古事記は日本書紀のダイジェスト版?
「一説に古事記は日本書紀のダイジェスト版だというのもあるが、ダイジェストなどであるものか。古事記の出雲の国の記事などは、実に長々と出雲王族の系を繰り広げるのだ。それに書記には、古事記にあるイナバの白ウサギの話も、オオクニヌシが多くの兄たちにひどい目にあって、殺されたが生き返るという話もない。神代にあっては、かえって書記の方がダイジェストであるとさえ思えるくらい雑な表現なんだ。だから古事記は書紀が編纂されるだいぶ前に編纂されている原本に違いなく、これに手を加えたというのが、書紀だと考えられるね。ただ古事記の文は日本書紀にくらべるといささか古い、古事記と日本書紀は古事記の序文によればほぼ同時期に成立しているのに、古事記にはその当時のいわば近代史というものがない。仁賢天皇(488年即位)から系譜のみとなってしまう。710年の頃、古事記は完成したと序文にあるが、200年も前までのことが書かれてているにすぎないから、書紀と同時成立などというのは嘘も良いところだね。つまり、古事記の太安麻呂による序文は完全な偽造だね。・・・太安麻呂が、古事記や書紀編纂に関わったと言う記事は日本書紀にも続日本紀にも一切見えない。ただ朝廷で開かれた日本書紀の講読会を記録した日本書紀私記の弘仁私記(812年)序文に太安麻呂が日本書紀編纂に関わったとある。また「続群書類従」巻404載の日本紀竟宴和歌集(講義の際、宴会・和歌会が開かれた。それを記録した物。その和歌集に成立についての説明文が附いている)に六回の講義が書かれており、その記事に第一回目の博士は従四位下太朝臣と明記されている。そのような重要な役割を果たした太安麻呂が書記、続日本紀に登場しないのかは実に不思議ではないかな。・・・ついでに言うと講義の二回目はナント百年後なんだな。講義は当初開かれなかったと言うに等しいね・・・古事記序文の自己紹介的な記事を除外してみると、太安麻呂と言う人がだんだん透明人間になってしまう気がするね。いずれにしてもこれらの記事だけでは太安麻呂が、日本書紀成立にどのような役割を果たしたのか、きわめて不明瞭だということだね。これは、しっかり覚えておいてほしい。・・・さあ、やっと、話を前に進めることができるね。これで祐司君の読んだ本についてのコメントが聞ける状態になった。聞くところによると、新書版ながら名著であるとの評判の本だということだから、楽しみだな」