日本書紀の文書から述作者を割り出す 七
祐司は続けた。「本文はもっと、言語学的で難解なんですけど、僕は誤解を恐れず意訳してみたのが以上の文なんです。それだけは言っておかなくては著者に失礼ですからね」
田沼は祐司の言葉にずっと耳を傾けていたが、ここまで来て言った。「つまり、森先生は、巻1~巻13までは、言葉や文章だけでなく音韻的にも巻14以降とは違う述作者が担当したという結論を得たわけだね」
「そうです。そうです。それが判って貰えれば、僕のコメントは成功です」
「しかも、巻14以降の一部を除いては、非常に発音に忠実である、中国人一世が述作を担当したに違いないというのだね」
「そうです。発声からみると中国語はずっと日本語より複雑です。日本人には『か』とか聞こえない音も、中国人には『くふぁ』と聞こえていたりするのですね、つまり14巻からは、中国人には『か』の発音と思えない13巻までの仮名漢字は使われなくなっているのです。森氏は、これを中国人述作の根拠としているんです。まあこのほかにも中国人が関与していることを音韻学的な考察を根拠として示しているのですが、中国語の発声に関しては無知な僕には、良く解らないのです。
しかし第3の根拠として示していることは僕にも理解できました。それは日本語の濁音を誤って清音の漢字で表記していることなのです。それはこうです・・・巻14・和斯里底能(走り出の)・・・巻14・農播柁磨能(ぬばだまの)・・・巻17・紆陪儞堤堤(上にでて)・・・巻24・渠梅多儞母(米だにも)・・・巻24・「枳々始(きぎし=キジ)・・・巻26・瀰都(水)・・・巻27・波波箇屢(はばかる)・・・まだたくさんこの例はあるのですが、これらの例を引いて、森博達氏は、日本人なら清濁を間違うはずがないのに水をミツ、上に出て、をウエニテテと聞きとっていると言うのです。その上でこれは日本語に習熟しない中国人が犯した誤りだと結論しています。
そして、森氏は音韻からの考察を離れて、今度は、日本人独特の言葉の使い方に着目しています。これ
のことは、研究者の間では、これを《和習》または《和臭》と呼んでいます。・・・さて先生、今日はこんな所でどうですか。今日は、お開きにして、夕方前に小町通りの甘味屋、『納言』のぜんざいでも散歩がてら食べに行きませんか」
「そうだね、あそこのぜんざいは安くてうまいね。それならばちょっと、小町通りを入った、寿福寺によって行きたいね。あそこは北条政子がお茶の開祖栄西を頼みとして開いたお寺で、北条政子と息子の源実朝の墓と、そして僕が敬愛する大佛次郎さんの墓と、それから、中原中也が住んだ崖下のゆかりの場所があるからね、あの寺に行くと僕のだらけきった精神も少しはシャンとするんだよ。だからたまには行ってみたいね」