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調査の終わり 三

「先生、私、ちょっと茹だっちゃいました。すこし上がりませんか」

「ああ、そうだね、そうしようか」

 三人は湯から上がって直に湯の端に腰かけた。

 祐司は見上げて言った。「うわー星がまるで金の砂のようですね。天の川も見えてますね!」

「いいですね。お風呂の回りは雪で、空にびっしり星ですものね!」

「邪魔者のおいぼれ詩人がいなければもっといい・・・だろ?」

「そんなことありませんよ。【白髪詩人雪中浴して見上げる満天の星。今、彼思うは何】といった風情ですから」と祐司。

「お!漢詩ときたね。さすが助教授。友隠す逸物、手布と続けたらどうかな」

「やだ、先生。それじゃ川柳になってしまいますよ。・・・そして、スケベイ」と沙也香は可愛く睨む。

「さて、もう少し続けたら、また部屋に戻るか。」

しかし沙也香は決然として言った。「いえ、先生。出版の構成上、ここでフィナーレに持ち込んでしまいましょうよ。その方が格好良いじゃありませんか」

「そうだ、ここは少しガマンしてタッチダウンと言うことにするのが良いね。よし続けるぞ。


 ・・・遣隋使に関わる、表記の違いは大和王権が、遣隋使の主体でないことを何となく匂わせていないかな。書紀になく隋書にのみ書かれる遣隋使は、筑紫倭国の遣わしたものだったと考えるのはどうだろう。また、書紀の書く第一回目の遣隋使も、内容は変えてあるが倭国の遣使だったと考えるのはどうだろう。すでに述べたが、その後、大和王権は遣唐使を送るのに難船でひどく苦労している。まるで、そうした経験がなかったようにね。そうして唐朝における倭人同士のもめごとだね。この記事のなかには別倭種というのが出てくる。これは明らかに帰化人や混血ではなく、【大和国とは違う別の国の者】と言うことを示しているように思える。書紀は直接には言いはしないが、そこ、ここに筑紫倭国の存在を匂わせているのだ。第一回遣唐使が送られるようになったのは任那が滅んでから、およそ五十年後だ。任那が滅んだ後、残った百済と新羅の争いは一層激しいものになる。高句麗や唐の国も巻き込んでデスマッチの様相を帯びてくるのだね。そうして第一回遣唐使の頃から十五年後に百済も滅びるときがやって来る。この時の事はこうだよ」と、田沼は傍らの手帳を引き寄せた。


  書紀・斉明六年七月 高句麗の僧、道顕どうけんの日本世紀に曰わく。

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