日本書紀の文書から述作者を割り出す 八
日本海沿岸では大雪が降っている。鎌倉は晴れ渡り、江の島や富士山が洋上に眺められた。立春である。昨日までのひどい寒さが和らぎ、心なしかトンビの鳴き声も波ものどかである。田沼は先ほど婦長が入れてくれた濃厚なミルクと和三盆糖入りの熱い珈琲とウクレレをを抱えて浜辺に出て、浜に降りる階段に座った。座ってから、このところ何冊か出しているエッセイについて、昨日沙也香から、新作、いくらかまとまりましたかという電話が入った事を思いだした。
そんな事を考えていると、向こうから祐司と沙也香がやって来るのが見えた。
「おや、お二人でデートですか」と、田沼は笑いながら声をかけた。
「いや、たまたま駅で一緒になっただけですよ」と、祐司は答えた。沙也香は微笑んでいるだけである。
「先生、昨日は突然の電話失礼しました」
「いや、君だったら、真夜中の電話でもうれしいよ」
「先生は本当にお上手なんだから。それで何人、女子をだましたんですか」
「十人かな二十人かな・・・もう忘れた・・・ハハハ」
「あら、先生、そのウクレレは何ですか」
「ハワイにオオタサンという日系のウクレレの神様がいるんだけど、その人が良い曲を弾いているんだ。それにならって僕もちょっと手習いさ」
「ちょっと、かっこいい。老詩人ウクレレを海岸でつまびく、といったところですね。写真に撮って、今度のエッセイ集の表紙に使わして貰おうかしら」
「これをきっかけにミュージシャンもいいね」
「先生、それは甘いです」と祐司が混ぜっ返す。
「老詩人、ウクレレの弾き語り。これではどうだ・・・いいんじゃないかな・・・だめか・・・アハハ」
「先生、もう妄想はやめましょうね。それ以上やると、単なるボケ老人ですからね」と沙也香。
三人は病室にもどった。花開いた赤みをおびた河津桜が大きな花瓶にさしてある。三人は応接セットに腰掛けた。
「これまでの検討では、雄略天皇期からと大化の改新期から、一世中国人を述作者に選定していることが、おおむね解っているのだが、今はもう少しこれをはっきりさせたいと思っているんだ。だから祐司君もう少し話を続けてくれるかな」
「著者の森氏は和臭について、いろいろ取り上げているんですが、その中で解りやすい例を取り上げてみましょう。それは『有』と『在』の使い方ですね。この『有』と『在』は倭訓では『アリ』なんですけど、本来は意味や用途が異なっているのです。中国語では『有』は一般的にあることであり、『在』は~にあるというように、そこに居るとか、そこにあると言ったようなことをあらわすのですね。書紀にはこの言葉の混用があります。・・・巻六・この玉は今、石上神宮に有り。巻六・持きたる宝物、今、但馬に有り。巻七・これによりて、その子孫今、東国に有り。巻九・もし事ならずば、罪群臣に有らむ。巻
十一・その野中に有るは、なんの窟ぞ。巻十二・時に多遅の花、落ちて井中に有り。巻十三・すなわち腹を割くに、まことに真珠、腹中にあり。巻十三・巻二十九・この時に百姓一家岡のうえに有り。これらは中国語では『在り』と書くべき所なのですが、『有』の字を用いているのです。・・・ここにも、巻1~巻13と巻14~巻19の述作者の違いがくっきり現れているのですね」
「うーむ、ここまでの森先生の論証は見事だね。そろそろ我々はどうやらこの研究に乗っかって考察を先に進めてもよさそうだね」
「そうです、完璧ですからね。でも一つ付け加えたい事があります。森氏は巻1~巻13に先んじて巻14から作成されたと言っていることです。何故かというとですね・・・」