彼女の腰が更に沈み、そして持ち上がり、前へと踏み出す。
「先輩!!」
四歩。
ギリギリ間に合った。
真っ直ぐ胴体目掛けて突きかかる彼女。
それに対し俺は足を振り上げる。
狙いは彼女ではない。
狙いは刀の鍔元。正確にはそこを握る彼女の右手だ。
刀が胴体に届く直前。俺の蹴り足が彼女の右手を狙い打つ。
蹴りによって彼女の右手から握力が失せ、衝撃と右手の支えを失った刀が狙いをそれ、あらぬ方向へと飛ぶ。
驚愕する彼女。
しかし、直ぐにその目に確かな意思が戻る。さすがは武道経験があるだけはある。ここが佐伯 愛里との大きな違いだろう。
だが、遅い。
俺は彼女が体勢を整えるのを待たず大きく踏み込む。
接近する彼我の間合い。
僅かに顔を寄せればそのまま口付けできてしまいそうなほどの距離。
しかし、俺がくれてやるのは唇ではない。
踏み込みと腰の回転。それをフル活用して肘を放つ。
狙いは胴体。狙い通りに命中した肘からは彼女の肋骨が砕ける感触を感じる。
「カハッ…」
彼女から漏れる苦悶の吐息。
思わず前のめりになる彼女に俺はダメ押しの一撃を放つ。
下がる頭をすかさず抱え、そのまま膝を放つ。
顎をかち上げられ彼女の頭がボールのようにバウンドする。
もはや意識はないだろう。
俺の予想に違わず、彼女はそのまま人形のように崩れ落ちた。
2人目
彼女は俺の1年上の先輩で、生徒会長を務めている。
由緒正しい家の生まれで、幼いころから教養として剣道と居合いを学んでいたらしい。
家や学校から寄せられる期待に必死で応えようとして、その一方でどんどん追い詰められ、そんな中で主人公と出会い、癒され、執着し、そして凶行に及んだ。そういう設定らしい。
前世でも対武器の技は学んでいたが、本物の刀を相手に使うことなど無論なかった。
やはり、実戦はなかなか型通りにはいかないものだ。
勝つまでに2度もループすることになってしまった。
しかし、それも良い経験だ。
今回は会話で時間を稼ぎながら間合いを詰めたのが勝因だ。
やはり、武器を相手にするのに必要なのは間合いの見極めとここぞという時の思い切った踏み込みが重要らしい。
今回のことで何かコツを掴めた気がする。
次にやる時はもっとうまくやることができるだろう。
……彼女の名前?
………何だっけ?ずっと『先輩』としか呼んでなかったからもう忘れた。
まぁ問題ないだろう。次にループしたとしても、もう苦戦することは無いだろうし。
その後も俺の戦いは続いた。
3人目
毒物を盛ってくる後輩。
毒を盛っている場面を押さえ、問答無用で叩きのめす。
楽勝。
4人目
インターハイ常連のスポーツ少女。
身体能力の高さはネックだったが技で完封。
基礎体力の重要性と技の重要性を学ぶ。
5人目
実はマフィアの娘だというイタリアからの留学生。
彼女プラス十数人からなるマフィアとの戦い。
銃器を持っていたのが痛かった。
5度のループの後、クリアー。
乱戦で重要なのは足捌きと如何に有利な状況で戦えるかという戦略だということを学ぶ。
そして……
荒廃した大地。
空を覆うのは漆黒の大宇宙。
眼前に浮かぶのは漆黒の衣を纏った銀髪、緋と蒼のオッドアイを持つ1人の少女。
「我のものにならぬというならばそれもよい……ならばこの世界を灰燼と化し、それをもって汝と我の愛の墓標としよう……」
このゲームの攻略キャラは12人と記憶していたが、13人目として現れたのが彼女である。
彼女は魔王であり、いまや俺と共に世界まで滅ぼそうとしている。
何ゆえ一介の高校生が魔王などと関わることになったのかといえば色々複雑な流れがあったのだが、それについては長くなるので割愛する。
しかし、一応は恋愛ゲームだと思っていたのだが、ここに来て唐突なファンタジー要素を織り交ぜてくるとは…
このゲームは俺が思っていた以上にクソゲーだったらしい。
もはやここまでくるとヤンデレという問題でもない気がするが…
だが、ここまで来ては俺も退くわけにはいかない。
彼女は13人目。おそらくは隠しキャラという奴なのだろう。
ならば彼女さえ撃破できれば、このゲームはクリアーとなり、俺はこの馬鹿げた争いからも解放される筈だ。
目の前の魔王がその手を高々とあげる。
突如として出現する無数の人ならぬ影の兵隊。魔王の手下たちだ。
俺は特殊な呼吸法を用いて全身の気を活性化させる。
(どこでそんな技を身に付けたかに関しては長くなるので割愛する)
全身に気を纏った俺は敵の軍勢を睨みつける。
もはや百を超える敵の軍勢。
だが俺は怯まない。
「武道オタクを舐めんじゃねぇぇぇ!!」
俺は勝利と自由を目指し、敵軍目掛けて駆け出すのだった。
なお、ここからは松村 勇こと『彼』も知らなかったことである。
このゲームは確かにクソゲーであったが一部では根強い人気を持ち続けた。
その結果、その人気と製作サイドの悪ノリによって幾たびものアップデートが施され、最終的なヒロインの数は12人どころかその数倍の人数を有するまでになった。
従って彼が現在戦っている魔王系ヤンデレは隠しキャラなどではなく、ごくごく普通の攻略キャラの1人であり、たとえ彼女を倒したとしても、その後には邪神系ヤンデレ、四次元ヤンデレ、並行宇宙系ヤンデレなど、まだまだ数多くのヤンデレたちが控えている。
松村 勇こと『彼』はこれからもそれらとの戦いを強いられることになるのだが…それについてはまた別のお話である。