日本書紀の海へ 五
「日本書紀も出雲のことを書いているね、どう書いているかを調べると何かが解るかもしれないな」
「そうですね。それは、良い考え方ですね」
「それじゃ、出雲の国について、書紀がどう書いているか見てみよう。こうだね・・・。
スサノオはクシイナダ姫を出雲に庇護なされた。そして後に正妻となされて、生ませた子の六世の孫をオオアナムチの命と言った。高天原は国を譲りを迫るためニニギノ命を使わした。
たった、これだけなのだ!書紀は、大国主の数々の受難譚を削除し、およそ30代にもわたる王の系統を削除したあと、出雲の国に国を譲れと恫喝する記事を書くのみなのだ。だから、僕たちが古事記を知らなければ、出雲王朝は、印象の薄い物になってしまっていたに違いない。・・・古事記は、けっして日本書紀の類書などではないとは言えないだろうか。むしろ続日本紀にいう「禁書」であった可能性が高い。書紀は古事記に書かれた重厚な出雲王朝の歴史を抹殺していることは間違いない。完全に抹殺しなかったのは西暦720年の時点においては、出雲王朝の伝承は濃厚であったからなのだろう。出雲王朝を完全に削除してしまうと、書紀がいかにでたらめな歴史書であるかあからさまになって書紀の評価が落ちることを、書紀執筆者は恐れたのだろうね。
だから、出雲王朝についての、こうした省略的な記事の書き方は、易姓革命を阻止するという、書紀の目的にかなったものであると言える。書紀は原典たる『一書』を数多く引用して、一見公正な歴史書の体裁をとっているが、引用される『一書』は、今で言う『検閲・改変』をうけたものばかりであると言うことだね。どんなに引用が多かろうと、その引用は、他の王朝の存在を隠蔽するものなのだ。
しかしながら、こうした徹底的なフィクションの背景に、一つの大きな真実の歌が高らかに聞こえるというのも日本書紀なのだ。日本書紀のそこ、かしこに大和王朝と異なる『倭国』の存在が匂わされているのだよ。それは書紀に虫眼鏡を当てるように子細に見ていけば感じられることなのだ」