忙中閑あり
「さて、ずいぶん、書紀欽明天皇紀の訳ばかり長々とやってしまったね。余り名訳とは言えないが、これで少しは解って貰えたかな。しかし今日はこれまでとするか。どうやらゴールもそんなに遠くはないようだ。まあ後は、のんびり風呂に入って、お酒でも飲もうか。」
翌朝三人は鶴巻温泉駅前で別れた。祐司と沙也香は同じ電車に乗って去っていった。田沼はしばらく駅前に佇んでそれを見送っていた。丹沢の秋空はあくまで青く大山はどうどうとそそり立っている。そうして、さてそれでは、もう一度元湯陣屋のロビーに戻って、コーヒーでも飲んでから、また実朝の首塚まで行ってみようかなどと考えている。
まだひとけのない元湯陣屋のロビーで、田沼はポツネンとコーヒーを飲んでいる。そうして想いを遠く鎌倉時代に遊ばせている。ここは和田一族の別邸のあったところだというなあ。三浦一族から出た和田義盛は源頼朝が平家追討の兵を立ち上げた時からの指折りの重臣で、今で言えば総理大臣に匹敵するような侍所の筆頭で、その柔らかな人格は源実朝にも透かれていたが、ライバルである北条氏から一族の者に謀反を言い立てられ、闘って族滅してしまった人だ。鎌倉幕府の公式の歴史書である吾妻鏡には、和田義盛が最後の時「もはや息子は討ち取られてしまった。なんぞ生きている甲斐があろうか」と、大音声を発して泣きながら敵に切り込んで行った事が描かれていたなあ。
しばらく鎌倉でぶらぶらする日が続いた。ひまな時には御成通りの老舗酒屋高崎屋が店裏に設けている立ち飲み所で、銘酒を飲み、雑談にたまに混ざるような日を送っていた。鎌倉の路地の辻々に清らかに山茶花が開き始めて、エッセイを書いたりクラッシクを聞いたり本を読んだりするだけの単調な毎日に彩りが添えられた。田沼の庭には梅と桜と山吹と紫陽花とサルスベリと紅葉と柚とショウガとバジリコと山椒とフキとノビルと竹とバラが植え付けてある。これは、田沼が見て楽しみ、食べて楽しむために植え付けたものだ。田沼はやはり詩人である。源氏物語にある御殿の季節の花々の風雅な美を知っている。また美味しい物も良く知っている。これが田沼の自己流の庭となって具現しているのだ。