出雲の国譲り 古事記と書紀の記事の違い 四
暮れから正月七日日ごろまで田沼は一人きりだった。どうしたわけだろうと田沼は思ったけれど、田沼自身も言うなれば勝手な奴を認んじているから、それはしかたがないことであった。
しかし、八日になって、祐司と沙也香が一緒にやって来た時には、さすがの田沼も喜んだ。
「おや、もう見捨てられたと思っていたら、そうでもなかったんだ」
「いや、忘年会だ新年会だといろいろありましてね、すまじきものは宮つかえですね」
「でも、来てくれてうれしいよ。君たちはいろいろ忙しいだろうからね。」
「たまたまなんですよ。私なんかたまには故郷の富山に帰ってこいと強制送還だったんですよ」
「ぼくはね、学部長や学科長やら、学生にひきずりまわされて大変だったんです。・・・それと、ジオラマの講習会にちょっと参加してました・・・ケド」
「遊びせむとや産まれけむ遊ぶ子供の声聞けば我が身こそゆるがれるだね。ホビー多いに結構!・・・ところで、今日は暖かいね。君たちが来るというのでさっき婦長さんにお願いして、このポットにコーヒーを入れてもらったんだよ。今日は穏やかな海でも眺めながら話をしようかと思っているんだよ。・・・僕は君たちが来ない時には夕暮れ時に海辺に散歩に出るんだが、この頃はね空の色も柔らいで、昨日なんかは夕雲が桃色をおびた真珠のようだったよ。僕も詩人のはしくれだ、そんな時には、ああ春がそこまでやってきているんだなあと感じるんだ。それでね、こんど君たちが来た時天気が良かったら、海を見ながら出雲の国譲りの話しをするのも悪くはないかなと思ったんだ」
「いいですね!私ちょうどクッキーを買って来てますから、これも持っていきましょう!」と沙也香。
三人は瀟洒なクリニックから出て、昼下がりの海辺の遊歩道をそぞろ歩いた。砂浜に降りる階段が
座るのに手頃であったからそこに腰を下ろして、いつもの検討会を始めることになった。目の前には冬にしては、穏やかなリズムをくり返すクリームソーダ色の海が広がっている。近く遠くからピーピーというトンビの鳴く声が聞こえて来る。
「まあコーヒーでも、飲むか」と言って、田沼は紙コップ三個にコーヒーをそそいだ。それぞれがコーヒーを手にして、自然に「おめでとうございます。乾杯」の言葉が出た。
田沼はコーヒーを一口飲んで言った。「一茶の句に、雪とけて村いっぱいの子どもかな という句があるけど、この頃はそんな風情だね」
田沼は手に持っていたノートを開いた。そしてそれに目を落とした。
「アマテラスが、スサノオの乱暴に嫌気がさして閉じ籠もったあとの事は、古事記と書紀の書き方にひどい違いがある事に気がついたんだよ。書紀は、古事記に比べて、ものすごく簡略に記すだけだ。書紀の記事ではこんなだよ。・・・『それで、国中は暗闇になった。八十万の神々は、天の安川のほとりに集まって、どんな、お祈りをすべきか相談した。常世の長鳴き鳥(不老不死の国の朝鳴き鶏)を集めて長鳴きさせた。それから中臣の祖先は榊の木を切り・・・』と、この前のアマテラスをおびき出す榊の飾り物をする記事に繋がってゆくんだ。これに比べて古事記の記事は重厚で面白いよ。アメノウズメがダンスするまで神々の大騒ぎが長々と繰り広げられるのだ。それはこうだ。
『たちまちの内に天上の高天原も地上の葦原中国・・・これは一説では出雲国と言われているんだ。そう考えるとこの神話には大和が登場しない事に注目して欲しい・・・も闇に包まれてしまった。そして日が経っても永遠の夜に包まれてしまった』」