出雲の国譲り 古事記と書紀の記事の違い 一
「大和政権に先立つ王朝として、出雲王朝があったことは、図らずも、古事記と書紀が暴露している。・・・この出雲王朝のあたりの事を今、ちょっと、精読してみようと思うのだ。イザナギがイザナミをあきらめて黄泉の国から帰ってきて、その汚れを落とすために左の目を洗った時に生まれた神が天照大御神で、右の目を洗った時に生まれたのが月読命で次に鼻を洗った時に生まれるのが建速須佐之男命なんだ。
天照大御神(和語は発声だけで表記文字なしの「AMATERUOOMIKAMI』)で太陽の事だとすぐ解るけど、月読命は月の事だろうと思うけど「読」という字が付加されているのは何故なんだろうと、僕は思う。天照が太陽神の名ならば、月の名が月読命というのは少し変だ。これは元は和語なんだ。音声だけの『TUKIYOMI』が漢字表記化で『月読』になったのであるまいか。大和時代『月』は『TUKU』と言っていたらしい。、これは『夜空に点く』と言う意味の『TUKU』だったかも知れないね。この『TUKU』が漢字の『月』に巡り会い『『月』となったのだ。『YOMI』は『闇』の事であり、つまり音のみの『TUKIYOMINOMIKOTO』は漢字表記で言えば『点闇命』と言うのが妥当と言うところではないだろうか。古事記のばあい、いつでも留意しなければならないのは、これらの名前は元は音声の『TUKIYOMINOMIKOTO』であったという事なんだ。これからすると『読』は当て字に過ぎないと解るね。だからこれは月の神のことなんだ。
つまり、最初に太陽神と月神とスサノオ命が生まれたと言うことだ。
さて、こうして、スサノオの血筋が、やがて出雲の国の王となるのだが、ここで変なのは、国を治めるべく生まれたのが大和国の祖でなく、出雲国の祖であるという事だ。
こうした出雲隆盛のさ中に、突然、スサノオの姉の神の天照大御主は、『水穂の国は私の子供の天の忍穂耳命が治めるべきだ』と言われた。オシホノミミの命は天と地との間に架けられた天浮橋に立って、地上の様子を眺めていたが、『水穂の国は、ひどく騒がしく乱れているようだ』と言って、高天原に戻り、様子を天照大御神に告げた。」
これを受けて、天地開闢の時、生まれた三神の一柱である、タカミムスビの神と天照大御神が命令を下して、天安河の川原に八百万の神を集めて合議を開いた。