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毛野臣送還後の任那について 十四

「さて、先をつづけるよ。

 

 欽明四年十二月 百済聖明王は、また天皇からの先のみことのり(王の命令書)を群臣に示して言った。『天皇の詔はこのようだ。はて、どうしたらよかろうか』と。群臣(書紀には八名の実名が記されているが複雑になるのでここでは省略)は協議して言った。『臣らは品性が暗愚で知略がありませんが、任那を建てよと、命じられるのでありますから、すみやかに命令を実行に移しましょう。任那の執事・任那諸国の旱岐かんきを呼んで、合議し意見をまとめ天皇に上奏しましょう。河内直かわちのあたい移那斯えなし麻都まつら(新羅に内通している、任那日本府の官吏。河内直は日本府の上級官人。河内直○○といった○○の名は不明。ただし河内氏は百済王の子孫の帰化人。他に見える河内漢直かわちあやあたいとは別氏。移那斯・麻都については五年三月の条に・・・身分は低いが日本府の政を専断しているとある。麻都《まつ》に関しては同じ条に、韓の腹に生まれたといえど位、大連にあり、日本の執事の間に交じりて栄え、貴人の列に入る。とある。百済本記に麻都の祖について記載があるので、麻都は百済系と考えられる。)がなお安羅あら(日本府の所在地)に、はべるなら、任那は恐らく再建できないでしょう。ですから、天皇に文書を奉って、彼らを本国に移していただきたい。』と。

 聖明王は言った。『群臣の議す事は多分に私の心に叶っている』と。

 

 この月に施徳高分せとくこうぶん(百済官位十六階の八位)を任那に遣わして任那の執事(任那諸国の総代表だろうね)と日本府の執事が来るようにと招かせた。それに答えて任那は言った。

『正月がすぎたら参りましょう』と。

 

 欽明五年(544年)正月 百済の国は遣いを送って、任那の執事と日本府の執事を招いたが、ともに答えて言った。

『神を祭る時期が来てしまった。祭りが終わったら参上いたします』と。この月に、百済はふたたび任那の執事と日本府の執事を招いた。任那と日本府はともに執事を参上させず、身分の低い者を参上させた。 これによって、百済と任那が協力して任那を再建することができなかった。

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