出雲の国譲り 古事記と書紀の記事の違い 三
「まあ、この条のあたりの古事記には名前が出てくる氏はない。しかし書紀の場合は、神の誕生のたびに、その神がどの氏の祖であるか、必ず書き込まれている。神は、必ず祖の神につながっているから全ての氏族は、大和の王家と親戚と言うことになるのだ。とりわけ大和の王家は由緒正しい天から使わされたニニギの命の子孫で、大神の直系であると言うことが、強調されて書かれている。
それに比べてスサノオから始まる出雲王朝は、やはり大神の直系ではあるが、はじめから波乱含みの建国なんだな。姉のアマテラスにスサノオはひどいことをする。ウケイ(占い)によって勝ったと言うので、アマテラスの田を壊し、宮殿に大便をし、馬の皮を剥いでアマテラスの織り子の工房に投げ入れるという乱暴をくり返して、さすがにスサノオの行状を優しくかばっていたアマテラスもすっかりあきれ果てて、驚いて天石屋戸(洞窟)にひどく厚い岩の扉をおろして閉じこもってしまうのだ。
さて、これからが、ヒヒジジイたる僕が好きなところなんだ。両書のうちで、生き生きとした表現をしているのは古事記で、お上品に、つまり少年が読んでも差し支えない様に書いているのは書紀なんだが、これは直木賞の色っぽい作品と法廷の公文書ほども差があるように思う。ちょっと両書のそれを読みくらべてみるよ。まず古事記だね。
アメノウズメは天の香具山に生える日陰葛を取って、たすきにかけ、髪の乱れを押さえるために正木葛を取って頭に巻いてカツラとなし、さやさやと鳴る笹の葉を束ねて手のうちに持って天石屋戸の前に置いた中が虚ろな太鼓のような大木の根にあがった。ウズメは足拍子おもしろく音を轟かせて踊った。その踊りの神が乗り移ったと見えるばかりで、踊り狂ううちには胸乳もあらわになり、腰に結んだ裳衣を下腹のあたりまで押し下げる勢いだった。この神懸かりの踊りの面白さに高天原が揺れ動くまでに集まった神々が声を合わせて笑った。
次は書紀だ。
日神の天石窟にこもってしまうに至り、諸々の神、中臣連の遠祖、興台産霊の子、天児屋命を使わして、祈らせた。アマノコヤネノミコトは天の香具山の榊を掘って、上の枝には鏡作氏の遠祖、天抜戸の子、石凝戸部が作ったヤタの鏡を架け、中の枝には玉作氏の遠祖イザナギの命の子、天明玉が作った玉を架け、下の枝には粟国(安房の国)の忌部氏の遠祖である、天日鷲が作った、白毛のようにほぐれた綿を飾った。こうして用意したあと、忌部主氏の遠祖、太玉命に広く厚く讃えごとを祈らせた。日神はこれを聞いて「このごろ、多くの人がお祈りをしているが、いまだにこのような麗しいお祈りを聴いたことがない」と細めに岩戸を開けてご覧になった、
どうだ、違うだろう!ここには古事記の性格と書紀の性格が良く現れていないかな。僕がアマテラスだったら、書紀のような陰気くさいお祈りでなんか絶対出てこないね。ますます中に籠もってウイスキーでも飲んで寝てしまうね。アハハハハ。ここの記事には古事記が、国家的な目的の為に改編されて、くそ面白くもない話になってしまった証拠が発見できると僕は思うね。思うに書紀の話が元で古事記の話があとであることは考えられないね。古事記の記事が元で、それを書き換えて見事に失敗したということかな」