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日本書紀私記とは何か?  四

「あ、それから、弘仁私記に序文というものが、あるのだけれど、ここに、日本書紀が舎人親王とともに、太安麻呂が編纂に携わったと書かれているのだ。これらのことを総合して判断すると、古事記は太安麻呂の編纂ではないが、日本書紀編纂には太安麻呂が濃厚に関係していると考えられるのだ。だとすると、続日本紀の太安麻呂に関する沈黙は意図的なものと思わざるをえない・・・この続日本紀の意図とはなんだろうか」

 沙也香が小首を傾げながら、言った。

「太安万侶の名前を出すと、なにか、国史の目的を遂行するのに差し支えがあったと言うことなんですかね」

「うーん、そこの所が解らないとこなんだよ。編纂者としての太安麻呂の名が書紀成立の最初からなかったのか、後年削除されたのかは不明だね。書紀編纂の実務官として、安麻呂は非常に重要な役割を果たしていると思われるのだ。また太安麻呂の子孫と言われる多人長おおのひとながは90年後、日本書紀の講義を博士として行っているから、日本書紀にも、続日本紀にも太氏の名があって当然なのだが、ないというのは後年削除された可能性があるね。何らかの不都合に、書紀、続日本紀は断固とした隠蔽を下していることは続日本紀の記事を読めば歴然だよ。続日本紀の和銅元年(708年)の条に『正月十一日武蔵の国秩父郡が精錬を要しない和銅を献じた。これに関し天皇は以下のように詔なされた。ー私が治めているこの国の東方にある武蔵の国に、自然に生じた銅が出たと献上された。これは天におられる神と地におられる神が治世を愛でられ祝福された事によって、現れ出でた宝であると思う。そこで、御世の年号を新しく換えようーと。そこで、慶雲五年を和銅元年として定める。人々の官位をあげ、大赦を行った。和銅元年一月十一日の夜明け以前の、死罪以下罪の重い軽いに関わりなく、すでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も、獄につながれている囚人も全て許す。八虐《謀反・稜破壊・親の殺害・大量殺人。寺社に対する不敬など》を犯した者・強盗・窃盗など法律によって恩赦の対象にならないとされたものは、この中に入らない。山沢に逃げ、禁書・・をしまい隠して、百日経っても自首しないものは、本来のように罰する』とある。・・・この、禁書に近い、不都合にあたることを太安麻呂は、書記編纂において行ったとは考えられないだろうか」


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