探求の終わり
一つの仕事が終わると言うことは、嬉しくもあるけど寂しいことだ。一年のあいだどっぷり浸かり込んだ古事記・書紀の世界にしばらく別れがたい。書紀の世界には虚実があるけれど、この膨大にして詳細な物語を千三百年前の僕らの祖が描き、かつまた伝えたことは尊敬し誇るべきことだなあ。この、叙事詩は世界に誇るべきものだ。もし僕がロビンソン・クルーソーのように、海の孤島に一人っきりになってしまうのなら、僕は日本書紀と漢和辞典を持っていくだろう。
すっかりひとけのなくなった冬の朝の稲村ヶ崎を散歩しながら田沼は、そんな事を考えていた。穏やかな冬の朝だ。風も凪いでいる。優しい波が砂浜を洗っている。田沼はコンビニでドリップしたコーヒーを買って、遊歩道の所で立ったまま飲んでいる。今太陽は海に向かって左側の稲村ヶ崎の小山から顔を出し始めた。
・・・さて、この研究譚の終わりをどこでまとめようか。やはり、どうしても温泉ホテルがいいな。どこが良いだろう?雪が積もった露天風呂でビールを一杯なんていいな。そうして空には宝石箱をぶちまけたような満天の星・・・そうだ、「万座プリンスホテル」というのがあったな。海抜1800㍍の山の上に真っ黄色な硫黄泉が出ていたっけな。新幹線で軽井沢まで行けば、送迎バスに乗れる。よし「万座プリンスホテル」にするか。 田沼は裕司と沙也香に電話を入れた。来週の火・水、12月の18日・19日なら二人とも都合が良いという事だった。それで、その日に決めた。
先日の大雪で万座は雪の中だった。バスがホテルに付いたときには既にチェックインの時刻になっていたから、三人は早速、山々を見渡す雪に埋もれた露天風呂に入った。祐司と田沼は缶ビールを持ち込んで風呂のヘリの雪でビールを冷やしながら、ゆっくり風呂を楽しんだ。部屋に戻って田沼は持ち込んできたウイスキーの「山崎12年」をロックにして祐司に勧めた。沙也香も、自分の部屋からやって来て、冷蔵庫に入っていた梅酒サワーを開けた。
「カンパーイ」と祐司と沙也香は声を上げた。
「諸君!まだ乾杯は早いぞ。まだお勉強が残っているんだからね!」
「あら?先生だって、もう顔真っ赤ですよ」
「いや、これは湯にあてられたんだよ。さてお勉強お勉強!」