田沼 飛鳥への旅 一
もう、病院に縛られることもなくなった、田沼は突然、飛鳥への旅を思いついた。思えば関東人の田沼は、京都については、何回かの旅行で、土地勘はできていたが、奈良、飛鳥については知らないも同然であったからである。祐司と沙也香にも声をかけてみたが、祐司は、5月になっても、いまだ就職できない学生の相談に忙しいようで、旅行に同行できないということなのだ。幸い沙也香は、先生がいやらしい気持を起こさないならと言う笑うべき条件で同行することになった。
7時過ぎ小田原駅から新幹線に乗り、京都に着いたのが、10時であった。およそ2時間半、崎陽軒のシュウマイ弁当をつまみに、サントリーリザーブの水割り缶を飲みながら、最近の詩壇について、田沼は相変わらずの毒舌を沙也香に吐きながら意気軒昂であった。
「詩人はね、まず自由人でなければならないね。なんというか、人生の達人でなければいけない。企業の価値観に飲み込まれて、収入目当てだけの人になってはならない。かといって、市民生活をはなれた生活感覚のない人間になっては、良い詩は書けなくなってしまう。詩人はだから、金持ちでもいけないし、貧乏でもいけない。そういうわけで、僕に言わせれば、現在の詩壇は死んだようなものなのだ。・・・僕か・・・僕も大したことはないんだけどね」
沙也香は言う。「先生を前にして生意気なんですけど、酔った勢いと言うことで言わせて貰えば、先生の詩には、都会生活で疲れた人たちを、心安らかにする作用があるように思うんです。なんというか、悩み多い人生に対する応援歌ですね」
「そうかね、僕はね黒田三郎さんとか吉野弘さんの詩が好きなんだ、それらの詩には、人生の喜怒哀楽がにじみ出しているよ・・・それにすこしでも接近できることはよろこびだね。・・・現在の詩の問題点といえば、まず長すぎることだ。それから、やたらに言葉遊びに偏していることだね。そして、小説のような散文の「詩」が詩だといってのさばっていることだ。「詩」という言葉はもともと中国語で、日本の「歌」に対して輸入された言葉なんだが、その本家の漢詩であっても、長詩は、二十行に満たないものなんだ。敗戦後、我々の「詩」は無原則な自由形式の「現代詩」と言うものに突入したが、これが今の詩の崩壊現象を起こさせている元凶と言えると僕は思うんだ」
「そうですね、出版の方からみても、良い詩をもっと読みたいという人は多いんですけど、なかなか良い詩集がないというのが現状ですね。けれども、「金子みすず」さんの復活とか、「相田みつお」さんへの熱い人気とかは、これからの詩のあり方を指し示しているように思うんです」
新幹線は、こんな会話を積んで五月の晴天の下、京都めざしてなめらかに走っている。