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笑顔の行方  作者: けせらせら
29/30

7.2

 その言葉の意味がわからず、文也は唖然として沙織のことを見つめた。

「渡部さん、ずっとあなたが戻ってくるのを待っていました」

 沙織が青島に向かって言う。

「沙織さん、何言ってるんですか?」

 意味がわからず、文也が口を挟んだ。「この人は青島さんです。警視庁の刑事です」

「刑事?」

 初めて沙織の視線が文也に向けられる。

「ええ。20年前の事件のことを調べてるって――」

「そんなの嘘に決まっているでしょう。その男は20年前にここで起きた殺人事件の犯人です。渡部幸次郎、それがその男の本名です。それにその男が調べているのは事件のことなんかじゃないわ。事件の時に見つけることが出来なかった2億円相当の宝石。そして、私の母の日記です」

「2億?」

 驚いて青島のほうを見る。青島はさっきから一言も喋らず、じっと沙織のほうを睨みつづけている。

「何か言い訳がある?」

「真下沙織と言ったな」

 青島がやっと口を開いた。「おまえは誰だ?」

「あなたが殺した真下恭子の娘です」

 その言葉に青島の表情が歪む。

「……バカな……そんなはずがない」

「なぜですか? あなたが殺したはずだから? そうね。姉さんは殺され、私もあなたにナイフで刺されました。でも、幸いにも私は生き延びた」

「嘘だ! 全員死んだはずだ。生き残りがいるはずがない」

「ええ。確かにそう報道されました。あなたの目を誤魔化すためにね。でも、実際には私は生きています。あれから20年……長かった」

「いったいどういうことですか? 20年前の事件のことを言っているんですか? 青島さん、答えてください?」

 文也の問いかけに青島はグッと唇を噛んだ。それに答えたのは沙織だった。

「20年前、銀座の宝石店で2億円ほどの宝石が奪われるという事件がありました。犯人は二人。一人は死体で発見されましたが、もう一人は警察の手を逃れ行方をくらましました。それがその男です。その男は警察の目を誤魔化すため、幼馴染である母を騙し、母にその宝石の入ったバッグを預けたんです。けれど、そのことに母が気づいて、警察に全てを話そうとしたために、その男は父や母、そして姉さんを殺したんです」

「何をバカなことを……何の証拠があるって言うんだ!」

「この家にわざわざ忍び込んできたことが何よりの証拠ではありませんか。あなたがあの時の宝石を狙ってこの家の周囲にいることはわかっていました。いずれあなたがやってくると思っていました。それに証拠なら母の日記があります」

「何?」

「母が日記を書いていたことは河井礼子から聞いて知っていた。あなたは母の日記が見つからないということを聞き、ずっと不安だったんでしょう? そのなかにあなたのことが書かれているかもしれない。そして、それが見つかればあなたの犯罪が表に出ることになる」

「……」

「あの日記を警察に渡すつもりはありません。もうあの事件の時効は成立しています」

「フン、だったら――」

「私は私の復讐をするだけ」

「……復讐だと?」

「時効が成立しているからといって罪が消えたわけじゃありません。あなたは裁かれなければいけない」

「ふざけるな!」

 青島の怒号が地下室に響き渡る。

「青島さん――」

 文也は背後に立つ青島を振り返ろうとした。その瞬間、青島の腕が動いた。いつの間にか青島の手に握られた拳銃が文也の後頭部に振り下ろされた。

 ぐらりと世界が揺れた。

 目の前が真っ暗になり、体から力が抜けていく。

 ドサリと自分の体がコンクリートの床に落ちていくのが感じられた。かろうじて意識は繋がっているが、それでも頭の芯がぼんやりとしている。

「何をするつもりです!」

 沙織の厳しい声が微かに聞こえてくる。

「動くな! 動くとこの小僧の頭が吹き飛ぶぞ。この俺を罠にかけようなんていい度胸してるじゃねえか! だが、残念だったな! 俺はてめえらにハメられたりはしねえ! てめえら全員ぶっ殺してやる!」

 ズキズキと殴られた後頭部が痛む。

 ゴリリと頭に硬いものが押し付けられる感じがする。

(……拳銃)

 ぼやけた意識のなかで何が起こっているのかを微かに理解することが出来る。

 懸命に意識をしっかりさせようと瞼を開ける。

 暗いざらついたコンクリートの壁が見える。

(……これは……)

 これに似たことが前にもあったような気がする。

 いつだったろう。

(あれは……)

 音という音がすべて消え、一つの光景が蘇ってくる。

 記憶を呼び覚まそうと瞼を閉じる。

 真っ暗な世界。

(小雪ちゃん……どこ?)

 血に染まった床。

 ソファの陰に人が倒れているのが見える。

(おじさん……おばさん……沙織お姉ちゃん)

 まるでお互いを庇いあうように折り重なって倒れている。

 そして、その一番下に――

 その時、爆音が響き、小さく悲鳴が聞こえた。

 途端に意識が現実に引き戻される。

 目を開けると、拳銃を持つ青島の姿が目に飛び込んできた。拳銃が沙織に向けられている。沙織は左足を押さえて蹲っている。

(撃たれたのか?)

 カッと頭に血が上る。

「やめろぉぉぉ!」

 文也は咄嗟に立ち上がると青島に突っ込んでいった。

 夢中で目の前の青島の腕に飛びついた。

「きさまぁ!」

 爆音が一発、地下室に響く。弾丸がコンクリートの壁に当たり火花が飛び散る。

(彼女を助けるんだ!)

 その強い気持ちが文也を突き動かしていた。拳銃さえ奪い取ることが出来ればこの状況から逃れることが出来るはずだ。

 ありったけの力を両腕に込める。

「離せ! 離せ、きさまぁ!」

 青島が左の肘で文也の顔を殴った。体がぐらりと揺れ思わず力が抜ける。青島の右腕がするりと手のなかから逃れた。

(マズイ!)

 拳銃が自分に向けられるよりも早く、文也は無我夢中で青島の体に組み付いた。そして、そのまま壁に突進した。二人の体が壁にぶつかり、青島の手から拳銃が床に落ちる。

「小僧!」

 青島が文也の体を押し返そうとするのを利用して、文也は青島の腰にしがみついたまま逆方向に向って押し込んだ。

「離せ!」

 その声とともに鋭い痛みが肩口に広がった。さらに青島の膝が文也の鳩尾に突き刺さる。力を弱めたところを力いっぱい吹き飛ばされた。

 投げ出され、体がコンクリートの床に叩きつけられる。

 痛みを堪え、すぐに立ち上がろうとする文也の目の前に、床に転がった懐中電灯に照らされた青島の姿があった。ポケットからナイフを取り出し、文也のほうをこれまで見たこともない憤怒の形相で睨んでいる。

 部屋を見回すと、拳銃が部屋の隅に転がっている。

 青島は横目でその拳銃を見ると、ナイフを手にしたままゆっくりと近づいていく。

(くそ)

 その時、真っ暗な壁がボコリと開いた。

 そして、一人の男が姿を現した。男は驚く青島と足元の拳銃を見比べながら――

「間に合ったようだね」

 その男の顔に見覚えがあった。以前、沙織を尾行した時、沙織が会っていた男だ。

「おまえは……」

「遅くなって悪かった。ちょっと外の奴らをおとなしくさせるのに手間取ってしまってね」

 そう言いながら男はポケットからタバコを取り出すと火をつけた。そして、余裕の表情で紫煙を吐き出す。

「何?」

「もう諦めたまえ。君の仲間たちは既に捕らえた」

「おまえ……まさか……」

「いや、私は警察の人間ではない。君のような嘘はつかんよ。だが、君にとっては警察のほうが良かったのかもしれない。私は警察のように甘くはないからね」

「そうか、朝宮というのはおまえだな?」

「君のような人間にその名前で呼ばれたくはないな。それに私にも君にも名前などたいした意味などないだろ? さ、お喋りはほどほどにしておこう。ケガ人もいるようだからね」

 男が青島に向かい一歩足を踏み出した。

「くっそぉ!」

 青島が男に飛び掛った。

 男は落ち着いていた。まるでゆっくりとした動作で青島が突き出すナイフをひょいと交わすと、その腕を掴み捻りあげた。

 まるでマジックにかかったかのように、青島の体が宙に浮き、そして一回転すると後頭部からコンクリートの床に叩きつけられた。グゥと低く呻き声が聞こえた。

「おや? 大丈夫かな?」

 動かなくなった青島を見下ろしながら男が笑う。それを見つめていた文也の体から突然体の力が抜けていった。

「文也君!」

 沙織の声が聞こえた。

 ドサリという音とともに自分の体が転倒したのだということに、文也はやっと気がついた。

 肩口がズキズキと痛みが広がっている。

「大丈夫かね?」

 近づいてきた男が文也を見下ろしながら訊いた。「少し出血が多いな。早く治療をしたほうがいい」

「あ、あなたは?」

 クラクラする頭を押さえながら文也は男を見た。男の輪郭がぼやけて見える。

「朝比奈亮平。探偵だ」

 その声を聞きながら文也は気を失った。


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