6.1
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午後3時。
いつものように時間を持て余した状態でリビングのソファでゴロリと横になり、ぼんやりと考えこんでいた。
あれからすでに三日が過ぎている。
あの日のことについて、沙織は相変わらず何も言おうとしなかった。真下夫妻も同じだった。それとなく小雪に聞いてみたが、小雪は何も知らない様子だった。ただ、翌日から小雪たちを送っていく場所があのコンビニから別の場所に変わったそうだ。
自分たちが尾行したことが何か関係あるのだろうか。
あの男から沙織は何も聞いていないのだろうか。いや、そんなはずがない。知っていて、あえて何も言わないのだ。
少し変わったことといえば、ここ数日柿沢の姿を見ていないことだ。これまではいつも朝早くにどこからともなく現れ、文也が起きる頃には庭で車を磨いていたものだが、最近では秀光本人の運転で皆を乗せていく毎日が続いている。
(いったいここの家の人たちは何をしようとしているんだ?)
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
その時、インターホンのチャイムが家のなかに響き渡った。
滅多に来客のないこの家では珍しいことだ。明美はつい20分ほど前から買い物に出かけている。
文也は起き上がるとインターホンの受話器を取ると野太い声が聞こえてきた。
――練馬署の矢島と言います。ご主人はいらっしゃいますか?
ピリリと背中に緊張が走った。
「今、外出していますが……」
――あなたは?
「ここで働いている者です。すいませんが今日は生憎、他に誰もいないもので……」
――少しお話を聞かせてもらえませんか? お手間は取らせません。
きっと河井礼子の件でやって来たに違いない。きっと目撃証言から河井礼子と自分との関係を調べてやってきたのだろう。
(どうすればいい?)
だが、今、断れば余計怪しまれることになる。
「わかりました。少々、お待ちください」
文也は受話器を降ろすと、大きく深呼吸してから玄関を出た。そして、門のところまで急ぐと、門の脇にあるスイッチを押した。
静かにその大きな門が開いていく。その向こう側に黒いスーツを着た一人の男が立っているのが見えた。
「ほぉ、こりゃすごいな」
開いていく門を眺めながら男が声をあげる。40代半ばの中肉中背の男。少し薄くなりかけた頭にはかなりの割合で白いものが目立っている。
男は文也のほうに視線を向けると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「練馬署の矢島です。お時間とらせて申し訳ありませんね」
矢島はポケットから警察手帳を取り出すと、それを開いて文也に見せた。「失礼ですが、あなたは?」
「三里と言います。ここで働いています。どうかしたんですか?」
緊張を隠しながら文也は聞き返した。
「柿沢信彦さんをご存知ですか?」
「柿沢さんですか? ええ……柿沢さんもここで働いてますが……」
柿沢の名前が出てきたことに文也は少し驚きながら答えた。ここ数日の間、柿沢の姿を見ていない。今朝も秀光自らハンドルを握って皆を乗せていった。
「どんな方ですか?」
「さあ……あまり詳しくは……柿沢さんがどうかしたんですか?」
「実は今日の昼ごろですが、柿沢さんが死体で発見されました」
「ええ?」
あまりに予想もしていなかった言葉に文也は驚いて声をあげた。「ど、どうして?」
「今朝早くに荻窪にある工場跡地で死体が発見されました。遺体から免許証が発見され、柿沢信彦さんであることが確認取れました。それで彼の知り合いの方からこちらで働いてらしたと聞いてお話を聞きにきたんです。彼はこちらでは何をしていたんです?」
「運転手をしていました。ただ、二日くらい前から姿が見えなくておかしいとは思っていたんですが……」
「姿が見えない? 休むというような連絡はなかったんですね?」
「わかりません。僕は何も聞いていません」
「何もですか? 一緒に働いていたんでしょ?」
怪しむような目で文也を見る。
「それはそうですけど、柿沢さんは運転手だったので、僕とはほとんど話らしい話はしたことがなかったんです。僕もここで働くようになってそんなに日が経ってませんし……」
そう答えた時、矢島の背後から沙織と明美が姿を現した。こんな時間に沙織が、しかも一人で帰ってくることは珍しい。
「どうしました?」
冷たい眼差しで矢島を見つめながら、文也に問いかける。矢島は振り返り、沙織に視線を向けると――
「この家の方ですか?」
と、文也が説明しようとする前に矢島が口を開いた。
「はい、真下沙織と言います。あなたは?」
「練馬署の矢島といいます」
「刑事さん?」
「本日、柿沢信彦さんが死体で発見されました」
その言葉に明美が小さく悲鳴をあげて両手で口を押さえた。買い物袋が地面にバサリと落ちた。
矢島は横目でチラリとその明美のほうを見ながらさらに続けた。
「柿沢さんはこちらで運転手をしていたそうですね」
沙織の表情は変わらなかった。
「三日ほど前から連絡が取れずにいました。彼はどこで見つかったんですか?」
「荻窪の工場跡地です」
「荻窪? 柿沢さんはなぜ死んだんです?」
矢島は沙織や文也たちの表情に目を配りながら――
「殺されたんです」
「誰に?」
「それはまだわかりません。死因は鋭利な刃物で胸を一突き。ただし、殺される前には相当酷い拷問を受けたようです」
「拷問?」
「爪が剥がされ、顔には硫酸がかけられていました。酷いものです。写真、ご覧になりますか?」
矢島は上着の内ポケットから写真を取り出すと、沙織のほうに向けた。文也もそれを覗き込む。そこには変わり果てた柿沢の姿が写されていた。顔は焼け爛れ、一瞬では柿沢だということが判別するのも難しいほどだ。
明美の体がグラリと揺れ、思わず倒れそうになるのを文也が支えた。
「大丈夫ですか?」
矢島が心配そうに明美を見る。だが、その矢島の表情を見て文也はハッとした。言葉とは裏腹に冷たい視線で自分たちを観察している。
沙織はすぐに文也に顔を向けると――。
「三里さん、明美さんをお願いします」
そして、矢島に対して言った。「こんなところではなんですから、中に入って話しませんか?」
矢島の目が沙織に向けられる。
「そう出来ればこちらとしてもありがたいですが」
「では、こちらへどうぞ」
そう言うと沙織は矢島を連れて玄関のほうへ向かっていった。
「大丈夫ですか?」
両手で顔を抑え、涙ぐむ明美に文也は声をかけた。
「……はい、大丈夫です」
弱々しい声で明美は答えると、そっと涙を拭いながら顔をあげると落とした買い物袋をそっと拾い上げた。
* * *
矢島という刑事はその後30分ほど沙織と話をして帰って行った。
柿沢の死に明美はさすがにショックを受けたようで、屋敷に戻った後もキッチンに一人座り込んでいる。当然だろう。一緒に働いてきた仲間が殺されたのだ。しかもあんな残酷な殺され方で。
文也は矢島が返って行くとすぐにリビングに残っていた沙織に声をかけた。
「あの……柿沢さんのことですが――」
「何か?」
沙織はチラリと文也のほうを見ただけで、正面を向いたままで答えた。
「あの刑事さん、何を話していったんですか?」
「ここでの柿沢さんの生活を聞かれただけです」
「どう答えたんですか?」
「ありのまま答えただけです。柿沢さんはうちの運転手をしてくれていただけです。彼のプライベートに関しては私もよくは知りません」
その沙織の言葉はあまりに冷たく聞こえた。
「柿沢さんはどうして殺されたんでしょうか?」
「さあ、それは警察が追々調べてくれるでしょう」
冷静な口調で沙織は答えた。
「沙織さんは……どう思っているんですか?」
「……どうって?」
沙織はゆっくりと文也のほうに顔を向けた。表情には感情らしきものは何も浮かんでいない。それでもその瞳のなかには明らかな動揺が見てとれる気がした。
「柿沢さんがあんな殺されたかたをしたことです。いったい誰に……何のためにあんなふうに殺されたんでしょう?」
「それは警察が調べることです。私にはわかりません」
「本当ですか?」
「え?」
「本当に知らないんですか?」
「……ええ」
沙織はそっと視線を外した。
「信じていいんですね?」
その問いかけに、少し間があって沙織は答えた。
「信じるも信じないもありません」
沙織は文也と視線を合わせようとはしなかった。「あなたの好きなように考えてくれればけっこうです」
それだけ言うと沙織はサッと立ち上がると、文也の脇を通ってリビングを出て行った。パタパタと階段を上っていく足音が聞こえる。
文也はその場に立ち竦んだままぼんやりと考えていた。
柿沢の姿が見えなくなったのはいつだったろう。
文也は思い出そうと試みた。
昨日……一昨日の朝には秀光が車のエンジンをかけているのを見ている。
少しずつ記憶を蘇らせる。
そして、文也はハッとした。
(あの日からだ)
文也たちがコンビニで待ち伏せ、沙織たちを尾行したあの日の夕方、文也と別れた後で柿沢は姿を消したのだ。




