松岡修三
俺の中での松岡修三
松岡修三、元プロテニスプレイヤー。怪我に悩みながら日本人男子62年ぶりのウィンブルドンベスト8へ上り詰め、現在は後進の育成に精力的な活動を見せる。スポーツマンの鏡のような人
あの(って、全然知らないんだけど)錦織圭も修三チャレンジに参加し、才能を見抜いていたと言う
だがそんな偉業より、ネット住人に良く知られているのは
炎の精霊
としての松岡修三だろう。
始めてみた時には唖然とした
シュールに過ぎるのだ
「頑張れ頑張れできるできる!!」といいながらカメラに詰め寄ってくる松岡修三
潮干狩りの格好で海に立ち、アサリを引き合いに出しながら熱くなり続ける松岡修三
熱い言葉の書かれた精神注入棒を見せ、じっと睨み。突然自分を勢い良く叩く松岡修三
あっちから来て、明後日の方向に走り去る松岡修三
etc・・・
見てるこっちが恥ずかしくなり、即プラウザバックをしたのは記憶に新しい
ただ、その存在は強烈なインパクトを持って俺の中で刻まれる
「この人は何を思っているのだろう・・・?」
知りたいと思うのは、ごく自然の流れだった。
考える
結論から言おう。俺の中では松岡修三は
偉大、かつ伝説の道化だ
いかに熱い人であっても、あの行動全てを本気でやってるとは思えない
あの人も人間だ。羞恥心も持ち合わせているだろう、「あー、俺何言ってるんだろう・・・」と感じることもあると思う
だけど
そんなものは些事だと完全に振り切って、メッセージを発信し続けている
何事も一回考え、悩み。それでもなお行動できない俺とは大違いだ。そんな所にもすっごく憧れる
今日も画面の中で、全くぶれない熱血を演じ続ける松岡修三。それは極端なほど
時には富士山の麓で、時には極寒の地にわざわざ行き、時にはミラノに飛ぶ
何故か?
きっと伝えたいからに決まっている
極端な方が印象に残るのは明白だから。熱く熱く熱く、未来を担う人達に
アホか馬鹿かといわれる事(実際自分も思った)も、多分些事である
最近にいたっては、松岡修三はニコ動の面白おかしく脚色されたMADすら容認する
『自分』が好き勝手、大体は受け狙いに動かされる。
それは噂話に似た危険性を持っている。友達がナニしたコレした。それは人に伝染するたびに面白くするため脚色され、事実と離れていく
本人からみると、気持ち悪くてしかたない事で・・・
俺だったら耐えられない
でも、松岡修三には関係ない
・・・それは自分が道化だと自覚しているからかもしれない
どういうきっかけで動画を配信しようと思ったのかはわからない。人間最初の一歩を踏み出すは躊躇いを持つもの
それでもあの人はやった。
一回走り出したら止まれない。途中で立ち止まったら松岡修三が伝えた心、努力、可能性という【幻想】の崩壊を意味する
だから炎の精霊、松岡修三は走り続けるのだ
そして、努力で日本の頂点に辿り着いた松岡修三がやるからこそ
その一見するとただの喜劇にみえるソレが、確かに重みを持つのだと思う。
・・・まぁ以上のことは、大体俺の妄想。異論大歓迎。きっと刺激になる
もっと知っていけば、もっといい所が見つかるのかもしれないし、悪いところも見つかるかもしれない。
実際、自分の受け持っているCMの延長みたいなことをする事もあるしねファブ○ーズとか、富○薬品とか
ただ一つ、確かな事はあの動画でクスって笑い、たしかに元気をもらったということ
まぁ、一度は見てみて欲しい
最後に俺の一番好きな炎の精霊の言葉をひとつ
『よく、時間が解決してくれると言うけれど、そうは思わない。
でも、行動した時間なら解決してくれるはずだ。』
あなたはどう捉えるかな?
おれも道化になりたいなぁ。理性の壁って分厚いよね