毛野臣送還後の任那について 二十七
田沼の家からも、この頃は江の島と共に白雪を被った富士山が見えている。タバコを飲まない田沼だが、コーヒーにトーストとゆで卵と言った簡単なものを、冬でも良い天気の日には庭に置いたテーブルに置いて朝食を楽しむ事がある。今は庭に山茶花が赤い花をつけ、散った花が木の下に散らばっている。向こうの方にはバラがローズピンクの色を朽ちさせようとしている。その花の上で、もみじが紅色に色づいて静かに揺れている。
その朝のテーブルで田沼は携帯を手にとって、裕司に電話をかけた。
「どうだい、そろそろ始めないかな?」
「あ、いいですね。僕はそのあとの書紀の記事が気になって、なんか落ち着かなくて痩せてしまいました」
「アハハ、君がちょっとやそっとで痩せるわけがないだろう。冗談を言ってるよ。君が痩せる原因はただ一つ恋煩いさ。・・・まあ取りあえず来てよ、待ってるからね」
裕司はやって来た。庭に落ちる日射しが心地よかったので、田沼と裕司は庭のテーブルに腰を下ろした。テーブルの上にはコーヒーを入れたポットが用意されている。
「さて、続きを急ごうか。
欽明十五年(554年) 正月七日 百済は中部木刕施徳文次(中部は百済五地域の一。木刕は姓。施徳は百済官位十六階の八位。文次は名)・前部施徳曰佐分屋(曰佐分は姓、屋は名)らを筑紫に遣わして内臣・佐伯連らに言った。
『わが百済の次酒らは、去年の十一月四日に帰国して日本の内臣様一行は来年の正月には兵を従えて来るであろう言っていましたが けれどわれわれは疑っております。来るのでしょうか来ないのでしょうか。又、来るとすれば、軍兵の数はどのくらいでしょうか?できれば数を聞いてあらかじめ宿営を造らせておきます』
さらに付け加えて言った。『賢い天皇の詔を頂いたのち、筑紫に出向いて派遣軍を見送れとの王命が出されております。この重任を与えられて我々はたとえようもなく喜んでいます。今年の戦役は前より大変危ういものがあります。できるならばお願いしてある軍兵を正月中に到来するようにしていただきたい』と。これに内臣は答えて言った。『援軍として軍兵の数一千・馬百匹・船四十隻を送らせよう』と。 」