日本書紀の文書から述作者を割り出す 四
「椰は巻3~巻13・巻22・巻23に見られる。耶は巻14~巻25に見られるが・巻22・巻23には見られない。区は3巻~巻13と巻23に見られる。矩は巻14~巻19と巻24~巻27に見られるが、巻23と巻24には見られない。茂巻1~巻13と巻22と巻23二見られる。謀は巻14~巻16に見られるが、巻22と巻23には見られません。
こうして、ヤ・ク・モの同音を二字ずつ取り上げただけでも巻3~巻13・巻22・巻23の群と巻14~巻19・巻24~巻27の群がくっきり二群に別れるのが判別できます。
これを詳しく説明すると一群は巻3神武天皇紀~巻13安康天皇紀 巻22推古天皇紀 巻23舒明天皇紀で、もう一群は巻14雄略天皇紀~第19欽明天皇紀 巻24皇極天皇紀~巻27天智天皇紀ということなんですね。
森氏は、このほかに、大田善麿「日本書紀の文注に関する考察」等をとりあげて、各巻の文注数による述作者を推定する研究と、その他の研究を取り上げていますが、森氏は『こうした様々な区分論では各巻の述作者の分類は出来ても奥深い性格まで発見できない』という結論つけています。
森氏は、ここまでは、人々の書紀の研究史を述べていたわけで、つぎに森氏の書紀開眼が語られます。つまりこうです。
『大学院の修士課程は二年間です。ふだん怠けていた私は、修士論文で結果を出さなければなりません。書紀の万葉仮名を一字ずつパンチカードに書き取って、各種の情報を入れていました。一字に一枚です。パンチカードと聞いて懐かしく想うのは、我々の世代が最後でしょうね。コンピュターが普及する前の最も先進的なカードです。カードの周囲に小さな穴が開いていて、情報によって特定の穴に切り込みを入れるのです。カードを重ね、ソーターという細いスチールの棒を適当な穴に挿入すると、必要なカードだけが振り落とされます。毎日パンチカードで遊んでいました。いろいろの角度からソーティングをくり返しているうちに、しだいに判ってきました。どう考えても書紀には明確な境界がある。表面的な相違ではなく、音韻の違いだ。』
この、話は、もっと続きますが、音韻についての予備知識なしには、この話の先が理解できませんから、先に森氏の書く、音韻についての記を読むことにしましょう」