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太安麻呂の野心 七

「この大化という年号は、書紀によると、日本最初の年号なんだが、「日本書紀」岩波文庫版の『皇極天皇の四年を改めて大化元年とする』の文章の大化の注に『法隆寺釈迦銘などには崇峻天皇四年(591年)を第一年とする年号、法興がある。書紀では大化が年号のはじめ』と、あることに驚かされる。トンデモ本ではなく岩波の日本書紀にだよ。

 それで、そこら辺の事情を調べてみたんだ。銘文というのを簡単に訳して、ちょっと書き出してみた。これが銘文だ」と、田沼はソファの反対側に座る祐司と沙也香に一枚のプリントをさしだした。そのプリントをのぞき込むように二人は見た。それにはこう書いてあった。


 法興の三十一年十二月、先の大后が崩くなられた。翌年正月二十二日聖徳太子が病にかかられ干食王后がお見舞い申し上げた。その折り、寺を建て薬師像を造りたいと申されたが亡くなった。寺と像は推古朝(607年)に完成した。


 「本当に法興という年号が用いられているのだね。しかし法隆寺は、日本書紀の天智天皇九年(670年)四月三十日の条に『夜半の後に、法隆寺は炎上。一屋も残らなかった』とある。これを信じる限りでは、現存する仏像はこの火災以降、搬入されたか製作されたものであると考えて良い。これはどちらだろうね?」


しばらく、黙って聞いていた祐司は言った。「全焼したという記事に反する史料もあるんですが、ここで重要なのは前からあった、後から搬入されたと言うことではなく、いずれにしろ由緒ある仏像の光輪に法興という年号があることですね。この銘文が真実であるとするならば書紀は、かってあった年号を隠蔽しているということですからね」

沙也香が言った。「普通、その国初の年号をつけるなら、書紀はそのことをずっと誇らしげに書いても良いところですけど、なんだか居候がお茶碗をそっと出すように、大化という年号を出していますよね」

「沙也香君、君の言うことは真をついているよ。大化が初の年号だと言うには、法興などの年号が相当流布していて、言いづらい事情があったのではないだろうかね。蘇我氏が年号を作ったからとも、大和国とは別の王朝存在説があって、これを「倭国」ともいうのだが、その王朝が用いていた年号であるから隠蔽したという、いろんな説があるようだね。ともあれ、日本書紀は法興という年号を隠蔽しているらしいと言うことだけは判断できるね。・・・ああ、そうとう疲れてしまったね。夕暮れ時の桜見物に、そこらでも散歩するか。ついでに食事でもしよう」


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