河津の大学の研修所で
祐司は言った。目の前には赤ワインが飲みさしで置いてある。「太安麻呂が亡くなったのは養老七年、つまり西暦723年ですよね。とすると、日本書紀が成立し、藤原不比等が亡くなった時にも、安麻呂はまだ生きていたのです。書記成立の720年から、およそ3年生きていたと言うことは、書紀成立時にはおそらく元気でいたと思われます。藤原不比等は病没まで何とか日本書紀を完成させようと、あせっていたわけですから、太安麻呂が古事記の序を書くと言うことが嘘であったとしても、文書の家の人であることは確実な事と考えられますから、こうした状況で太安麻呂ほどの人が書紀編纂にかり出されない事は、まずないということですね。その太安麻呂が日本書紀作成に関係したことが日本書紀・続日本紀といった正史に一行も残されていないのは実に変ですね」
「君もそう思うか?そうなんだ、古事記の序が、彼のものでなく、書紀の朝廷内講義を記録した『日本書紀私記』序などに記載されている太安麻呂の日本書紀作成の記事や成立翌年の第一回の講義を安麻呂が博士として行ったという話がまるきり嘘であっても、書紀作成に関する太安麻呂の名の隠蔽は非常に不自然だと僕は思う。この点などは森先生はどのように説明するだろうね」
沙也香が口を開いた、「太安万侶ほどに位の高くない人までが、書紀作成者として続日本紀に名をつらねているのに、正史上では太安麻呂はただの官人としか書かれていませんね。大宝律令作成時にも安麻呂は恐らく関わっていると考えられますが、ここにも安麻呂の名がみえません」
三人は、目を合わせながら押し黙った。そして田沼が口を開いた。
「これは、僕だけの大胆な考えなんだが、太安麻呂は、朝廷によって故意に正史から隠蔽されたのではないかと思うんだ。これは前々から多少思っていたことなんだが、その考えがあまりに途方もないことなんで、実証が済むまで、控えていることなんだ」
「それは、どういう事ですか?」と祐司が言った。
「君はきっとその考えに驚くぞ。、太安麻呂が徹底した隠蔽にあっていることが明らかになった時に、始めてこの考えを持ちだすことにしよう。今はまだ早すぎる」