鎌倉プリンスホテル
鎌倉プリンスホテルは、江ノ電七里が浜駅から少し高台に上がったところにある。田沼でも落ち込むときがある。そんな時は、ランチタイムにひとり行って、ホテルのレストラン「ル・トリアノン」で、4千円のランチを注文してウイスキーを飲んでいる。湘南の新鮮な魚を素材にしたフランス料理が美味しい。丘の下には七里ヶ浜の海が青く広がっている。昼時には、ちょうど真正面に、太陽が来て、海を燦然と輝かせるのだ。室内にフランスの懐かしいシャンソンを歌なしにした音楽なあどが流れている。飲むほどに青い海原と輝く海が、いつしか心の中に入り込んで来て、もやもやした鬱屈が、いつの間にか晴れるのである。
今日は、その気に入りのレストランのディナーに早川祐司と山辺沙也香を招いてみた。夏の間なら、窓から夕陽に染まる海を見ながらの食事になるのだが、いまは冬であるから、窓から見える岬の灯を見ながらの食事となった。
「僕は思うんだがね、出版社と言うのは大変だね」
「エ、なぜですか」
「うん、毎回、ベストセラーを打ち出すというのは辛いと思うんだ」
「でも、これ結構面白いんですよ。あたると思ったものが、以外にだめだったり、まさかと思ったものがベストセラーになったりとか。ちょっとストレスですけどね。それが出版業というものなんです」
「ちょっと、僕ら先生稼業からすると、沙也香さんの仕事はギャンブラーみたいに見えますね」
「そう、田沼先生も作家を目指す祐司さんも馬ですね」
「僕らが馬か」と、田沼が声を出した。
「そうです。だからせいぜい教練を積んでくださいね」
「沙也香さんが急に怖く見えるようになりました」と、祐司。
「・・・ところで、ここはワインに力を入れているんだ。どうだね、ビールからワインにきりかえるか?」
「ワイン、良いですね。沙也香さんはどうですか」
「私は何でも赤ワインなんですよ。それでもいいかしら?」
「そうですね、それじゃ、ノンアルコールビールの先生には悪いけど、先生赤ワインをお願いします」
田沼はウエイターを呼んで、おすすめのワインを一本出すように頼んだ。
「ところで、若い頃は僕も苦労したよ。売れない詩人でね。随分、友人からミステリー小説の翻訳の仕事を貰ったりしていた。でも僕は詩を捨てなかったから、そのうち少しづつ、人々の関心を集めるようになってきたんだ。詩をやめて、会社に勤める友人がおおかったけど、僕は30才に成ろうというのに、まだ詩をやっていたよ」