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毛野臣送還後の任那について 二十二

 百済王は続けて言った。『新造する城の日本の兵に私は衣食を提供しようと言うことが天皇に奏上する計画の第一の策だ。また天皇は南韓ありひしのから(下韓)に百済の郡令・城主を置くなと言われたが、それに従わなかった事はけっして天皇への朝貢を絶える意図ではない。今願うことは多難を乗り越えて強敵を討つことだ。悪しき新羅は他の国と付くことを計るであろう。新羅が野合しようという高句麗は強大でわが百済はもろく弱い。もしも南韓に百済の郡領・城主を置かずにおいたら、新羅・高句麗の連合軍の侵略を許してしまう。そうなれば任那の滅ぶ日は遠くはないだろう。それゆえ、南韓の郡令・城主を保持することは第二の策だ。また新羅に通じようとする日本府の緒臣の滞在を、このまま許すなら天皇がおっしゃる任那復興はできない。ゆえに第三策はその諸臣を本国に送還することだ。これらが天皇に奏する策の三つだ。日本府の臣・任那の旱岐らは百済と共に使いを遣わしてこの三策を天皇に奏してお言葉をうけたまわれ』と。

 ここに、吉備の臣・旱岐らは言った。『大王の述べられる所の三つの策は、私達の納得のいくことです。今、思うことは、任那に帰って謹んで日本府の大臣と安羅の王・加羅の王に伝えて(田沼註・旱岐とは任那諸国の王のことではなかったかな?ここで今、改めて王というのは理解できない。また日本府の大臣という言い方も耳慣れないね。今までは執事と言っていたのではないかな。したがって、ここの文章は原典が異なるものによっているのではないかなとも思えるね)ともに使いを遣わして天皇に奏しようと思う。これは、まさに千に一度の機会である、深く計画してうまく実行しましょう』と。


 

 ・・・この後、三年ほどは、ただ『百済から朝貢があった』と言う、内容のないたった一行の記事がいくつか続いたあと、次の記事が現れるのだね。


 欽明八年四月 百済は前部ぜんほう(百済五地域の一)徳率とくそち(官位十六の四位)新慕宣文しんもせんもん奈率奇麻なそちがまらを日本に遣わして高句麗の侵略に対して救いの軍を乞うた。


 




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