毛野臣送還後の任那について 十六
「どうだね。書紀の記事によれば、日本府は任那の統合をなしとげ、日本本国の傘下ではない国家立ち上げを目指していたようだ。この記事に登場する、日本府の筆頭、紀生磐に注目すべきだね!」
祐司は言った。「なるほど、任那と百済と新羅のせめぎ合いの原因には、日本府の指導者が任那諸国を統合し日本傘下ではない王国を作り上げようという動きがあったという事ですか!」
「そういう事だね。しかし新聖を名乗った紀生磐の一時の成功も、百済、新羅によって阻止されたといういう事かな。これは、ずっと後の時代、平安中期に天皇家の支配を打ち破って、関東を瞬時支配し新皇を名乗ったという平将門の出来事に良く似ているね。」
沙也香も声をだした。「すると、日本本国は任那のこの動きを百済の力を借りて押し潰そうとしたということなんですか」
「そう言うことなんだろうね。僕の考えによれば、任那は磐井の倭国勢力で所詮、大和の勢力ではないから、日本は百済と結託したという事ではないだろうか。これが、書紀の描く歴史に現れてこないのは、倭国の存在を隠蔽したい大和王朝にとっては当然のことではないかな?こういう風に考えれば大和王国が百済の任那四県の吸収に同意した背景すら見えてくるじゃないか。そしてまた大和の使者たる毛野臣の失敗も理解できそうだ。紀生磐が任那の王となった顕宗三年は西暦487年だ。磐井の乱が531年だからこの記事は倭国が健在な頃の話だ。この話自体が大和王朝に関わりのない出来事だったと考えても良さそうだね!紀氏は武勇に優れた神話的な存在である武内宿禰の子孫として、古代から武の一族として有名なんだが、それがどこまで真実であるかは極めた疑問だね。むしろ紀氏の各代の武勇が結晶して武内宿禰という伝説的ヒーローが作られたと言っても過言ではないな。」