6.5
いつものように渋谷の駅前で文也は青島が現れるのを待っていた。
ポケットに突っ込んだ手のなかで携帯電話を弄ぶ。
栗原に相談するため、昨夜から連絡を取ろうとしているのだが、電話が繋がらない状態が続いている。
未だ真下沙織たちが何者なのか知ることは出来ない。それでも沙織たちが偽装家族であることには間違いがないだろう。
突然、手のなかの携帯電話が鳴り出した。
急いで電話に出ると、日下部からだった。
――何してるんや? 早くこっちに来いや。
顔を上げると、いつの間にかクラウンがタクシー乗り場から少し離れたところに停められている。
文也は急いで車へと向かった。
後部座席のドアを開けると、そこは空っぽで青島の姿はない。
「青島さんは? いないんですか?」
「安心せい。青島さんとこに連れてったるから。早よう乗れや」
日下部に命じられるままに文也は車に乗り込むと、車は勢いよく発進した。青島を乗せているときとは明らかに運転の仕方が違い荒っぽい。
前を行く車が少しでも遅いとすぐにパッシングして煽り、車線を変える時にも方向指示器など一切出そうとしない。こんな運転をパトカーの前ですれば、すぐに止められてしまいそうだ。
ふと、刑事がパトカーに止められる瞬間を見てみたいような気もする。
やがて車はビルの駐車場へと滑り込んでいった。
日下部に従いビルの最上階にあるフレンチのレストランへと向かう。こんな時でもなければとても来ることのないような店だ。
ウェイターは日下部と文也の服装を見て一瞬眉をしかめた。無理もない。日下部は革ジャンにジーンズ姿。文也もまたジーンズに白のパーカーと、とても店とは不相応な格好だ。だが、日下部がボソボソと小さく耳打ちすると、ウェイターはすぐに表情を変えて二人を奥の部屋へと案内していった。
連れて行かれたのは店の奥にある個室だった。大きな窓が備えつけられ、渋谷の街が一望出来る。
黒のスーツを着た青島が食後のコーヒーを飲んでいるところだった。
「座りなさい」
青島の言葉に促され、その前の席に腰を降ろす。日下部もその隣に座って足を組んだ。
「何か食べるかね?」
「いえ、結構です」
青島は傍に立つウェイターに手で出て行くように合図をすると、再び文也に顔を向けた。
「それじゃ話を聞かせてもらおうか。何かあったんだ?」
一呼吸おいてから文也は口を開いた。
「あの人たちは偽装家族です」
「偽装家族?」
一瞬、タバコに火をつけようとした手を止めて青島は聞き返した。
「末っ子の真下小雪の本名は村松美幸と言い、20年前に殺された真下一家とは何の関わりもありません。おそらく他の家族も同じだと思います。彼らはある男に雇われ、真下一家としてあの家に暮らしています」
紫煙を吐き出しながら青島が文也をじっと見つめる。初めから予想していたのか、それほど驚いている様子はない。
「では、彼らを雇っている男というのは誰なんだ? それもわかったのか?」
「たぶん朝宮という男です」
「何者だ?」
わずかに青島の頬が動いた。
「それは……まだわかりません」
「調べられるのか?」
「難しいかもしれません」
あの男は自分が尾行したことを知っている。もう一度、沙織たちを尾行してもおそらくあの男が何者なのかを探ることは無理なように思われた。
文也はそのことを口にしようとして止めた。そんな自らの失敗をわざわざ青島に言う必要もない。
「そうか」
青島の表情がわずかに曇る。
「すいません」
「いや、構わない。君はよくやってくれた。実はその名前は私たちも聞いたことがある。だが、調べてみてもなぜかはっきりしない。本当にそんな人物がいるのかどうかも怪しい。彼らが20年前に殺された真下家族と無関係だということが確認されただけで十分だ。あとはこちらで何とかしてみよう」
「調べられるんですか?」
「方法はある。その真下家の4人だが、皆、その男のことを知ってるのか?」
「さあ……男と接触したのは沙織さんだけです。他の人たちは会ったこともないようです」
「真下沙織か」
青島は腕組みをして呟いた。
「どうするんです?」
「直接聞いてみるしかないだろう」
「直接って……」
「君は心配しなくていい。最後の手を使うだけだ。本当はもう少し穏便に済ませたかったのだが、これ以上調べても黒幕はわからないだろう。もともと彼らが真下家の人間などとは思ってはいない。真下秀光とその家族は20年前に皆、殺されたんだ。偶然に同じ名前の家族が引っ越してくるなどあり得るはずがない。彼らが何者なのかはわからない。だが、何か目的を持って、真下家の名前を騙ってあの屋敷に住み着いているに違いない」
「あの人たちはどうして僕を雇ったんでしょう?」
「カムフラージュだろう。家政婦の烏丸明美や君のような第三者を雇うことで、世間の目から自分たちの正体を隠すためだ。犯罪者のよくやる手だ」
青島は『犯罪者』という部分に力を込めて言った。
「……でも、あの人たちはただ朝宮という男の指示で動いているだけです。何も知らないんじゃないでしょうか」
「彼らが何も知らないと考えるのはどうだろう。彼らがその男の仲間と考えるほうが自然だと思うが」
「けど……」
どう説明すればいいのかわからなかった。
沙織たちが青島の言うような『犯罪者』とはとても思えない。真下夫婦や小雪は20年前の事件についても、自分たちが何をしているのかについても何も知らされては居ないはずだ。
そもそも20年前の事件はいったい自分にとってどんな意味を持っているのだろう。
自分はあの屋敷を知っている。ひょっとしたらあの家族たちのことも知っているのかもしれない。それだけじゃない。20年前の事件にも何か関わっていたのかもしれない。
警察ならば……青島ならば、そのことも調べられるのだろうか。
言葉に迷っていると、青島が先に口を開いた。
「君が悩む必要はない」
青島は柔らかい口調で言った。「君のことは警察が責任を持って保護しよう。なあに心配はいらない。全てを明らかにすることが出来れば彼らは一網打尽だ」
「いえ……そういうことじゃありません」
「では何を悩んでるんだ? 彼らに同情をしてるのか? まあ、一緒に暮らしているんだ。少しくらい彼らに対して情が沸いても仕方ない。だが、彼らは犯罪者だ。彼らに同情する必要はない」
「本当にあの人たちは犯罪者なんでしょうか?」
「以前、君に20年前の事件のことを話したはずだよ」
「わかってます。でも――」
「私はあえて核心について君には黙っていた。彼らが殺されたことは、強盗殺人事件のようにマスコミには言われてきた。だが私は別な見方をしている」
「別って?」
「彼らは犯罪組織のメンバーだった可能性がある」
「犯罪組織? でも、殺されたのはただの建築士じゃ――」
「それは表向きの職業だ。どんな犯罪者でも世間の目を誤魔化す表の顔は持っている。真下秀光は密輸や密売を行っていた疑いがある。おそらく彼らは組織内の抗争によって殺されたのだろう。そして、20年前の事件の原因となったものがきっとあの家には隠されている。おそらく彼らはそれを捜している」
「それじゃあの人たちは――」
「おそらく20年前に真下秀光たちを殺した犯人の一味だと私は考えている」
青島は声のトーンを低くして言った。
「そんな……」
「先日、河井礼子を殺したのも彼らの仕業だろう」
「ど、どうして?」
「河井礼子は20年前、真下家の近所に住み、彼らとは懇意にしていた。彼らは彼女が真下家の秘密を知っていたと考えたのだろう。それで秘密を聞き出すために彼女に近づいた。ところが河井礼子は何も知らなかった。だからこそ、彼女は殺された」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
「もし、彼女がそれを知っていたとすれば、彼らは欲しいものを捜し出してとっくにあの家を出て行っているはずだ。彼らがまだ家に残っているということは、彼女から情報を何も聞き出せなかったということだろう」
「だったら柿沢さんはどうして殺されたんですか?」
「仲間割れでも起こしたのかもしれない。いずれにしてもあの家のなかに隠されたものが全ての鍵になっている。それが見つけることさえ出来れば全ての謎は解けるんだが……」
その言葉を聞き、文也はハッとした。頭に浮かんだことがあった。
「僕……それがどこにあるかわかるような気がします」
「何? 本当か?」
文也の言葉に青島の表情が変わった。青島は目を大きくして身を乗り出した。
「それを今日、話すつもりだったんです。実は昨日、地下に通じる隠しドアを見つけたんです」
「隠しドアだって? どこにあった?」
青島の手が興奮を抑えようとするようにテーブルの上で拳をきつく握られる。
「3階の書斎です」
「3階? 3階から地下へ行けるのか?」
「ええ」
「そうか……そんなところにあったのか。で? 君はそこに入ってみたのか? 何があった?」
「いえ、まだ入ってはいません」
怖くなって入ることが出来なかったとはさすがに言いにくい。
「案内出来るか?」
「入るんですか?」
「当然だ。入ってみなければそこに何があるかわからないだろう?」
「それじゃ令状を?」
「いや――」
青島は首を横に振った。「そんな面倒なことはしてられない。それにもし何も発見出来なければ意味がないからな」
「でも、令状なしに入れば――」
「君はつまらないことを気にするんだな」
青島は眉を潜め文也を見た。「確かに令状なしに踏み込めば違法だということはわかっている。君に言われるまでもない。それでもやらなきゃならないこともある。心配しなくていい。一度、確認さえすれば、すぐに令状を取って正式に踏み込む。それならいいだろう?」
「ええ……」
「明日の夜はどうだ?」
「明日?」
文也は戸惑った。
「やるなら早いほうがいい」
「あの……」
「なんだ?」
「沙織さんもその仲間なんでしょうか?」
「真下沙織か。なぜそんなことを訊くんだ?」
「青島さんはあの人たちのことを犯罪者だと思ってるみたいですが、僕はそうは思えません。あの人たちは皆、ただ指示に従っているだけじゃないでしょうか。河井礼子のことも、柿沢さんのこともあの人たちは何も知らないんじゃないかと思うんです」
そうあって欲しいと願いながら文也は言った。青島は少し考えるような素振りの後――
「うむ。君の言うとおりかもしれないな。ひょっとしたらその人も利用されているだけなのかもしれない。末娘の小雪という子はバイトで雇われたと言ったね? 同じように沙織という子も雇われている可能性は否定出来ない。彼らのことを心配しているなら、大丈夫だ。彼らが利用されているだけならば、重い罪に問われることはない」
青島の言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「それじゃやっぱり黒幕は――」
「朝宮か……それにしてもその男というのは誰なのだろうな。他に何かわかったことはないのか?」
「すいません。やはりもう少し調べますか?」
今度、桑島がやってきたら自分であの男を尾行してみよう。車のトランクにでも隠れればあの男の正体を掴むことが出来るかもしれない。
だが――
「いや、慎重になりすぎるのもよくないだろう。今まで十分過ぎるくらい待ったんだ。地下室のことがわかった今、いたずらに待つべきではないだろう。家の人たちは何時頃まで起きてる?」
「いつも早いですよ。11時過ぎれば寝てると思います」
「確かだろうな?」
「それぞれの部屋には鍵がついているので、眠ってるかどうかまでは判断出来ませんよ」
「鍵か……」
青島は少し考え込むような仕草をした後、顔をあげると言った。「よし、いいだろう。明日の夜、全てを終わらせよう」
鋭い眼光で青島は呟いた。
今まで見せたことのない一面が見えた気がした。




