6.3
一睡も出来ずに栗原からの連絡を待った。だが、朝になっても栗原からの連絡はなかった。
文也が着替えて1階に降りていくと、ちょうど沙織たちが玄関に集まっているところだった。
「あら、ちょうど良かった」
真下恭子が文也の顔を見て言う。
「どうしました? あ、みなさん出かけられるんですか?」
だが、いつもとは雰囲気が違っている。いつもはスーツ姿で出かける秀光もカジュアルな服装に身を包んでいる。
「たまには家族で遊園地にでも行こうかと思ってね」
真下秀光が明るく答える。
「遊園地?」
文也は一瞬、耳を疑った。
柿沢が殺された翌日に家族で遊園地とは……いったい何を考えているのだろう。
以前なら普通に仲の良い家族に見えていたが、偽装家族だということがわかった今、その姿に複雑な思いがした。
「小雪ちゃん、早くしなさい」
恭子が2階に向かって声をかけると、「はぁい」という声が聞こえリュックサックを背負った小雪が下りてきた。
そして、文也の姿を見て明るく声をかける。
「三里さん、おはよう。お土産買ってくるね」
小雪には柿沢のことは話していない。小雪にだけは話さないようにと口止めされている。
「帰宅はたぶん遅くなると思う。留守番お願いするよ」
「わかりました。あれ? 明美さんは?」
いつもなら明美が必ず見送りに出てくるはずが、その明美の姿が見えない。柿沢の件もあり、まさか明美までがと文也は一瞬不安になった。
「聞いてなかった? 今日はお休みです。体調が悪いと今朝電話がありました」
明美にとっても柿沢の件は精神的にショックだったのだろう。
「そうですか……それじゃ今日は――」
「三里さんだけです。申し訳ありませんが、お留守番よろしくお願いします。もし、どこか出かけられる時は戸締りをお願いします」
沙織がそう言って玄関のドアを開けた。
すでにリムジンにエンジンがかけられている。真っ先に小雪がその後部座席に乗り込み、恭子が後に続く。最後に沙織が乗り込みドアを閉めると、秀光は文也に軽く手をあげて自らも運転席に乗り込んだ。
ゆっくりと動き出すと同時に後部座席の窓が開き、小雪が顔を出した。
「行って来るねぇ」
無邪気な笑顔で手を振る。
エンジン音が遠ざかっていくのを確認してから文也はドアを閉めた。
この屋敷で一人で一日を過ごすのは初めてのことだ。
(さて……どうするかな)
リビングに戻るとソファに腰を降ろす。
沙織たちは本当に遊園地に行ったのだろうか。もっと何か狙いがあるのではないだろうか。
些細なことでもついつい疑ってしまう。
そっとポケットから携帯電話を取り出す。
栗原はどうなったろう。
(まさか……)
何かあったのではないかと心配になる。
その時、手のなかの携帯電話が鳴り出した。サブディスプレイで栗原からの電話だということがわかる。
文也は急いで電話に出た。
「大丈夫か?」
――ん? どうした?
文也の声にむしろ栗原のほうが驚いているようだ。その栗原の声にホッとする。
「全然連絡がないから心配してたんだ」
――そうだったのか。ごめんごめん。
軽い口調で栗原が答える。
「昨夜はどうだったんだ?」
――ん……ああ……失敗した。悪いな。
「それは構わないけど……何かあったのか?」
栗原にしてはどこか歯切れが悪い気がする。声にもどこか元気がない。
――いや、別に。それよりおまえのほうは何か変わったことはないのか?
「うん。今朝から家の人たち皆で出かけて行った。それに今日は明美さんも休みらしいんだ」
――それじゃ、今日はおまえ一人ってわけか。じゃあチャンスじゃないか。
「チャンス?」
――その家を調べることが出来る。
「家捜しでもしろっていうのか?」
驚いて文也は聞き返した。
――そうでもしなきゃ彼らが何者か調べることは出来ないだろ?
「本気で言ってるのか?」
――その家には何かある。俺はそう思うぜ。もし、お前一人で調べるのが嫌なら俺が手伝いに行ってやってもいい。
「よせよ。いくらなんでもそんなことまではしたくない」
――ま、いいさ。気が変わったら連絡してくれ。
そう言って栗原は電話を切った。
確かに栗原の言うこともわからないでもない。この家には何かがある。それは自分でもわかっている。だが、そんなことをすれば沙織を裏切るような気がしてしまう。
(バカだな……)
文也は苦笑した。
もともと沙織たちを探るためにこの家にやってきたというのに、今更、裏切るも何もないものだ。
それでも沙織を裏切りたくないという気持ちが心のなかに根付いている。
「さてと……」
文也は気持ちを切り替えるように大きく声を出して立ち上がった。
朝食を済ますと書斎へと向かう。鍵を開けてなかへ入ると、部屋を覆っている印刷物のわずかな香りが鼻腔を擽る。
妙に心が落ち着く。
こういう部屋の存在を昔から憧れていた。なぜ、そんなふうに思うようになったのか自分でもわからない。父も母も本などあまり読むほうではなかった。
壁に立ち並ぶ本棚をゆっくりと見て回る。少し茶色に褪せた背表紙が時の流れを感じさせている。
そのなかの一冊の本を手にした。
『怪人二十面相』
子供の頃、どれほど憧れたことだろう。懐かしさが胸の奥からこみ上げてくる。文也はその本を持つと窓際に置かれた椅子に腰を降ろした。
* * *
1時間も過ぎたろうか。
文也はふと顔をあげた。何時になっただろう。時計を探して部屋を見回した。
時計はどこにもなかったが、あることに気がついた。
(変だな……)
この部屋もやはり他の部屋と同様、微妙に歪んでいる。しかも、周囲から見た時、2階と3階はほぼ同じスペースが取られているはずが、3階にはこの書斎しか存在していない。書斎の広さから考えてもわずかにデッドスペースが生まれている。文也は立ち上がるとゆっくりと部屋のなかを歩きながらその本棚に隠れた壁の眺めていく。
ふと、一つの本棚の前で足を止めた。
他の本棚よりもわずか数センチ、前に迫り出している。
ためしに本棚を壁のほうへ押し込んでみると、何かに引っかかっているようでそれ以上は奥へ入っていかない。
(何があるんだ?)
脇から覗き込もうとしても、とてもその裏側までは見ることが出来ない。
文也は思い切って本棚を少し持ち上げるとそのまま時計の針を回すように片側だけをぐいと手前に引き出した。
ズル……
思ったよりも力を込める必要なく本棚が動く。さらに力をかける。
ズルズル……
1メートルほど引き出してから文也は本棚の裏側を覗き込んだ。そこには小さな鉄のドアが姿を現していた。
(なんだ……このドアは……)
もう何年も使っていないように見える埃だらけの扉。
この屋敷の人たちはこの隠し扉の存在を知っているのだろうか。
ドアを開こうとして手を伸ばした瞬間、ハッとして思わず手を引っ込めた。手をかける部分だけ埃が拭き取られている。
最近になって、誰か扉を開けた人間がいる証拠だ。
ゴクリと唾を飲む。
どうせ沙織たちは夕方まで帰る心配はない。明美も今日は休みを取っている。誰に咎められることもない。
そう自分に言い聞かせ、再び扉に手を伸ばす。
ギィっと小さく音が聞こえ扉が動く。
ゆっくりと扉を開くと1平方メートルほどのスペースが現れた。その床の部分がポッカリと空き、下に降りる狭く急な階段が設置されている。
薄暗く階段がどこまで続いているのかを見ることは出来ない。
(どこに続いているんだ?)
屋敷の構造をうっすらと思い出そうとして気づく。この屋敷が奇妙なデザインで部屋と部屋が直線で仕切られていないのは、こういうからくりを隠すために違いない。
降りるべきだろうか。
一瞬考えてからゆっくりと足を踏み出そうとして、自らの足が震えていることに気が付いた。
まるで体が本能的に拒否しているようだ。
文也は後ずさりして扉の外に出ると、急いで本棚を元に戻した。
心臓が今にも飛び出してしまいそうなほどに高鳴っている。
(いったい……ここは……)
すぐにポケットを探り携帯電話を取り出した。
震える指で青島に電話を入れる。
――どうした?
「は……話があります」
――何かあれば日下部に連絡するように言ったはずだ。
「わかっています。けど……」
どう話せばいいかわからなかった。ただ気持ちだけがやけに焦る。その焦りが声に出たのだろう。すぐに青島の反応が変わった。
――何かあったんだな? どうしたんだ?
「会って話せませんか?」
――わかった。それじゃ明日、日下部を迎えに行かせる。
電話を切ると、大きく息を吐いて携帯電話をポケットに収めた。
(これでいいいんだ)
自分に言い聞かせるように心のなかで呟く。
決して沙織たちを裏切るわけじゃない。彼女たちを助けるためだ。
もう一度息を大きく吐いてから顔をあげた。
ふと、本棚の間に挟まった薄っぺらな本が目に止まった。他の分厚く立派な蔵書とはまるで雰囲気が違っている。
手を伸ばしそれを引き出す。
それは誰かが自分で作ったような薄っぺらな本だった。しかも、もう何年も前に作られたものらしくカバーも激しく痛んでいる。
文也の目はその本のタイトルに釘付けになった。
(青い鳥……?)
表紙には子供が描いたような鳥の絵が描かれている。
パラリとページをめくる。
(これは……)
文也は絵本を手にしたまま立ちすくんだ。
それは以前、自分が夢に見たあの絵本の中身そのままだった。
* * *
ある日、少年はある青い鳥を追って小さな村にたどり着きました。
日は暮れ、川辺に寝転んでいると一人の老人がやってきました。
「もし泊まるところがないのなら私の家へ来ますか?」
少年は喜んで老人の家に泊めてもらうことにしました。
老人は少年に食事をふるまってくれました。
「君はなぜ旅をされているんだね?」
「青い鳥を探しているのです」
老人の問いかけに少年は答えました。すると老人はとても淋しそうな表情になりました。
「青い鳥を……」
「どうしたのです?」
「君はなぜ青い鳥を?」
そう老人は少年に訊きました。
「私の大好きな人の命を助けるためです」
「そうか」
「青い鳥を探してもう1年が過ぎます。青い鳥がどこにいるのか知っていますか?」
「……ああ、知っているよ」
「本当に? 教えてください」
「教えるのは構わない。でもね、その前に君は青い鳥がどんなものなのかを知っているのかい?」
「願いを叶えてくれる奇跡の鳥でしょう? 僕は青い鳥に彼女の命を助けてもらおうと思っているんです」
「確かに青い鳥は全ての願いを叶えることが出来る。きっと君の願いも聞き入れられるだろう。だが、その願いを叶えることによって青い鳥は命を失うことになるのを知っているのか?」
少年は驚きました。
「命を失う?」
「青い鳥は世界中の人々の希望となっている。だが、もし君の願いを青い鳥が叶えることになれば、君は世界中の人々の希望を奪うことになるだろう。どうだね? それでも君は青い鳥を追い求めるかね?」
老人の話を聞き、少年の心は揺れました。
少女のことは助けたい。それでも自分が青い鳥を捕まえることで、世界の人たちの希望を奪うことになってしまう。
少年は迷いました。
物語はここで終わっていた。
続きがあるのかもしれない。いや……もっと何か違う終わり方があったような気がしてならない。




