6.4
沙織たちが帰ってきたのは夜8時を過ぎてからだった。
2階から降りてきた文也に、大きなプーさんのぬいぐるみを抱いてミッキーマウスの耳を頭につけた小雪がディズニーの各キャラクターを形どったクッキーの箱を差し出した。
「はい、お土産」
「おかえり。楽しかったみたいだね?」
「とーーーーーっても」
小雪は満面の笑みで答えると、そのままパタパタと階段を上がっていった。両親と別れて暮らしている小雪にとって、偽りとはいえ家族で遊園地に行くということは特別な出来事だったに違いない。
「まったく小雪は元気だな」
小雪の後ろ姿を眺めながら、疲れたような声で秀光が笑った。そんな秀光の言葉に文也は複雑な気持ちになった。
秀光はどこまで小雪の気持ちをわかってあげているのだろう。
「ずいぶんお疲れのようですね」
「まったく。こんなに疲れるなら家にいれば良かった」と言う秀光に対して――
「たまには子供にも付き合わなきゃ」と恭子が答える。
そんな夫婦の会話もどこか白々しく聞こえる。
そもそも本当にディズニーランドになど言ったのだろうか。そんなところから疑ってしまう。
「コーヒーでも飲みますか?」
沙織が秀光に声をかけると、秀光と恭子が少し驚いたように沙織の顔を見た。
「烏丸さんは休んでいるだろう?」
「コーヒーくらいなら私がいれますよ。二人ともリビングで休んでいてください。三里さんも飲まれますか?」
「いえ、僕はいいですよ。ちょっとお土産話でも小雪ちゃんに聞かせてもらいます」
そう言って文也は階段を上がった。
(まるで家族ごっこだな)
沙織と秀光たちの会話を思い出し、少し可笑しくなる。秀光たちがいつも部屋に閉じこもっているのは、その不自然さを見せないようにするためだろう。
2階にある小雪の部屋の前に立つと、文也は軽くドアをノックした。
文也の顔を見て、小雪は露骨に嫌な顔をした。
「えー、まさか今日も勉強するのぉ? 疲れちゃった」
そう言いながら小雪はベッドにうつぶせに倒れた。文也に自分の本名がバレてから、小雪は以前よりも気軽に文也に話をするようになっていた。
「ううん、そうじゃないんだ」
部屋に入りドアを閉めながら文也は言った。そして、机の脇に置かれた椅子に腰掛けて小雪に顔を向ける。
「じゃあ何なの?」
「ちょっと教えて欲しいことがあってね。今日はどこに行って来たの?」
「ディズニーランドだよ」
ひょいと顔をあげて小雪は答えた。「朝、言ったよね」
「本当だったの?」
「うん。さっきお土産あげたでしょ」
「それはそうだけど」
「どうして?」
小雪は起き上がるとベッドに座りなおした。
「皆とはずっと一緒?」
「うん。沙織ちゃんとお父さんはあまり乗り物には乗らなかったけど……でも、ずっと一緒だったよ」
「どんな様子だった?」
「普通だよ。いつもと一緒。ねえ、今日ディズニーランドに行ったことが何か問題なの?」
「そういうわけじゃないけど……これまでも皆で遊びに行ったことあるの?」
「ううん、初めて。昨日、急に沙織ちゃんから誘われたの」
「ふぅん……」
考えすぎなのだろうか。全てを事件と結びつけてしまう癖がついてしまっている。
「ねえ、何持ってるの?」
文也の手元を見て小雪が言った。
「絵本。これ、小雪ちゃん知らない?」
文也は絵本を小雪に差し出した。小雪は絵本を手に取ると、ペラペラと捲りながら――
「知らなあい。こんな絵本、初めて見た。でも、これって手作りみたいだよね。どうしたの? これ」
「3階の書斎に置かれてたんだ。誰が作ったんだろうって思って」
「じゃあ沙織ちゃんかなぁ」
「沙織さん? ホント?」
「だって私じゃないもん。私、あの部屋の鍵持ってないし。それにずいぶん古そうじゃない」
小雪は絵本を文也に返しながら言うと、いかにも汚れたものを触ったかのようにパンパンと手の汚れを払う仕草をした。
「わかった。それじゃ沙織さんに聞いてみるよ」
文也は立ち上がって部屋から出ようとした時、ふと振り返って小雪に訊いた。「このバイトはこれからも続けるつもりなの?」
小雪は文也のほうを見て――
「わかんない。お父さんたちはまだ当分の間帰ってこないし……どうして?」
「いや……なんとなく聞いてみただけだよ」
柿沢の件を小雪に話すわけにはいかない。今、そのことを話してもいたずらに脅えさせてしまうだけだ。
文也は小雪の部屋を出ると、次に沙織の部屋へと向かった。
ノックするとすぐにドアが開き、沙織が顔を出した。
「教えて欲しいことがあります」
「何ですか?」
「この本を知っていますか?」
文也は書斎で見つけた手作りの絵本を沙織に向けて差し出した。
「これは?」
沙織の表情は変わらなかった。
「書斎の本棚にありました。ずいぶん昔に誰かが作ったもののようです。沙織さんは何かこれについて知ってますか?」
「さあ……初めて見ました」
沙織は絵本を手に取ろうともせずに言った。
「本当ですか?」
「私が嘘をついていると言うんですか?」
「いえ……そうじゃありませんけど、でも、沙織さんが知らないってことはいったいこれはどうしてあそこにあったんでしょう?」
「あそこの本は私たちが引っ越してくる前から残っていたものです。以前、住んでいた人のものではありませんか?」
「以前? それじゃ20年前の……」
「さあ、それは私にはわかりません。聞きたいのはそれだけですか?」
「読んでみてはもらえませんか?」
「どうして?」
「あの……この絵本の中の話、僕知ってるような気がするんです」
「え……」
沙織は文也をチラリと見てから視線を伏せた。相変わらず表情は変わらなかったが、その瞳に何か不思議な光が走ったような気がした。
「どうしてなのか、それが僕にはわからないんです」
「それは……私だってわかりません」
いつも冷静な沙織の口調がわずかに動揺を帯びている。
「本当なんですか? ひょっとして沙織さんは僕のことを以前から知っていたんじゃありませんか?」
「なぜそんなふうに思うんですか?」
「理由は別に……」
「あなたもその本のことも私は知りません」
沙織はドアを閉じた。
そのドアを見つめながら――
(あなたたちは何者なんですか?)
そう叫びたくなるのを文也はグッと抑えた。




