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雪の降る日

 それから三日たって、一月もそろそろ終わりという日、夕方になって灰色の空から雪片が舞い降りてきた。「鎌倉の雪だ」と、田沼は呟いて海に消えて行く雪を、窓越しに見ていた。

 雪と鎌倉というと、どうしても田村には、大雪の日に、鶴岡八幡宮で甥に殺された、三代将軍の源実朝のことが思い起こされるのだ。

 田沼は詩人の人生というものに興味がある。一茶の人生も芭蕉の人生も蕪村の人生もランボーの人生もそして、この鎌倉で生を終えた、青春詩人の中原中也なかはらちゅうやと、素晴らしい現代語で、フランスの名訳詩集「月下の一群」を書いた詩人、堀口大学ほりぐちだいがくも、みな濃厚な人生を歩んで去ったように思うからである。田沼はそれで詩人になった。


 とりわけ、源実朝は鎌倉三代目の将軍でありながら、和歌史上に歌人としてくっきりとした足取りを残した人である。しかしながら、二十代にして、実兄である二代将軍の息子、公曉の手にかかって、死ぬという運命は、特に興味深く、田沼の小説の処女作はこの、実朝の人生を描いた「源実朝・詩人にして源氏最後の将軍」なのである。

 田沼は四十になるという年に、愛する詩人三人、つまり実朝、中也、大学、の地に東京から転居した。

詩人達が愛した、この土地が好きであるのも理由であるが、初の小説、「実朝」を完成させるためである。このころ妻を亡くして身軽となった田沼は身軽で、引っ越しは簡単に済んだ。


 ・・・実朝が殺された時が、一日降った雪がやんで積もった夜なのであった。積もった白い雪を実朝の鮮血が赤く染めたであろう。かがり火に照らし出された平安朝の華麗な衣装と雪と血、田沼は降り来る雪を見ながら、それを思った。

 

 そんな、とりとめのない思いに浸っていると、祐司がやってきた。

「雪が降り始めましたね」

「ああ、詩人は雪には弱い。とりとめもない思いに捕らわれていたよ」

「中年詩人、海に消える雪を見入る・・・良いですね」

「よせやい。あの借金をどう返そうとか、あの女とどうしたらうまく別れることが出来るかとか・・・芭蕉ではないが、夢は枯れ野を駆けめぐるだよ」

「あはは、詩人らしからぬ俗な悩みですね」

「君ね、詩人で食って行くのは大変なんだ。それが証拠に君が知っている詩人が何人いる?君が知らなくても君が無知ということではない。それだけ詩人がいないからなんだよ。詩人は今や、保護されるべきトキのように絶滅しそうな生き物なんだよ。心がこんなに乾ききって砂漠のような時代であるのに、慈雨である詩人が絶滅するというのはおかしな話なんだ。それは詩壇やマスコミが良い詩人を育てて来なかったという結果なんじゃないかと僕は思うね。この傾向は僕一人の力ではどうすることも出来ないよ。中には日本語を捨ててしまって、国語を英語にすべきだなんてアホがいるくらいだからね。なぜ英語にすべきかという理由は、それが海外と商取引をするのにつごうが良いからなのさ。こいつ等は日本の文学や和歌や俳句や詩を捨てて惜しくないと思っているのだ。食うためにね。さもしいね。生きて行くのに必要なものは金ばかりじゃない。自由や音楽・美術も・文学といった心の食べ物も必要なんだ。こいつらはただ金があればいいと思っているんだ。優しい心なんてあると邪魔だ、そんな奴らさ」

「先生、お怒りはごもっともです。あまり怒ると血圧に悪いですよ。先生には長生きして欲しい。先生の存在こそが、世の光なんですから、そんな悲観しないでくださいよ」

「あはは、そうだね。つい興奮しちまった。はい、勉強勉強」


 祐司は鞄から一冊のノートを出した。そしてぱらぱらとページをめくって、それに目をやりながら話し始めた。

「この前、『日本書紀の謎を解く』という名著があると話しましたよね。そろそろ、この話しに入っていいですか」

「ああ、いいね。でもその前にちょっと、いままでの事をまとめておこうか」

「そうですね、ちょっと話が見えなくなってますからね」

「じゃ、そうしよう。・・・まず古事記の序文が太安万侶おおのやすまろによって書かれているが、この序だけ別人によって書かれた可能性が高いと言うことだね。なぜなら、古事記は、まだ日本に書き言葉がない時代の残滓を残しているし、大和王朝の前王朝出雲王朝の歴史が事細かく書かれてもいる。それで、古事記の成立が、その時代の頃だと思われるね。これでは太安麻呂の序の言葉を裏切っている。

 自分で編纂しもしないものを大和王朝の上級官僚が自分の名を出して書くには抵抗があるだろう。場合によってはその行為は処分の対象すらなるだろう。・・・太安麻呂が上級官僚であることは続日本紀の昇進の記事に見える。・・・このことから推理出来ることは、古書があらかじめあって、それに誰かが太安麻呂の名で序文をつけたということではないだろうか。この古書は恐らく、大和国の正史ではなく、言うところの廃棄されるべき一書であったということ、それゆえ、日本書紀にも続日本紀にも記事がないという事だ」

 

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