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毛野臣送還後の任那について 二十三

 祐司は言った。「ついに、新羅と高句麗が結託し始めて、百済は非常な危機感を持ったわけですね」「そうだ。後世から振り返ると、この時点(欽明八年・547年)は百済滅亡の天智二年(663年)まで、あと百十五年だ。その予兆があらわれ始めたというところかな。ちなみに新羅に任那が亡ぼされるまでは、この時点からわずか十五年にすぎないのだ。まさに新羅は任那をねらって虎視眈々。任那は風前の灯火と言ったところだね。百済が悲鳴を上げるように日本に加勢を求めるのは当然というところだね。さて先を急ぐよ。


 欽明九年(548年)正月三日 百済の使人、宣文せんもんらは帰国すると告げる。天皇はみことのりして言う。『乞うところの救いの軍は必ず遣わす。すみやかに王に伝えよ』


 四月三日 百済は日本に中部ちゅうほうの(百済五地方の一)杆率かんそち(官位十六階の五位)である掠葉礼けいせふらいらを遣わして言う。『宣文らは国に戻って言いました。【天皇は乞う所の救いの兵を送ると言われました】と。この報に私達百済の者は大変喜びました。しかし馬津城ましんのさしの戦いで捕らえられた百済兵に高句麗兵が言うには【安羅の国と日本府とが高句麗の出兵を乞うたのだ】とのことです。これは状況からみてありそうな事です。その真偽を確かめるために安羅と日本府の者を何度も呼んだのですが、出向こうとはしません。それでそれが真実だったのではないかと心配しております。伏して願うことは彼らの罪科を取り調べる事と、彼らに利用されかねない出兵をしばらく見あわせて、私達の連絡をお待ち下さる事です』

 天皇は言った。『使いの言う事を聞けば、心配する所が良く解った。日本府と安羅が百済のわざわいを救わない事は、朕も心痛するところだ。しかし高句麗に使者をだして出兵を勧めたと言う事は信じられる事ではない。私の命によってならば高句麗に使者を出すであろうが、命なしにどうして下臣が思うままにするであろうか。願わくば王は衣服をゆるめてくつろいで、猜疑心を捨て心安らかにしてください。そして任那と共に、力を合わせて北敵を防いで各自の所領を守りなさい。今、まさに朕は兵を相当に送って安羅の逃亡した空しい地を充たすであろう。』



 


 

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