太安麻呂の家系
田沼は朝食をすますと、クリニックの許可を得て散歩に出た。
田沼の退院はもうそんな遠い日の事ではなくなった。田沼の今度の入院は急性肝炎によるものである。田沼の全集の発刊と受賞にさいして、度々祝賀会が開かれたことで田沼は酒浸しとなってしまった。それで田沼はアルコール性肝炎となってしまったのであった。昨日の検査では炎症もおさまって、回復の兆しがあるそうである。体力の増進に散歩と当分の禁酒を言い渡された。
クリニックから1キロほど、海岸にそって南方向にゆくと、光明寺がある。震災にも戦災にも持ちこたえた、この広い本堂は、「鎌倉アカデミア」という大学設立を目ざす専門学校の最初の講堂となったところだ。演劇人の千田是也・宇野重吉、小説家の高見順・中村光夫などが教師となり、文学科、産業科、演劇科、映画科があった。学んだ者に、作曲家いずみたく、映画監督鈴木清順、女優左幸子に前田武彦、山口瞳などがいた。田沼はそんないわれを愛しながら、よくこの寺を散歩の行く先としていた。
寺の本堂の前には、梅の花が華やかに咲き始めていた。本堂の裏の小山に登ると、朝日を受けた広い鎌倉の海が眺められた。山から下りて、途中の喫茶店で珈琲を飲み、クリニックの手前まで戻ってくると、海岸に向いて立っている祐司を見つけた。
「おおい、祐司君!」田沼は声をあげた。祐司はその声を聞いて、近寄ってきた。
「先生、病院費を踏み倒して逃げてしまったかと思いましたよ」
「それは、これから僕がやろうと思っている事だよ。君さえ来なければ作戦成功であったのに。君がきてしまったので計画は失敗だよ。実に残念」
冗談を言いながら二人は田沼の病室に戻って、応接セットに向かい合わせに座った。
「しばらく来なかったね」
「ちょっと、卒業生の就職などに関わっていたもので、忙しかったのです。ご迷惑おかけしました」
「ま、おかげで、考えをまとめられたのだから良いのだがね」
「僕の方は、先日の話がどの方向に進んで行くのか、気になって落ち着きませんでした。速く先生の話を聞きたい一心でいたのです」
「そりゃ、うれしいね。・・・それでは期待に応えて話を進めよう。えーと、『新撰姓氏録』というのがあるらしいね。平安時代初期の815年に作成されたということなんだが」
「ああ、それは、日本古代の家系についてのかなりたしかな資料だと聞いています」
「それで、僕はね、沙也香君に頼んで、その一部をコピーして貰った。ここにあるのがそれなんだ」
と、田沼はプリントの束を指し示した。