露天風呂そして満天の星
「さて、僕はそろそろこの探求の取り組みを閉じなければならないときが来たようだ。この取り組みを始めたのは、一年前だ。そもそもが日本書紀という大和王朝の手になる書物と歴史の真実との違和感が詩人にすぎない僕をして歴史学者めいたことをさせる原因となったのだ。その違和感は古事記・日本書紀には近畿明日香の一地方の王であるにすぎない大和王家が、はるか2000キロにも及ぶ遠方の韓地の王家を支配するような影響を及ぼしていた事が詳細に描かれていることから来ている。多くの学者の皆さんは大和王家が古くから韓地の王と密接な繋がりがあったという古事記・書紀の記事に疑問を持たないようだが、僕にはそうした記事が直感的に嘘ではないかと思えたのだ。
下手ながらもヨットマンである僕には、帆の性能の悪い船で大和王家が難波津(大阪港)から瀬戸内海・関門海峡・玄海灘を経て韓地南岸にたどり着く労苦をひんぱんにかさねたとは思えなかった。現在の風の方向に切り上がって行ける高性能の70フィートのクルーザー(21㍍の船長の外洋航行用ヨット。エンジン搭載)を使ってお前やれと言われても僕はお断りするだろう。だから僕には政争に明け暮れる大和王家にこれが可能だったとは思えないのだよ。
しかし、韓国の唯一の歴史書である[三国史記]には、倭国という海の向こうの国が紀元前から濃厚に支配に関与していることが描かれているから、海の向こうの[倭国]なるものが、韓地の王に影響を及ぼしていたことはほぼ間違いないと考えられる。 韓地に影響を及ぼしている国が大和国でないとするならば、この倭国というのはどの国の事だろうか?
それは中国の歴史書に記されている。倭国は阿蘇山があり、四方が海であり、海からすぐに山に切り立っている島々で構成されており、生活が漁労と交易で成り立っているとね。それは大和国を指しているのでなくて、九州や対馬などを指しているのだね。本州では回りを海で囲まれていることが、当時の中国としても認識できなかったはずだし、海に囲まれているというには少々大きすぎるだろうね。
だから、古来から韓地でいう倭国もとうぜん、韓半島南岸部と対馬と隠岐と筑紫島と本州の西部と四国を領土とする日本海を囲む国の事であって、近畿の大和国の事ではないんだ。