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三章

 ほんの一年前まで、私にはひとりの親友がいた。

 子供のころからずっと学校が同じで、さらに近所に住んでいて。女の子らしい遊びや服装にうとかった私に、親友はいろいろと新しいものを見せてくれた。快活で、いつもみんなの中心にいて、それなのになぜか私の手を取るのだ。

 私はその頃から、お世辞にも社交的とは言えないタイプの人間だった。とはいえ、誰かから目の敵にされることもなく、周りとは害のない隣人くらいの関係を築いていたのだ。お互いに体力を使わなくていい、良好な関係。

 ところが、親友はそんな私の平穏を土足でかき乱した。家まで引きずられていったこともあったし、雑貨屋やカラオケなんかに連れて行かれたこともある。とにかく親友は日常を壊すのが大好きで、私はいつも振り回されていた。最初は迷惑にしか思わなかったけれど、少しずつそれが楽しくなっていって。

 お互いを『親友』だと恥ずかしげもなく思えるようになったころ。彼女と私の関係は決定的に変わってしまった。それが、一年前の夏のこと。私の家の縁側で、ふたり寝転がっていた時のことだ。

 「実は、あたしさ。原典を持ってるんだよね」

 それは突然の打ち明け話だった。私自身、原典のことを話したことがなくて、誰かから原典の話をされること自体が驚きで。

 数少ない原典はとても貴重なもので、ひとによってはいくらでも金を積むし、原典をめぐって犯罪が起こることもある。だから、基本的に所有者は原典のことを伏せているのだ。

 「すごいね、原典を持ってるひとなんてはじめて見たよ。なんて言葉?」

 「……『好き』って言葉」

 仰向けに寝転がっていた親友が寝返りを打ち、すぐ近くから私の瞳を見つめる。

 心の奥が、ひどくざわつくのを感じた。どうして、今、その言葉なんだ。どうして、私に。

 「ねえ、文美。あたしのこと、好き?」

 「ん……うん、それは、親友だし」

 「嬉しいよ、あたしも文美のこと――好きだから」

 眼を見ただけでわかってしまった。しかし、気づいた時にはもう遅い。私の頭を埋め尽くすほどの感情の奔流が、なにもかもを押し流していく。

 好き、すき、スキ。無数の『好き』が私を殴りつける。それは私が親友に対して抱いていた『好き』とはぜんぜん別のもので。純然たる、恋愛対象へと向ける好意の塊だった。受け容れられない感情は、ただの暴力になってしまうのだと、私は知った。

 感情の波が落ち着いて、私は自分の心の中に親友の感情が染み付いているのを感じた。それこそが『好き』の原典だった。

 「あたし、魔法を使うのは初めてなんだ。お母さんがくれた原典を、今日までずっと持ってたの……返事はいつでもいいから、でも、その時は、魔法で答えて、ね?」

 なにも考えられないままに、頷いきかけて、私はぶんぶんと首を横に振った。時間を取ったところで、どうにもなりはしないのだ。魔法を使って気持ちを伝えるのだから、嘘なんてつけるわけもない。それに、ちょっとやそっとの時間で自分が心変わりするとも思えなかった。

 親友はあくまで親友であって、恋人にはなりえなかった。

 彼女の『好き』と私の『好き』は決定的に違っていた。魔法なんてものがなければ、その違いをうやむやにしたままで一緒にいることはできたかもしれない。けれど、彼女は原典を持っていて、使うことを選んでしまったのだ。なんて救えない、偶然。

 私は意を決して、その場で彼女に答えることにした。言葉の魔法を使うのに、特別な手順はない。原典と同じ言葉を口に出して、心から伝えたいと思えばそれだけでいい。それだけで、伝わってしまう。

 「ごめんね、いま答える。私も――好き、だよ」

 言葉にした瞬間、私の中にあった『好き』の原典が消えていくのを感じて。代わりに、私の『好き』という感情が親友に直接流れ込んでいった。

 ひとりでいたころ、話しかけてもらって嬉しかったこと。

 ずっと一緒にいて、毎日が本当に楽しかったこと。

 そして、これからも一緒にいたいこと。

――でも、親友の『好き』は受け容れられないこと。

 すべてが伝わって、そして、彼女はその場にへたり込んだ。

 「は、はは、なんとなくわかってはいたんだけど、なあ。いざ魔法を使われると、耐えられないもんだね」

 「……ごめんなさい」

 「文美が謝ることないよ。文美のことを好きになったのはあたし、魔法を使わせたのもあたし、全部あたしが悪いんだから」

 気丈に振舞う彼女の笑顔が痛々しくて、私はその頬に思わず手を伸ばしそうになり、彼女に止められた。

 「もう、優しくしないで……勝手なこと言って、ごめん。でも、ちょっと、つらい」

 彼女は起き上がって庭の方へ出ていき、私に背を向けながら告げた。

 「あたし、今度引っ越すことになってさ。次の秋にはもう、この街にいないんだ。だから、最後の最後に、気持ちだけは伝えたいなって。魔法ってすごいや、こんな簡単にお互いの気持ちがわかっちゃうなんてさ。でも、魔法があっても諦めるのは、難しいなあ……」

 私はなにも答えられずに、ただただ親友の背を見つめ続けていた。なにか慰めの言葉を掛けたところでどうにもならない。魔法は、それだけ私たちの関係を決定的に終わらせてしまっていたのだ。

――それから顔を合わせることもないまま、親友はこの町を去って行った。

 あとあとになってから、親友が高校卒業までこの町に残ろうとしていたことを、祖母伝いに聞いた。一人暮らしをしてでもこの町に留まりたいと繰り返していたのだという。

 そんな彼女を遠ざけ、追いやってしまったのは、私の言葉なのだ。私があんな言葉を、感情を伝えることさえなければ、親友を失わずに済んだはずで。

 そのことがあってから、私は誰かと話すことを極端に恐れるようになった。

 私はどんどん殻にこもるようになり、気づけば学校でも孤立してしまっていた。以前のような害のない隣人ではなく、いてもいなくても変わらない隣人に。

 そんな実情は知るはずもないけれど、祖母はなにか勘付いているようだった。しかし、誰かに聞くより辞典に聞け、と教えるようなひとだ。私が打ち明けても、きっと「自分で考えなさい」と言うのだろう。決して厳しくない、優しい言葉で。

 実際、言葉にしなくても、祖母の笑顔はそうやって私を諭しているような気がした。

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