多氏はなぜ書紀に特記されているのだろうか
二人はそこで一休みして、さきほど婦長が運んで来た純良なコーヒーに、これもまた純良な和三盆砂糖をそっと混ぜ、その上で生ミルクを少量注いだ。コーヒーカップの中で、ミルクは銀河のように美しい渦を巻いている。
春の午後の日差しが海をやさしい銀盤にしている。顔をあげ海を見つめたあと、田沼はボソリと言った。
「この、書紀の多氏に関する特記は、なんらかのメッセージを伝えてはいないだろうか?古事記ではこんなにも多くの氏が列挙されているのに、日本書紀では神武天皇の子孫が多氏しか書かれていないというのはすごく変だよね」
「そうですね。僕はそれを先ほど聞いたとき正直言って驚きました。なんかものすごいミステリーじゃないですか!」
「そう、すごいミステリーだ。この謎にどう迫るかだな。私の父は、第二次世界大戦の時、フィリピンのコレヒドール島の米要塞に敵前上陸して多数の兵を失って、やっとの事で要塞を陥落させた兵士の一人なんだが、この謎はあたかもその要塞に似た難攻不落のイメージがあるね。僕らは、今、その要塞の前に立っているという図だな。余談だが、この部隊の大量死によって、部隊が成り立たなくなり、父は日本に帰還するのだが、良く知られてるようにその後のフィリピン戦線は地獄であったようで、この帰還がなければ父は戦死していたと思われる。そうなると戦後生まれの僕は、この世に生まれて来なかった訳で、なんというか、僕はコレヒドールの戦いの結果生まれてきた人なのだ。」
「そうなんですか!それは運命ですね!知らなかった!・・・さて、下手に攻めると、僕らの究明は違う方向に行ってしまうような感じですね」
「そうそう、この要塞をうまく攻めないと、僕らは戦死してしまいそうだ。・・・まず、最初に書紀と古事記の関係を再確認しなければならないだろうね。書紀は文中で、数多くの『一書曰く』と、他書をおおむね書名を伏せて引用しているが、古事記には引用がない。不思議なことに書紀は『古事記』の名前を出してくることはない。書紀は自分以外の書は認めない主義なのだ。書紀は歴史の結論的集大成であって、まして鼎立するような『古事記』などは、自分の矛盾を暴露するような書であるから認められるはずがない。
日本書紀の後に編纂された官制の歴史書『続日本紀』には、注目すべき記事がある。
元明天皇の和銅元年(708年)武蔵野の秩父に精錬を要しないが非常に良質な銅が産出されたので、これを祝して年号を和銅とし、あわせて官人の位を上げ、大赦をおこなった。この大赦の例外として次の文がある。
山沢に逃れ、『禁書』をしまい隠して、百日経っても自首しないものは、本来のように罪する
日本書紀の成立は720年だから、書紀編纂中に、朝廷以外が持ってはいけない書があったわけで、禁書の中には当然、『古事記』があったと僕は思うんだ。」