日本書紀の文書から述作者を割り出す 三
田沼は、ここで声をあげた「そうか、時代時代の歴史学者は、まるでエベレストの頂上を目指すアルピニストのように、日本書紀解明に努力していたのか」
「そうなんです。どなたかの研究のうえに乗って、もう少し高みを目指すという有様はちょっと感動的ですね・・・さて、その後横田健一は『日本書紀の系譜記載の諸形式』(1966年)で、歴代の皇室系譜の表記に着目しています。皇子・皇女に順番をつけず、列挙する形式は十二カ所あり、これは全て巻三~巻十三までにあります。其の一・其の二・其の三といった表記は合計八カ所あり巻十五~十一に六カ所、巻二十七と巻二十九に各一カ所あります。・・・今まで上げてきた研究は、表現の違いに着目した研究なんですが、仮名の使い方・・・言うまでもないことですが、この時代、まだひらがな、カタカナというものがありませんから、ある特定の漢字を仮名として用いていたのです。それが、『あ』の場合『阿』であったり『吾』であったり『亜』であったりするわけなのです。日本書紀はしばしば歌を載せていますが、歌の場合、発音あっての歌ですから、意訳によって表すことは不可能です。どうしても音を表記せねばなりません。現在みたいにひらがなはありませんから、すべて漢字を仮名として用いて、歌を表記しています・・・たとえば、多伽機珥辞藝和奈破蘆和餓末菟夜辞藝破佐夜羅孺(神武天皇紀より)ですが、たかきに、しぎわなはる、わがまつやしぎはさやらず・・・と読むのですが、、なんてめんどくさい書き方を古代の人はしたのでしょうね。ひらがながまだ発明されていませんから、難解なのは当然なのですが、今の高校生などは、この漢字の連なりを見ただけで無理無理無理と言いそうですね。まあともかく、歌は、このように表記するのですが、時代時代によって同じ音に違う漢字が用いられているのです。これに注目したのが永田吉太郎の『日本紀歌謡の仮名』(1935年)なんです。氏は巻一と巻二巻一と巻三という具合に共通な仮名漢字がいくつあるか表にしたのです。これは、まさに機械的な分類なのですが、『日本書紀の謎を解く・述作者は誰か』著者の森博達氏は、のちの分類よりも客観的で優れていると述べています。結論的に言えば、永田氏はこの表によって二群に別けています。つまり巻3・5・7・9・10・11・13・22と巻14・15・16・17・24・25・26・27なんです。しかし森氏は、この表を分析したあとで、巻1~13・22~23と巻14~19・24~27の二つに別けることが出来ると述べています。
森氏は、この文のあと、自分で作った表を載せています。椰・句・茂・耶・矩・謀に関する分類なのですね」