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ふたたび研究会 四

「まったくその通りだね。それはすごく良い視点だ。・・・さて、次に、その三 わけについての考察だ。古事記の国生みにさいして、不思議な地名が出てきたのを覚えているかい。抜粋すると、『土佐の国は建依別たけとりわけと云う。次に隠岐の三つ子の島を生んだ。またの名を天之忍許呂別あめのおしころわけ。次に筑紫の島を生んだ。この島もまた、身体が一つで顔が四つあった。顔ごとに名前があり、筑紫の国は白日別しらしわけといい、豊の国は豊日別とよひわけといい、の国は建日向日豊久士比泥別たけひむかいひとよくじひねわけといい、熊曾国は建日別たけひわけという。(中略)次に大倭豊秋津島おおやまととよあきつしまを生んだ。またの名を天御虚空豊秋常別あまつみそらとよあきつねわけと云った』 この○○別という地名は、日本書紀ではきれいに消去されてしまっている。この地名は一体何なんだろうか。僕が思うに、ひょっとしたら、大和支配以前の古い地名ではなかろうかと思うのだよ。北海道に○○べつという地名がおおいけど、古事記のわけと密接な関係があるように思えるのだ。僕が調べたかぎりでは、このわけべつの関連について言及した書はないようだから、全く自分かってな考察なんだけど・・・日本書紀が、この○○別という地名を削除しているのは、この地名は古事記が偽造したものだったからだろうか?それとも、古事記の記事を知らなかったからであろうか?たぶん知っていただろうけど、おそらく、このことは、日本書紀の建前、つまり大和王朝成立の前に全国制覇の王朝は存在しなかったという事を突き崩しかねない、古王朝の地名だったからではなかろうか。この場合、古王朝とはなんだろうか?アイヌの人々がつくる数多くの群小の村々ではなかったろうか。・・・こんな、メチャクチャな事をいうのは、根拠があるのだ。アイヌ語では川の事を『ペチ』といったそうで、川の流域を単位として地名とするのがアイヌの文化のなごりなんだが、それにのちの人が『別』という漢字をあてたわけだ。岩尾別、浜頓別、登別、幌別、芦別、江別、喜茂別、当別、秩父別、遠別、初山別、愛別、湧別、紋別、稜別・・・北海道の地名を捜せば、いくらでも別の地名があるが、この地名は少なくとも平安時代以前から使われていた地名だと思われる。・・・その地名が九州や近畿にもあったと云うことを、古事記の○○別の地名はしめしてはいないだろうか、それゆえ、日本書紀は、前支配者の残滓を抹消したという事なのかな」


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